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 新井木はもそもそとまずそうに弁当を食べ終わると、箸を置いた。
「ごちそうさま」
 だがそのまま腰を上げようとはしない。田代は怪訝そうな顔で新井木を見た。お喋りが弾んでいる時ならまだしも、新井木は基本的に同じところへじっとしていることができない性格だ。それなのになぜ?
 おまけに今日の昼食はお世辞にも楽しい食卓とは言えなかった。新井木、自分、田辺、森。それぞれ無言で弁当を口に運び、たまに思い出したようにとってつけたような話題を持ち出すがそれもすぐに立ち消えてしまう。
 ――と言っても、ここ数日小隊内は妙にピリピリしていて、もともとあんまり楽しく食事ができるような環境ではなかった。みんな妙に緊張してしまっていて、大声を上げるものが少なくなった。まるで誰かが監視してでもいるように――
「あのさ」
 ふいに新井木がぼそっと声を出した。一瞬その場が小さくざわめいたように感じられたが、田辺がおずおずと問い返す。
「……なんですか?」
「……バカゴーグル、さ」
「……滝川くん、が?」
 新井木はしばし黙ってうつむいていたが、やがてばっと顔を上げてきっと中空を睨んで言った。
「おかしいよあいつ! 絶対変だよ!」
「変って……」
「……どこがだよ。撃墜数は二百五十以上、絢爛舞踏も間近って噂されてる九州総軍のエースだぜ、今のあいつは。とんでもなく優秀な兵士ってことじゃねーか、別にどこもおかしくねーよ」
 新井木はきっと田代を睨んだ。
「かおりんだってわかってるはずでしょ。あいつだよ!? あのバカゴーグルだよ!? 士魂徽章も取れないでずっと無職だった奴が、なんですごい奴になっちゃうわけ!? 変だよ絶対! おかしいよ!」
「た、滝川くん、すごく頑張ってましたから。勇美ちゃんも知っているでしょう?」
「知ってるよ! あいつが腹黒司令にいじめられながら頑張ってきたってことは。だから僕も……あいつがアルガナ取った時は、嬉しかった。だけど……今のあいつ、そういうんじゃないもん!」
 新井木は苛立たしげにだんだん床を蹴りながら、大声で喚き散らす。
「ほんとはみんなわかってるんでしょ!? 今のあいつ普通じゃないよ! 士翼号が来たら、あいつ変わっちゃった! 前はまだ普通だったけどさ、今は、なんか、ものすごく簡単にどんどん幻獣倒してってさ、なんていうか、まるで遊んでるみたいなんだもん! あんなに簡単にほいほい何の気なしに殺せるんだったらさ、僕たちだって殺そうと思えば簡単に――」
「勇美ちゃん!」
 田辺に厳しい声で遮られ、新井木はうなだれた。下を向きながら、それでもぽつぽつと言葉をこぼす。
「あんなの……あいつじゃない。滝川じゃないよ」
 全員、無言でうつむいた。新井木が言ったことは――確かに、全員わかっていることなのだ。
「――姉さん」
 食堂に茜が入ってきた。森に近づく。
「……大介」
「もう食事終わったのか? だったらちょっと話があるんだけど」

「……話って?」
 二組教室まで連れてきた茜に、ややぶっきらぼうに訊ねる森。
「これ」
 茜が取り出したのは、一冊のノートだった。
「……なに、これ」
「僕が士翼号を整備していて気づいた点やなんかが全部書いてある。数日間のことだから大した量じゃないけど、少しは役に立つだろ」
「……そうか。あんた、今日から三番機パイロットだものね」
 それに伴い整備員も大幅に異動した。森と岩田が二番機整備士に、新井木が三番機整備士に。
 他の二機に比べてまだ調整が甘い士翼号に高い技術の持ち主を集めようということだろうと理解はできる――だが、森にはそれ以上に、滝川≠フ機体のポテンシャルをより高めようとしているように思えてならなかった。
「……善行さんも関東に帰るなら帰るで、もう少し早く言っていてくれれば心の準備もできたのに」
「僕としてはいつ言われたって納得できなかっただろうけどな。芝村と同じ機体に乗るなんて今から考えただけでぞっとする」
「……平気?」
「整備士の中に僕以上にパイロット適正の高い人間がいないんだからしょうがないだろう。……まあ、仲良くはできないだろうけど、喧嘩するようなことはしないよ」
「そう……とにかく、これ、ありがとう」
「別に……気にするほどのことじゃないさ」
 しばらく二人とも無言でノートに視線を落とす。一分経つか経たないかの頃、森がふいに沈黙を破った。
「大介」
「……なんだよ」
「あんた……今の滝川くんのことどう思う?」
「……どうって?」
 森は言葉に詰まりながらも、自分の心をなんとか言葉にしようと試みた。
「最近の滝川くん……なんていうか、前と違うっていうか……」
「時間が経てばどんな奴だって変わるだろ。善きにつけ悪しきにつけ」
「そうだけど……なんだかそういうのとは違う、気がするの。ものすごく張りつめてて……私、最近滝川くんの姿って懸垂してるところか二番機の調整してるところしか見たことがない。食事したり、他の人とお喋りしたり……そういうところ全然見てないの。そんなので……そんな訓練と仕事だけの生活で、大丈夫なのかな、って……」
「…………」
 ふう、と茜は溜め息をつき、小声で呟いた。
「滝川の奴……もっと周りに目を向けていれば、まともな女と付き合うこともできただろうにな」
「え? なんて言ったの?」
「……なんでもない。そうだな、確かに僕も、今のあいつは普通じゃないと思うよ」
 息を呑んだ森にかまわず、茜は続けた。
「やることは訓練と仕事だけ、誰とも関わらない、話しかけようともしない。あれじゃまるで機械だ。戦場でだってそうだ――正確無比な、幻獣を殺すためだけの機械みたいに、さくさくと幻獣を殺していく。今までのあいつとはまるで違う――人間じゃないものを見てるみたいな気がする。そうなんだろう、姉さんも?」
「…………」
 無言でうつむく森に、茜はふう、とまた溜め息をついた。
「僕も、それは感じるよ。それを突き崩してみようとして、いろいろやってもみた。話しかけたり怒鳴りつけたり、最後には喧嘩を売ったりね」
「……それで、どうなったの?」
 茜は首を振った。
「まったく手ごたえなし――話しかけてもまともな返事は返ってこない、怒鳴りつけても同じだ。喧嘩を売っても首を振るだけ――こちらをろくに相手にしてもいない」
 茜は、彼にしてはひどく珍しいことだが、自嘲の笑みを浮かべる。
「僕はあいつの友達だったつもりだが――あいつはそうは思っていなかったらしい」
「そ――」
 そんなことはない、と言おうとした時、多目的結晶体からサイレンが鳴った。
『201v1、201v1……』
「……初陣だな」
「大介……」
 不安そうな顔になって茜を見上げる森に、茜はきまり悪げな顔になって肩をすくめた。
「姉さんがそんな顔をする必要はないだろ。別に死地に赴くわけでもあるまいし」
「……死んだりしたら、許さないからね」
「……ああ」

 茜は士魂号のパイロット席で絶句していた。指先すら動かすことができなかった。
『滝川機、スキュラを撃破!』
『ミノタウロスを撃破!』
『きたかぜゾンビを撃破!』
『ゴルゴーンを撃破!』
 目の端の戦場マップで、滝川機が移動するたびに幻獣が消えていく。あっという間に。
「なんだ……あいつは」
 声が震えた。
「なんであんなことができるんだ!?」
 理解していたつもりだった。滝川の戦い方のとんでもなさは。
 だが、戦場で。同じパイロットの視点に立つと今までの理解がいかに甘っちょろかったかがわかる。
 なんであいつはあんな風に戦場の端から端まで一跳びでいけるんだ。戦場マップと戦場の位置が全部頭に入ってるのか? それでも数百m、いやそれ以上の視認もできない距離を完璧に数mの狂いもなく飛べるなんて普通は不可能だ。
 なんであいつは幻獣をみんな一撃で倒せるんだ。スキュラなんて狙いをつけたバズーカの一撃でも落とせるかどうかというほどの耐久力を誇っているのに。
 なんであいつは幻獣の群れのど真ん中に突っ込んでおいて一発も幻獣に撃たせないでいられるんだ。まるで幻獣がいつ、どこに撃ってくるかというタイミングを完全に見切っているみたいだ。
 呆然と戦場マップの動きを追っていたが、はっと百mほど先にゴルゴーンが一体いるのに気づいた。向こうもこっちに気づいたようで、ドドドドと音を立ててこちらに突撃してくる。
 慌ててバズーカを構えようと――した瞬間、ゴルゴーンは消えていた。
 茜がバズーカを動かそうと考えて手を動かしたコンマ一秒にも満たない間に、滝川機が移動してきてゴルゴーンを倒し、また移動したのだ。
 まさしく、一瞬。
 ――茜は、自分が震えているのに気づいた。
「あいつは、なんだ……?」
 無意識に言葉が漏れる。
「あいつ、本当に……人間か……!?」
 ――舞はガンナー席で、最後まで一言も口を聞かなかった。

「……今日もろくに仕事しないまま終わっちまったな」
 若宮は帰りのカーゴで、来須に話しかけた。辺りには二人の他には誰もいない。
「まったく、こんな状態ではスカウトと胸を張っていられんな。曲がりなりにも先任下士官だというのに、情けないものがあるよ。わははは……」
 若宮は豪快な笑い声を上げたが、その笑い声はすぐに萎んでしまった。
 しばしの沈黙の後、若宮はのろのろと口を開く。
「……なあ、来須」
「……なんだ」
「お前、前に滝川が強くなると言ったな」
 来須はわずかに顔を動かして、うなずいた。
「……ああ」
「確かに、滝川は強くなったな。それもとんでもなく」
「…………」
「だが……来須。俺は正直……だからあいつのことを頼もしいとか、そういうふうには思えないんだ」
「…………」
「すごい奴だとは思う。あいつのおかげで俺たちの出た戦場には一人の戦死者も出ていない。俺たちがこれまで破竹の連勝を遂げてこられたのもあいつの力があったからこそだというのもわかっている」
「…………」
「だが――俺は、あいつの戦いぶりを見ていると……恐ろしくなる。笑いたいなら笑ってくれてかまわんが、この俺が……生まれついての歩兵で、戦うこと以外何も知らんこの俺が、あいつを見ていると、背筋が震える。なにかとんでもないものを見ているような気がしてくる――」
「…………」
「来須。お前はあいつがああなることを知っていたのか? 知っていて、それでも……恐怖を感じなかったのか……?」
 来須は口を開かず、ただ帽子を目深に被った。

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