4/20〜舞・V
 士翼号のハッチが開いて、滝川が姿を現すのを舞は無言で見やった。そこにいるのはわかっていたことだ。滝川は懸垂をしている時を除けばいつも士翼号の中で調整をしている。
 そのきめ細やかな調整は滝川が士翼号にいかに心をかけているかを示すもので、滝川は士翼号とまるで家族か親友か、あるいは恋人のようだと整備員が漏らす声が聞こえるほどだった。
 ――閉所恐怖症を克服できたのかどうかは知らないが、滝川は士翼号の中にいる時は怖くはないらしい。
 滝川が無言でこちらを見た。その目は赤く腫れていて、ひどく不安そうに揺れている。
 舞はすっと手を差し出した。
「………なんだよ」
 一瞬びくりとしたものの、まだハッチから出てこないまま滝川は舞を見上げる。
 舞は手に握っていたものを滝川の前に突きつけた。
「………これは………」
「勲章だ。お前がTV局に放り出していったので、渡しておけと従兄弟殿が私に持ってきた」
 絢爛舞踏章。人を超えたものの証。
 滝川はしばし無言でそれを見つめた後、力なく首を振った。
「いらない。そんなもの」
「受け取れ。お前の責務だ」
「責務……?」
 揺れる瞳で舞を見上げる滝川に、舞は平板な口調で言う。
「これはお前が力を尽くして幻獣を狩った証。人でないものになった証だ。お前は自らの為したことから逃げることはできぬ。自らの為したことを受け止めるのはお前の責務だ」
「…………」
 滝川は一瞬だけ泣きそうに顔を歪めたが、結局無言で勲章を受け取り、ポケットにしまった。
 ――しばらく沈黙が下りた。
 滝川はなにも言わずにうつむいている。舞もなにも言わずに滝川を見下ろしている。
 数分の間、緊張感がいっぱいにつまった静寂が二人を包んだ。聞こえるのはもうほとんど意識できないほど耳慣れてしまった、ごうんごうんというハンガーの音だけ。
 ――先に口を開いたのは滝川だった。
「……あのさ」
「なんだ」
「ずっと、不思議だったんだけどさ」
「だからなんだ」
 滝川がいったん潤む瞳で舞を見上げ、またうつむいてぼそぼそと言う。
「なんでお前、俺に弁当作ってくれるの?」
 一瞬脳みそのてっぺんまで体がカッと燃えるように熱くなった。
 だが、数秒でその熱を脳外に追い出し、冷徹な声で言う。
「お前は私に弁当を作ってもらうのが嫌なのか? ならば最初からそう言うがいい。食いたくない者に食事を作ってやるのは食材の無駄だ」
「違うよ! そうじゃない、そうじゃないけど……!」
 滝川は大きく首を振って叫ぶ。潤んだ瞳から、涙が零れ落ちそうに揺れる。
「俺はわからないんだ! なんでお前がそこまでしてくれるのか! だって……俺には、そんな価値、ないのに……!」
「たわけ……!」
 また体中が熱くなる。価値? なんだそれは。お前は私がお前からなにか引き換えるために毎日弁当を作っていると思っているのか?
 感情がどうしようもなく昂ぶる――しかしそれを外に表すことはできなかった。むりやり心を押さえつけて、声を絞り出す。
「お前は己の価値を己で低いと感じるほどのたわけなのか。己を信用することもできぬ人間なのかそなたは。そなたが今まで積み上げてきた力と技はなんのためにあると思っているのだ」
「だって……!」
 滝川は一瞬うつむいて肩を震わせ、舞を見上げた。瞳に涙をいっぱいに溜めながら。瞬きするたびに涙がぼろぼろと落ちる。
「だって、俺は人殺しだから!」
 心底辛そうに、たまらなく苦しいというように、泣きながら滝川は訴えた。
「……なに?」
「人を守るため、好きな人を守るためって、そんなの結局は言い訳だ! 俺は他にどうしようもないからって理由だけで人を――人の想いを殺してるんだ! ただそれだけで殺して、殺して、殺し続けて――そんなの間違ってるって、わかってるのに……!」
「……お前はなにを……」
 落ち着かせようと思ってか、反射的に伸ばされた自分の手から滝川は身を引いた。それに動揺する間もなく、滝川は涙をこぼしながら首を振る。
「……触っちゃ駄目だ。お前まで汚くなっちゃう」
「――――…………」
 舞は数瞬の間硬直した。
 そしてそのあと、ぶるぶると体が震えてきた。
 熱い。体が――特に目のあたりがたまらなく熱い。
 視界が不可解に歪むのが感じられた。目が痛い。目をしばたたかせると、熱いなにかが頬を伝うのが感じられた。
 滝川が呆気に取られた顔をするのが見えた。ほとんど呆然としながら、滝川はのろのろと口を開く。
「……芝村……お前、泣いて………?」
「――――!」
 もう限界だった。
「たわけ!」
 ぼろぼろ涙をこぼしながらそう怒鳴ると、顔を押さえながら走った。ハンガーを飛び出し、人がいないところを探して尚絅高校の物置に飛び込んだ。
 馬鹿な。なぜ自分は泣いているのだ。自分は泣くのをやめて、戦おうと決めた一族の末姫だというのに。
 だが。だがそう決めた自分は、滝川に対してなにもしてやることができない。
 自分の言葉でなにを言っても、たわけと叱咤しても殴っても、今の滝川に力を与えることはできないと思ってしまった。
 そうだとしたら、自分は滝川になにもしてやることはできない。慰めることも、励ますことも――自分はそんなやり方を知らないからだ。
 自分を拒否したはずの滝川が、自分を必死に守ろうとしている。そしてそのためにひどく苦しんでいる。
 それはわかるのに、自分はその苦しみを和らげることも癒すこともできない。苦しみも辛さも乗り越えろと言うことしかできない。それでは滝川は救えないということはわかっているのに。
 言おうと思ったのに。今日滝川に、滝川が苦しんでいるのが今まで見ていてよくわかったから、なにか少しでもいいから想いを伝えようと決めたのに。
 また拒否されるのではないか、言っても役にたたないのではないかと思うと、恐怖とは縁を切ったはずの自分が、怖くて――
 ―――自らの想いを告げることすら、自分にはできないのだ。
 それが悔しいだけだ。腹立たしいだけだ。自分は断じて、悲しんでいるわけではない。
 そんなことを必死に考えながら、舞は嗚咽を漏らしながら泣いた。

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