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「……オールグリーン。神経接続調整チェック完了……っと」
 データ表示ディスプレイに出てきた数字を確認して、滝川はこきこきと首を鳴らした。ひとつ伸びをしてから頭をかき、気が進まなそうにそろそろとコクピットの中を覗きこむ。
「……あのさ、芝村。そろそろ……終わってもいいんじゃねえ?」
 がたん、と音をたててハッチが開いた。中からポニーテールの少女――舞が顔を出す。
「そうだな。今日やれる分は終わったと言っていいだろう」
 舞の言葉に、滝川はホッと息をついた。
 舞に一緒に仕事をするよう誘われたのはこれが初めてのことだった。というか、誰かを訓練に誘うことはあっても誘われたのはこれが初めてだ。
 同じ部署になったせいなのかもしれないが、尻込みしつつも断れなかった滝川を尻目に舞はてきぱきとコクピット内に入って調整を始めてしまったので、滝川は外部から数字を読み上げたりと誘導調整をやらざるを得なかった。
 まだ芝村に対する感情を整理できてもいないのに、ニ時間もの間一緒にいるというのは、あんまり居心地が良くないことではあったが。
 舞はコクピットから抜け出してハンガーの床に降りて言った。
「それでは今度はお前が調整を行う番だな」
「へ……?」
 滝川はあっけに取られた顔になった。
「お、俺の番、って……」
「なんだ、わかってついてきたのではないのか? ……お前はまだ三番機と接続を行っていないだろう。むろん我々は操縦者が変わっただけでおかしくなるような調整をしてきたわけではないが、新しくなったパイロットに合わせておくに越したことはない。こちらの方の調整はしておいたから、後はお前が合わせるだけだ」
「………」
 滝川は口をわずかに開けて硬直していた。舞はそれに見向きもせず、コクピットに入るよううながす。
 滝川は顔面を硬直させたまま、のろのろとコクピットのハッチを開けた。ごくりと唾を飲みこんでから、下のパイロット席へ座る。
「閉めるぞ」
 一声かけて、舞がコクピットハッチを閉めた。
 ――数瞬間後、バンッ! とハッチが叩かれた。
 バン! バン! バンバンッ! と幾度も幾度も、すごい勢いで内側からハッチを叩く。
 と同時に、搾り出すような声がかすかに聞こえた。
『出してくれよぉっ……!』
 バン! バン! バンバンバン! ハッチを叩く音はあっという間に高くなっていく。
 舞の行動は早かった。すぐさまハッチを跳ね上げそれに寄りかかるようにしていた滝川を引きずり出す。
 滝川は引きずり出されたとたん、床に吐瀉物をぶちまけた。

 舞は黙って、滝川の背中を撫で下ろしている。
 ようやく息が落ちついてきて、滝川は下を向いたまま口をぬぐって言った。
「……ごめん。靴、汚しちまって」
 滝川の吐いた汚物はコクピット前の床に大きく広がり、舞の靴にもいくらかかかっていた。
「別に問題はない。洗えば落ちる」
 舞のぶっきらぼうな言葉にピクリと身を震わせたが、滝川は顔を上げなかった。やはり下を向いたままぼそりと言葉を押し出す。
「……みっともねえと思ってんだろ。だらしねえよな、実際……」
 舞は黙って背中を撫で下ろし続ける。滝川もぼそぼそと話し続ける。
「俺、まだシミュレーターにも一人で入れねえんだ。コクピットん中とかもっとダメでさ……実は二番機の時も、一回も整備できなかったんだ。やろうとしたけどさっきみたいに吐いちまって……」
 滝川の体に力が入ったのがわかった。こわばっている感触が手の平から舞に伝わってくる。滝川の言葉はむりやり押し出すようなものに変わった。
「わかってんだ……こんなことじゃこの先戦車兵やってけねえって。下手すりゃあっさり御陀仏だって……わかってる。わかってんだけど……」
 滝川の体が小さく震えた。
「ごめん……芝村。マジで……ごめん。俺……ホント、ごめん……」
「なにを謝る」
 舞は滝川を撫で下ろすのを止めた。はっと顔を上げた滝川を見下ろす。
「これを片付けるぞ。手伝え」
 そう言って滝川の吐瀉物を指差す。
「うん……」
 滝川は力なく答えた。

「入れ」
「……え?」
 滝川の吐瀉物を片付けた後、おもむろに告げた舞に滝川はぽかんと口を開けた。
 舞はコクピットの中を指差して、繰り返す。
「聞こえなかったのか? 入れ」
「え、でも……だけど……」
 意識しているのかいないのか、滝川は顔を泣きそうに歪める。舞はじっと滝川を見つめ、言った。
「同じ事を三度は言わんぞ」
「…………わかった」
 滝川はポツリと言って、ごそごそとコクピットの中にもぐりこんだ。
 パイロット席につこうとする滝川の肩に、舞は手をかけた。
「わっ!」
 気づいていなかったのか驚く滝川の脇をむりやり通りぬけて、舞はパイロット席に座る。
「え……あの、芝村……?」
「座れ」
 パイロット席に座っている自分の膝を指差して言う。
 滝川はしばらくぽかんと口を開けていたが、やがてすうっと顔を朱に染めて怒鳴り出した。
「な、なななな、なな何言ってんだよぉぉぉっ!?」
「何を言ってるもなにも、座れといっているのだ」
「なっ……だから、なんで俺がお前の膝の上に座んなきゃなんねえんだよ!?」
「それが必要だから言っているのだ。いいから早く座れ」
「や、ヤだよ俺! ンな、んなこと……ぜってーやだ!」
「……滝川。貴様、私を怒らせたいのか?」
「そ、そんなんじゃねえけど、でもやだ!」
「いいから座れ!」
「わっ……!」
 舞がひっぱったのでバランスを崩したのか、滝川が舞の方へ倒れこんできた。舞はその衝撃をやわらげるよう反射的に体の力を抜く。
「……………」
 滝川は舞の横に手をついてこっちを見ていた。顔がすぐ目の前にある。何をそんなに硬直しているのだろう、と舞は少々怪訝に思った。
「私は座れ、と言ったんだが」
「あ! ご、ごめん!」
 滝川は慌てて飛びのいた。顔をそむけ、狭いコクピットの中で必死に体を縮める。
 舞が軽く引っ張って座らせると、最初は気づかなかったようだが、舞の脚と脚が密着してはっとしたように体を緊張させた。
 また暴れ出す気配を感じ、舞はその前にと素早く言った。
「閉めるぞ」
 滝川の体が硬直する。手元のスイッチを操作すると、がたっと音がしてハッチが閉まった。
 滝川の首筋が、すうっと白くなっていくのが見えた。体が小刻みに震え始める。全身の緊張がますます激しくなって凍りつくようになっていくのがわかる。
 舞は、その体を左腕でそっと包み込むように抱きしめた。
「………!」
 滝川がさっきまでとはまた違う震え方でびくりと震えた。
 舞がそっと滝川の耳元に囁く。
「私の手を握れ」
 滝川の右手の下に差し出した舞の右手を、言われるままに滝川は震える手で握りしめた。
 さっきまで早鐘のように打っていた滝川の鼓動がゆるむのを感じ、舞はほう、と息をついた。
「接続してみろ」
 静かにそう言うと、滝川は逆らいもせず左手の多目的結晶体をソケットに接続した。
 ブウン……と音がして士魂号との接続が進行する。その間中、舞はずっと滝川の体を抱きしめていた。

 がたん、と音がしてハッチが開いた。だがそれに気づいたのかどうか、滝川はぼうっとしたように舞の膝の上に座ったままだ。
「……やはり、誰かが側にいれば少しはいいようだな」
 舞がそう言っても、滝川はぼうっと座っているだけだった。舞も気にした風もなく続ける。
「お前が閉所恐怖症を克服したと思いこんで勝手なことをした。許せ。――だが、私はお前に対する責任を果たさないような真似はしない」
 舞はいったん言葉を切ってから、言い聞かせるように囁いた。
「私はお前をパートナーに選んだ。お前の側には私がいる。お前に助けが必要な時は力を貸す。忘れるな。お前は一人で戦っているのではない。お前が戦おうとするかぎり、私はお前の傍らにいる」
 そう言ってから、舞はちょっと肩をすくめ言った。
「……ところで、そろそろのいてくれんか。脚が痛くなってきた」
「………!」
 滝川は急にガバッと立ち上がった。そして狭いコクピットの天井に頭をぶつける。
「つ〜〜……!」
 痛そうに一瞬体を曲げたが、すぐにバタバタとパイロット席から這い出て、コクピットから出かかる。
 そしてその前にチラッとこっちを見て、真っ赤な顔で早口に告げる。
「ごめん! あと、ありがと!」
 そう言うや開いたハッチから外に飛び出していった。バタバタと走り去る音が聞こえてくる。
 舞は珍しく、ちょっとあっけに取られて滝川の去ったほうを見ていたが、やがてわずかに微笑んだ。
「相変わらずよくわからん奴だな」
 そう言うと、舞はパイロット席から降りだした。


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