「それはね、よーちゃんがまいちゃんをすきだからなのよ」 あかがね色の陽のさす教室の中で、ののみはにっこり笑った。 舞はしばし絶句したのち、硬直した顔の中で唇だけをのろのろと動かし、言う。 「……なに?」 「よーちゃんは、まいちゃんのことをすきだから、あかくなったりにげたりするのよ」 夕刻の教室、ののみと二人きりになった舞はふと思いついて滝川のことをののみに相談してみた。 あのようにたびたび赤くなったりするのは滝川自身が問題を抱えているせいではないかとちょっと気になって調べてみたが、結果は体調問題なし、肉体精神ともに基本的には(閉所恐怖症をのぞけば)健康。 では他のどこに問題を抱えているのか? 一応考えては見たがさっぱりわからなかったのでしばしその事は棚上げにしておくことにしたのだが、ののみと二人きりになって、もしかしたら誰とでも仲のよいののみならばその問題を知っているかもしれないと思ったのだ。 ――それはもちろん舞もいろいろののみがなんと言うか予想していた、しかし――こういう答えが返ってくるとは思わなかった。 「……馬鹿な。そんなわけがなかろうが」 硬直から少しずつ回復し、舞は肩をすくめた。 「普通、すっ、好きな相手に対しては親切にしたりするものではないのか? 私は滝川に親切にされた覚えは――」 ――あった。 一週間ちょっと前、猫と遊んでいる滝川と話したとき、抱いてみろと猫を差し出されたのだ。 その時は結局抱けなかったのだが、滝川は猫のぬいぐるみを買ってきてやると言ってくれた。 ――いや、しかし、一回ぐらいで―― 一回だけ、というわけではなかった。 小さな事と言えば小さな事だが、滝川は何度かいつもアップルパイの舞に「食えよ」とコロッケ定食のおかずを分けてくれたことがあった。それで舞もなんとなく食事をコロッケ定食に変えて、滝川がアップルパイの時などにおかずの交換をするようになったりした。 階下に落っことしてしまった実家から送ってきた金の延べ棒を離れたところにいたのにわざわざ走って持ってきてくれたことがあった。 舞の背の届かない場所にあるスイッチに手を伸ばしていたら、ジャンプしてスイッチを入れてくれたことがあった。 ――ということは―― じゃあ、赤くなったりしていたのは―― 「あかくなったりにげたりするのは、どきどきしているしょーこなのよ」 ののみの声に、考え込んでいた舞ははっと顔を上げた。 「……どきどき?」 「すきなひとにすきっていおうかどうしようかまよっているとどきどきするのよ。まよっているっていうことはとってもすきってことなのよ。あいてにすきになってもらいたいすき″ってことなの。たかちゃんがそういってたのよ」 相手に好きになってもらいたくて、どきどきする好き″―― それはつまり、俗に言う恋愛感情″というやつではないか? そこに考えが至ると、舞の顔は自分でもよくわからないうちにかーっと熱くなっていった。 滝川が? 私のことを、好き? そんな馬鹿な。嘘だ。絶対に嘘だ。 第一、私のことを好きになる男などいるわけがない。なぜなら――いるわけがないと言ったらいるわけがない。そんなことはありえないと決まっている。 滝川が……私のような女のことを…… 「まいちゃんは、よーちゃんのことすき?」 「え?」 ののみはにこにこ笑っている。 「まいちゃんは、よーちゃんのことすき?」 舞の心臓がどきんとした。そんな事は考えたこともなかった。 そもそも自分が他人のことをどう思っているかなどは問題にもならない、自分はそもそもそういったことに関係するはずのない人間なのだから――そんな質問にはそういった答えが用意されているはずだった、が―― 「……よく、わからん」 口から出てきたのはそんな言葉だった。 「わからないの?」 「……あいつはよくわからんやつだ。強いのか弱いのかもよくわからんし、あいつが……その、私のことを、す、すすす、好きなのか、っどうかもわからん。確かに親切にしてもらったことはあるが、あれでは内心の心持ちまでは見極めがつかん。別に見極めようと思っているわけではないが、よくわからんやつに評価を下すことはできん」 赤くなりながら、途切れ途切れに話す言葉をののみは黙って聞き終えた。それから再びにっこりと笑った。 「まいちゃん、わからないことは、いいことなのよ」 「……そうなのか?」 「わからないってことはね、まだだれもいったことがないところにつづいているってことだから。いつかいきついたときににっこりわらえることもあるってことだから。そしてそこからまたつづいていくのよ。すごいことなの」 ののみは座っていた椅子からぴょんと飛び降り、とことこと数歩歩いてから振り返った。 「ののみ、もういくね」 また数歩歩いて、教室の出入り口にさしかかったところでまた振り返る。 「まいちゃん、まいちゃんのこころがめざすところにしたがってうごくのよ。それがたいせつなの」 またにっこり笑って、ののみは教室を出ていった。 舞は教室に残って、ともすれば動悸がして混乱しそうになる頭を整理しながら考える。 自分は滝川をどう思っているのだろう。 少なくとも嫌悪や憎悪が存在していないことは確かだが、それ以上のこととなるとよくわからない。 そう、よくわからない――だからこそ自分は滝川をパイロットの相棒に選んだのだ。 気になって、知りたいと思って。もしかしたら見極められるかもしれないと思ったから。 滝川に感じる何かがなんなのか、わかるかもしれないと思ったから。 今のところはそれはまだよくわからない。だが――なんとなく、よくわからないがまあいいか″というか、不分明なところをとりあえず置いておいて好意に似たものを持ったことはあった。 ――では、自分は滝川に好意を持っているのだろうか? そんな問いが頭に浮かんで、舞は真っ赤になってぶるぶると激しく頭を振った。 ――いや、違う! 違うったら違う! 自分がそもそも他人を……その、好きになるなどということがあるはずはないし、第一あのようなおっちょこちょいで頭の悪いすっとこどっこいな輩―― だが訓練に熱心で努力を忘れない、何かを自分に感じさせる奴。 舞は混乱する頭を御しきれず、その場にしゃがみこんだ。 なんでこんなことで自分が思い悩まなければならないのだろう。 そうだ、第一滝川が私のことを好きだなどとは決まったわけでは全く、全然ないではないか。ただののみがそう思ったと言ったにすぎない。 そうだ、私のような女を好きになる男などいるはずがないではないか。 そこまで考えた時、教室の扉ががたんと音を立て、舞は文字通り跳びあがってそちらの方を向いた。 「……滝川……」 そこには滝川が立っていた。 滝川はちらりとこちらを見て、またすぐ目をそらした。 「こんなところにいたのかよ」 また視線を舞に戻した。 「ちょっと、話、あんだけど。時間、いいか」 滝川の顔は夕陽にひどく赤く染まっていた。 |