お嬢様、お茶をどうぞ
0.人物紹介&あらすじ
 
▽妖怪ネットワークヴァルハラ≠ゥらの登場人物
◆カエデ・グスタフ・クスノキ(戦乙女/ネットワークリーダー/超絶お嬢様)
◆ライアス(ゴーレム/無敵の執事/絶対防御能力)
◆オリス・エラール(時計の付喪神/妖具的金時計/時間操作)
◆久喜 真意(袖引き小僧/ロリ系男の娘/心の袖≠操る)

▼あらすじ
 妖怪ネットワークヴァルハラ≠ノ迎え入れられた袖引き小僧・久喜真意に、ネットワークリーダーにして超絶お嬢様の戦乙女カエデ・グスタフ・クスノキは自宅のメイドの仕事を紹介する。彼(ないし彼女)の高い家事能力と、男女どちらともつかない儚げな容姿を見込んでのことだ。
 彼女に執事として仕えるゴーレム・ライアスと彼女の持ち物と自らを任ずる時計の付喪神オリス・エラールは新たな同僚を快く受け容れるが、真意の仕事ぶりを見るうちにライアスの心に影が――
 カエデお嬢様を取り巻く面々と新入り妖怪真意の出会いを描いた掌編。

1.某月某日、カエデ宅――

 すなわち、カエデ所有の七十階建てのビルの最上階。その財力で現代に蘇らせたロココ様式によってきらびやかに装飾された部屋の一角、春の午後の日差しがさんさんと差し込むティー・ルーム。
そこで優雅にお茶を楽しんでいたカエデ・グスタフ・クスノキは、その豪奢なほどに美しい金色の髪を人差し指でいじってから、カエデの右後ろに立ち紅茶をサーブしていたライアスに告げた。
「実はね、ライアス。新しいメイドの子を入れようと思っているの」
「は……新しいメイド、ですか?」
 カエデの執事であり、同時に各執事を統括する役目を勤めるライアスは、わずかに目を見開いて驚きを示す。
 総資産三千億、いくつもの会社を所有し、気軽に使えるお小遣い≠フレベルですでに六百億を超えるとんでもない超絶富豪であるカエデは、当然数えきれないほどの使用人を雇っている。その中には家内の家事を担当するメイドも当然いる(実際この部屋の掃除は専用のメイドが行っているのだ)。
 だが基本的にそれらはライアスか、さもなくば統括補佐のセバスが管理する存在であり、カエデがいちいち人事に口を出すことはない。むろんカエデが雇いたいというなら否やはないが、これまでカエデはそんなことを言い出したことはなかった。そもそもカエデの身の回りの世話全般はライアスか、ライアスがいない時はセバスが行うことであり、メイドたちは用事がなければカエデの前に出ることすらほとんどないのだ。
 なのでライアスはかなり驚いたのだが、執事のたしなみとしてそのような感情を主の前で見せるわけにはいかない。あくまで冷静、かつ優雅な微笑みを浮かべながらカエデに訊ねる。
「それはもちろん、かまいませんが。どのような方でしょう?」
 ライアスの問いに、カエデはどんな相手も魅了するであろう輝かしい微笑みで答えた。
「久喜真意ちゃんというの。新しくヴァルハラ≠ノ入った、袖引き小僧という妖怪の子よ」
「久喜、真意さん……その方の名前をお聞かせくださったのは、これが初めてですよね、お嬢様?」
 記憶を探っても名前を聞いた覚えがないのでそう訊ねると、カエデはにっこり「ええ」とうなずく。
 できればネットワークの妖怪の出入りは早めに教えてもらいたいなぁと内心こっそり嘆息したが、そういうことならライアスとしては納得できる話だった。カエデが唐突にヴァルハラ≠ノ新しい妖怪を入れるのはいつものことだし、その妖怪に仕事を紹介するのもいつものことだ。それがメイドというのは初めてだが。
「ちゃん付けで呼ばれるということは、女性の方ですよね?」
 メイドなのだから普通は女性だろうが、カエデは女装の似合う男には積極的に女装させる趣味があるので一応確認を取る――が、カエデはあっさり首を振った。
「さぁ? よくは知らないわ」
「え……ですが、お嬢様はその方とすでにお会いになっているのですよね?」
「ええ。でもよくはわからなかったのよ。いいのではないかしら、どちらにしても可愛いのだから」
「……はぁ」
 つまり中性的な顔立ちの妖怪、ということだろうか。カエデの眼鏡にかなうということは、やはり整った目鼻立ちの持ち主なのだろうが。
 ともかくお嬢様が人を雇いたい、というならばそのための環境を整えるのがライアスの役目である。小さくうなずき、問うた。
「承知いたしました、お嬢様。よろしければ、その方の基本情報を教えていただけますか? 戸籍をはじめとした人間としての顔と、妖怪としての能力のことですが」
「そうね、それは私よりも千住さんの方が詳しいのじゃないかしら。真意ちゃんをヴァルハラ≠ノ入れたのは千住さんだから」
「なるほど……了解いたしました。ではお嬢さま、お茶のお代わりは?」
「ありがとう、いただくわ」
 それで会話は終わった。つまり、ライアスにとってはいつもの午後だった。ライアスの世界は、いつも通りにごく平穏なものだったのだ。
 ――この時は。

2. その翌日、カエデ宅地上階、玄関――

 そこでカエデとライアスは、久喜真意を出迎えた。ライアスはわざわざお嬢様が出迎えをなさる必要はないのでは、と説得を試みたのだがカエデに「お友達が私の家に仕事に来るというのに、最初くらい出迎えないでどうするの?」とあっさり退けられたのだ。
 この七十階建てのビルはもちろん基本的にはカエデの住居として建てられたものだが、階下のスペースを遊ばせておくのももったいない、ということで下の方には系列会社がいくつも入っている。なのでそれらに煩わされないようカエデ宅に向かうためには専用の玄関とエレベーターを使うことになっていて(というか、それ以外の方法では行けない)、そこは二十四時間態勢で警備員が厳重に警備を行っていた。
 つまり新しい使用人を雇い入れた時には、ライアスなりセバスなり、責任者がその使用人と警備員たちの面通しをしておかなければならないのだった。
「はじめましてっ、久喜真意でーっす! よろしくお願いしまーっす!」
 カエデに紹介された小さな妖怪が、明るく挨拶をしてぺこりと頭を下げる。その様子を、ライアスはいくぶんかの驚きをもって観察した。
 外見年齢はせいぜいが十二歳程度。もっとも妖怪のことだからこれは当てにはならない。黒髪、黒瞳、琥珀色の肌、と人種はどう見ても大和民族だったが、いきいきと輝く瞳はぱっちりと大きく、可愛らしく整った鼻と口はそれを引き立てるように小作りにまとまっていて、日本人形というよりは和製の着せ替え人形のような、たいていの人間に訴えかけるであろうあどけない可愛らしさを持っている。
 確かにカエデの眼鏡にかなうだけのことはある顔立ちだ――が、ライアスを驚かせたのはその性別だった。
 男なのか女なのか、さっぱりわからない。いや確かにこの年頃ならば男女どちらかわかりにくい顔立ちであることもままあるが、今ライアスは(事前に断りを入れて)相手のオーラを見ているというのに、それでも男女どちらか判別ができないのだ。
 改めて、きちんと見定めようと気合を入れて観察をし直す。
 身長は140p強、きゃしゃな体つきなので体重はせいぜいが30s台の半ば、というところか。服装は下がズボンのセーラー服というもので、男児が着用するには珍しいものではあるがおかしいというほどでもない。やや古びたものではあるが、きちんと洗濯された清潔なものであるのは確かに見て取れた。
 だが、男女どちらなのか、というのはどうにも判別がつかない。ライアスはしばし唸ったが、カエデが笑顔でこちらを示したのではっとして姿勢を正す。
「真意ちゃん、こちらはライアス。私の執事統括役を務めてくれているのよ」
「おおー、噂にはお聞きしてますっ。絶対防御能力の持ち主のゴーレムさんなんですよねっ」
「いえ、そこまで大したものではないですよ。改めまして、はじめまして真意さん。カエデお嬢様の執事統括役を務める、ライアスと申します」
 にっこり笑顔で手を差し出すと、にっこり笑顔を返されて、「はじめましてっ」と子供のように元気よく、ぎゅっと手を握られぶんぶんと振られた。
子供のようにあどけない妖怪だな、とちらりと思う。まぁ、袖引き小僧ということだから(昨晩ネットで軽く調べた)妖怪としての成り立ちからして当たり前なのかもしれないけど。
「そしてこちらがオリス。時計の付喪神なの。普段は私の時計をしているけれど、いざという時にはいろんな妖術で手助けをしてくれるのよ」
「オリス・エラールだ。よろしく。まぁ、お嬢様の持ち物だと思ってくれればいい」
 カエデに懐から出されても時計の状態のまま、いつも通りにぶっきらぼうな声でオリスが言うのに、真意は明るく「うん、よろしくねっ!」と答える。本当に子供のようにあどけない笑顔で。
 これでちゃんと仕事ができるのかな、と危ぶむ心がちらりと兆したが、カエデは気にした風もなくにっこりとその豪奢な笑みを炸裂させる。
「さ、じゃあ早く警備員さんに真意ちゃんを引き合わせて家に戻りましょう。とりあえずメイド服を五百着ほど用意したから、一番好きな服を選んでね。今日は」
「五百着って……あと今日はって……カエデお嬢様らしーなー。いいけどさ」
 真意はくすっと笑ってカエデの後につく。一瞬む、と思った。カエデのこういった言動になんの抵抗もなく馴染める者はさほど多くない。
 男女どちらなのかわからないけれど、もしかしたら、有能な人? 材なのかもしれない――というライアスの予測は、ある意味大当たりだった。
 真意はしばしの着せ替えののち、五百着の中からわりと地味な一着を選んで、ライアスの「とりあえず、お掃除をお願いしますね」という言葉に「はーい!」と元気よく答えてから掃除に入った――とたんに、ライアスの目を瞠らせた。
「うわー、キッチンきれいに掃除してありますねー。これならスポンジと台所用洗剤で充分ですねっ」
「わー、トイレもきれい……あ、でもちょっとだけ便器に尿石汚れがあるかな? 1000番と1500番の耐水ペーパーありますかー?」
「ここらへんの壁は大理石なんですねー。このくらいなら、ポリバタキでホコリ取ってから絞ったふきんで拭けば大丈夫かなっと」
「絨毯そろそろ拭き掃除いりますねー……今日は天気もいいし、やっちゃいますか! 洗剤薄めたので絞ってー、起こし拭きしてから清め拭きっ!」
 とそんな調子で、初めて来た家だというのにおじける風もなく、どの場所もてきぱきと的確な掃除を行う。手足の動きもよどみやたるみが微塵もない。この少年(だか少女だかわからない見かけの妖怪)、家事の玄人だ。
 のみならず、とりあえず(初日ということで)監督役としてついて回っていたライアスが、
「そろそろお嬢様のご昼食のご用意をしなければならない時間なので……」
 と言うや、にっこりこんといかにもあどけなく善意に溢れた顔で
「あ、それだったら僕もお手伝いしていーですか? 僕料理好きだしっ」
 と笑うので、(今日会ったばかりの人間にカエデお嬢様の口に入るものを創らせることにいくぶんかの抵抗を覚えながらも、カエデお嬢様が雇い入れるほど信頼なさっている方なのだからと)一緒に料理をしてみても、また目を瞠らされたのだ。
「わ、オマールにコライユがある、ラッキー♪ ライアスさーん、ポッシェしちゃっていいですか? せっかくだから飾りに使いましょっ」
「オマールの殻を〜、炒めてコニャックでデグラッセ〜、この鮮度なら煮込むのはっと、とりあえず十九分!」
「あ、ねーねーライアスさん、このテリーヌちょっとレシピいじっていーですかっ? 八丁味噌を使ったけっこーおいしいレシピがあるんですよー」
 ……できる。調理をしながら、ライアスの額から汗が一筋垂れた。
 一緒に調理場に立って、はっきり認識した。彼(ないし彼女)の調理能力はプロ並みと言っていい。のみならず、洗い物や厨房内の掃除が楽なように調理を行い、調理中も暇を見てそういった作業をこなしていくあたり、主婦としてのスキルも高い。
 ひそかに神経を張り詰めさせながら調理を終え、お嬢様に料理をサーブする。その間も、真意はでしゃばらないように、かつちょうどいいタイミングでサポートを行ってくれた。
「あら? ライアス、あなたテリーヌのレシピを変えたかしら?」
 テリーヌを口に含むや、カエデが首を傾げて言うのに、一瞬言葉に詰まってから微笑みを浮かべて答える。
「ええ、実は真意さんが新しいレシピを教えてくださいまして。一緒にお作りしたのですが、お口に合わなかったでしょうか?」
「いいえ、とてもおいしいわ。今まで食べたことのない味。これは隠し味が決め手ね。とても特徴的な風味の……味わい深い、でも後口はしつこくない……なんなのかしら、これは?」
「あはは、さすがカエデお嬢様、口が肥えてるね〜。それの隠し味、実は八丁味噌なんだっ」
「まぁ、八丁味噌! どうりで初めて食べた味なわけね。とてもおいしいわ、ありがとう、真意ちゃん」
「いえいえー、おいしく食べてくれたら身に余る光栄っ」
「ライアス、このレシピ、記録しておいてくれるかしら? また食べたい味だわ」
「……はい。承知いたしました、お嬢様」
 ライアスは視線を合わせ、微笑みを交わすカエデと真意を見ながら、優雅に微笑んでうなずいた。カエデお嬢様の執事たるもの、お嬢様にみっともないところは一瞬たりとも見せるわけにはいかないのだ。
 かといって、心中も外見と同じように穏やかだとは、まったくもって言い切れなかったが。

3. その夜、カエデ宅、執事控室――

「お嬢様は、僕よりもあの子の方がよくなったんだろうか……」
 オリスの体を磨きながら、半ば独言するように下りてきたライアスの呟きに、オリスは答えるべきかどうか一瞬考えてからこう言った。
「愚痴を聞かせたいなら愚痴を聞いてくれと最初から言ったらどうだ、ライアス。それなら僕の体を磨いている間ぐらいは聞いてやる」
 別にオリスの存在に必要な整備行為というわけでなく、厚意でオリスの体を拭いてもらっているのだし、そのくらいはしてもいいだろう、というオリスにしては珍しく親切心を発揮して言った言葉に、ライアスは慌てたようにぶるぶるぶると首を振った。
「まさか! そんなことを考えるわけがないだろう、僕はお嬢様のおそばにお仕えできるだけでこれ以上ないというくらいに幸せなのに!」
「そうか」
 とてもそういう風には見えなかったが、とは言っても無駄だろうから言わずにあっさりそうスルーすると、急にうつむき、ぽつぽつと呟き始める。
「ただ……もし、僕の存在がお嬢様にとって不要になったなら、きちんと御前を退かなければならないと、そう考えているだけだ。僕が今ここにいるのは、カエデお嬢様がここにいていいと、お許しをくださったからなんだから。僕の存在は、指一本髪の一筋まで、すべてカエデお嬢様のためにあるもので、だからもしカエデお嬢様が僕などいらないと、そう思ったら、僕は……」
「普通に考えてあのお嬢様が新顔が増えたくらいでお前を追い出すとは思えないが」
「わかってる。お嬢様はお優しい方だから、僕が不要になったとしてもおそばに置いてくださるだろう。けれど、僕は、少しでも、カエデお嬢様のお役に立てる存在でありたいと、そう、身勝手な願いを……」
 駄目だなこれは、とオリスは磨かれる間愚痴を聞かされ続ける覚悟を決めた。自分がどう説得したところでライアスがほしいのは自分の言葉じゃないのだろうし、それに使われる存在として主のそばに在りたいという考え方については、それこそ自分がどうこう言えた義理じゃない。

4. 翌朝、カエデ宅、食堂――

「ライアス。今日は外出することにするわ」
 朝食を取りながらカエデが言った言葉に、ライアスは小さく目を見開いた(ちなみに当然今朝も真意は出勤し、その調理と家事の腕前を発揮している)。
「外出、ですか。どちらに行かれるのでしょう? 場所によって持ち歩くものが変わりますので、できれば教えておいていただけると」
「それは気にしなくていいわ。真意ちゃんとちょっと出かけるだけだから」
「…………――――」
 がーん、を絵に描いたような表情をごくごくわずかな間ライアスは浮かべたが、すぐに穏やかな笑顔になってカエデに答える。
「かしこまりました。お迎えは何時頃にいたしましょう?」
「あら、駄目よ、迎えに来てしまっては。だって今日行くところは、私と真意ちゃんだけの秘密ですもの。ね?」
「ねー?」
 にっこり笑顔を交わすカエデと真意に、ライアスの顔色は少しずつ白くなっていくが、表面上はあくまで優雅に涼やかに、執事としての礼を失さずに返答する。
「ですが、お嬢様に公共の交通機関をご利用いただくのは我々としては」
「ふふ、ライアスは心配性ね。大丈夫よ、電車ならば前に利用したこともあるのだから。それに今日はいい天気ですもの、こんな天気ならば歩くのも悪くはないでしょう?」
 にっこりと、豪奢に優美に優麗に、それでいて可愛らしく微笑むカエデに、ライアスは同じように微笑んで答えた。――顔色が真っ白なのを全力で無視して。
「承知いたしました、お嬢様」

「……はああぁぁぁぁぁ………」
「…………」
 深々とつかれたライアスのため息を、オリスは無言で聞き流した。聞きとがめたところで意味がないし、どうしたどうしたと事情を聞いてやるなど無駄でしかないと理解していたからだ。
「………はあああぁぁぁぁぁぁ…………」
 ライアスにとってカエデは主であり、唯一無二の存在意義だ。つまりカエデの態度ひとつでライアスは揺さぶられるということ。
 ライアスにはそれをカエデに伝えるという選択肢は存在しない。ライアスは自身をカエデの執事――環境を整えるものと認じているからだ。
カエデの命を、あるいは体を、あるいは心を、害するもの損なうものを、全力で排除しカエデの生活を守る。それがたとえ自身の心だったとしても。
「…………はああああぁぁぁぁぁぁぁぁ……………」
 だからこれはライアスにとってはただの愚痴であり、ノイズであり、本来ならば存在を認められない感情だ。
 だが認めようと認めまいと感情というものは存在するし、さまざまな方法で自己を主張する。だからライアスがこうしてカエデのあずかり知らぬところで感情を排出するのは、ごくごく自然な精神活動であり、むしろライアスの精神のバランス感覚を示すものである。が。
「……ライアス、一応忠告しておくが、恵まれない孤児たちでも呼ぶ予定がないのなら、それ以上料理を作るのは食材の無駄だと思うぞ」
「はっ!? 僕としたことが!」
 それはそれとして周囲にはとっても迷惑な行為には違いないのだった。
「ああ、こんなにいっぱい料理を作ってしまった……一度にたくさん作った方がおいしい料理とはいえ、こんなに作ると食材がもったいない。僕は執事としてまだまだ未熟だな……とりあえずもう一度部屋中を磨きあげることにしよう」
「おい、ライアス……」
 ふらふらと厨房を出て行くライアスに、オリスはなにか言ってやろうかと思ったが、やめた。ライアスは自身をカエデの執事だと自分で認定しているのだし、それについて横からどうのこうの言うのは余計なお世話の無駄なことでしかない。

5. 夕方、カエデ宅、玄関――

「お帰りなさいませ、お嬢様」
 ライアスはいつもと同じ穏やかな微笑みを顔に浮かべ、優雅に一礼してみせた。それに対し、カエデは(後ろに真意を伴いつつ)いつものようににっこりと笑ってうなずいてみせる。
「ただいま、ライアス」
 その笑顔に、ライアスは心の中で幸福のため息をつく。ああ、やはり、僕は世界一幸せな執事だ。こうしてお嬢様に、ただ一人の主にお仕えすることができるのだから。
 そう、たとえいつか、もう不要だと放り出されてしまったとしても――
「ねぇ、ライアス」
「はいっ!」
 即座にぴしっと姿勢を正して答えると、カエデは珍しく少し慌てたように手を振った。
「いえ、そんなにかしこまるようなことではないのよ。ただ、ちょっと聞きたいことがあって」
「承知いたしました、なんでしょう、お嬢様。お嬢様のご質問ならどんなことであれお答ええいたしますが」
「ええと……ね。あの……」
 さらに珍しいことにしばし言葉を濁してから、意を決したように口を開く。
「あなた……手作りの、できのよくないプレゼントなんて、いらないわよね?」
「は?」
 唐突な言葉に、思わず小さく口を開ける。
「いえ、あの……お嬢様? なにをお聞きになりたいのか、僕にはよく」
「いらないわよね?」
 にっこりと威圧感たっぷりの笑顔で迫るカエデ。その意図がさっぱりつかめないながらも、ライアスは微笑んで首を振った。
「いえ。そのようなことはありませんよ」
 少なくとも、カエデが否定してほしがっているのはわかったからだ。
「そ……そう。そうなの……」
 カエデは困ったように髪をいじっていたが、やがてつんつんと真意に肘でつつかれ、ふぅ、と優雅にため息をついてから、意を決したようにライアスに歩み寄った。
「ライアス。これ、受け取ってもらえるかしら?」
「……え?」
 ライアスは目をぱちぱちさせて、差し出されたものを見つめた。赤いリボンとモスグリーンの袋でラッピングされたそれは、どこからどう見ても。
「プレゼント……です、か?」
「ええ……一応、私がラッピングもしたのだけれど」
「カエデお嬢様がっ!?」
 ライアスは思わず叫んでしまった。凄まじいほどのお嬢様であるカエデは、当然ながら自分でラッピングをすることなどまったくと言っていいほどない。そんなことをせずとも、視線を少し動かすだけでプロが飛んできてこの上なく整ったラッピングを施してくれるからだ。
 なのにわざわざカエデお嬢様御みずからラッピングをされたということは――
「もっちろん、中身はカエデお嬢様手作りだよっ」
 ひょいとカエデお嬢様の後ろから顔を出し言う真意に、カエデは「真意ちゃん!」とまた慌てたような声を出したが、真意はかまわず楽しげに続ける。
「実はさー、せっかくカエデお嬢様のところで働けるよーになったんだからさっ、せめてライたんとオリりんぐらいにはお近づきの印になにかプレゼントしたいなーって思ったんだよね、僕びんぼーだから手作りのものになるんだけど。カエデお嬢様に相談したら、いろいろいい案出してくれてさ、今日一緒に材料買い物したんだけど、その時にせっかくだからカエデお嬢様も誰かにプレゼントしたらって言ったんだよ。カエデお嬢様渋ってたけど、日頃の感謝を表すためにって説得してさー。んでっ、手ずからラッピングもしてっ、こーしてプレゼントが出来上がったのでしたっ! じゃーん!」
「………………」
「そーいうわけで、僕からもオリりんとライたんにねっ。大したもんじゃないけど場所取るものでもないから」
「……ボクにもか? ……まぁ、一応もらっておくか」
「………………」
「どーしたのっ、ライたん。せっかくカエデお嬢様が手作りのプレゼント渡してくれてるのにー」
 その言葉にはっとしてライアスはカエデを見た。カエデは(やはり相当に珍しいことに)ひどく決まりが悪そうな顔でプレゼントを差し出している。
 ライアスはぐ、と奥歯を噛み締め、プレゼントを受け取り、執事としての礼を失しない程度に微笑んだ。
「ありがとうございます、カエデお嬢様。この上ない光栄です。……ですが」
 一瞬、ごく小さく、外からは聞かれない程度に唾を飲み込んで訊ねる。
「なぜ、僕に?」
 その問いに、カエデはきょとん、とした顔になった。
「だって、ライアスは私の執事ですもの。日頃の感謝を表すとなったら、あなたに渡すのが当然でしょう? ……もちろん多くの人に渡せればそれにこしたことはないのでしょうけれど、私あまりこういうことに慣れていないから、ひとつしか作れなくて……」
 また決まりの悪そうな顔になるカエデ――その顔をじっと見つめるライアスの瞳から、ぽろり、と涙がこぼれた。
「!? どうしたの、ライアス!?」
「いえ……なんでもありません。ただ……僕は、馬鹿だったなぁ、と」
「………?」
「ありがとうございます、カエデお嬢様。一生大切にします」
 にこっ、と心底からの笑顔で言った言葉に、カエデは(これまた珍しくも)少し照れくさそうに微笑んでから、からかうように言った。
「私たちの一生だと、死ぬよりも先に物が擦り切れてしまうのじゃないかしら?」
「あ、そ、そうですね……でも、生まれ変わる時ぐらいまではもたせてみせますよ」
「あら、それじゃ人間より短くなる可能性もあるのではない?」
「そんなぁ……ひどいですよ、お嬢様」
「ふふ」
 そんな風に微笑みあう仲睦まじい主従を見つつ、真意はうんうんとうなずいている。
「うんうん、よかったよかった。二人がますます仲良しになってなによりなにより」
「…………」
 それを横目で見て、オリスは『こいつ実は最初からこういう展開狙って仕込みしてたんじゃないか?』と思ったが、口に出すのはやめた。
 口に出したところで無駄だろうし、意味がないし、それに第一オリスとしても、この結末に特に不満はなかったからだ。

 ………で、そこで終われば美しい話ですんでいたのだろうが。

6. そしてその直後、カエデ宅、第八衣装室――

「……あの、カエデお嬢様」
「なにかしら? ライアス」
「なぜこういう話の流れで女装しなければならないのでしょうかっ!?」
 カエデ直々にメイクを受けながらのライアスの切実な叫びに、カエデはにっこり笑って答えた。
「だって、早くプレゼントを着けたところが見たかったんですもの」
「え……?」
「私たちのプレゼントは、女性用のヘアアクセサリーなの。こういう一点ものの手作りアクセサリーって、上手に使えばぱっと目を引いて、とっても可愛くなるものなのよ?」
 ですから、僕は可愛くなりたいわけではまったくもってないんですが……という真情を涙目のライアスが語るなど当然ながらできはしない。
「……最初からこういうオチに持っていくつもりだったのか」
 じろり、と慣れた手つきで自分のメイクをしている真意を(さすがにツッコミの必要性を感じ)睨んだオリスに、真意はにっこーと笑顔を浮かべる。
「だって、カエデお嬢様が女装用のプレゼント贈りたいみたいだったんだもん。そこは気を利かせてあげるのがメイドとしてのたしなみかなーって」
「……そうか」
 こいつ今絶対心の中で腹抱えて笑ってるな、と確信しつつオリスが肩をすくめると、メイクの終わった二人を眺めたカエデはにっこり笑い、嬉しげにぱんと手を叩いてみせた。
「まぁ、みんなとっても可愛いわ。これは写真を撮っておくべきね? 心配しないでいいわ、カメラマンと機材の手配は済んでいるから」
「お、お嬢様、それは、あの、あまりに……」
「あら……嫌かしら?」
 カエデは悲しげな表情になって首を傾げてみせる。そのどこか寂しげな表情に、もはや脊髄反射の勢いで、
「いえ、カエデお嬢様がお望みになるのでしたら、喜んで空の星も取ってまいりますよ」
 と涼やかな笑顔で背筋を伸ばして言い切ってしまうライアスはまさに執事の鑑といえよう。
「まぁ、よかった! 喜んでくれて嬉しいわ。さ、メイクの仕上げをしなくてはね。もっともっと可愛くしてあげるから安心して」
 ぐったりとうなだれるライアスにオリスは肩をすくめ、なにか慰めの言葉をかけるべきか思案した――が、すぐにやめた。どうせなにをしてもライアスにとってカエデが至上の存在なのは絶対的に変わらないのだ、それに横から水を差すのはよけいな世話でしかないだろう。

 そうしてカエデが満足するまで写真を撮ったのち、ライアスたちの一日は終わった。終わってみればいつも通り、ここ数日心を悩ませていたことごと、カエデお嬢様に振り回されて終わった日だ。
 だが、ライアスたちがその毎日を許容、というよりは当然のこととして考えているのも、これまた絶対的に確かなことなのだ。
 だからライアスは、翌朝いつも通りに朝五時から朝食の仕込みを始め、テーブルを整え、朝の支度を完璧に終えたのちカエデを起こす。服を準備し、身支度を手伝い、カエデの世話に全力を注ぐ。
 そして、朝食をサーブし、食後にはお茶を淹れるのだ。
「お茶が入りました、お嬢様」
「ありがとう、いただくわ」
 そんなささやかな当然を、至上の幸福として。