『やっほーっ!』 やっほーっ。やっほーっ。やっほーっ。やっ………。 返ってくる山彦に耳を傾けて、隼人と巴はぐっとガッツポーズを取った。 「よっしゃ、八回達成! まだまだ腕は鈍ってねぇな!」 「久々だったからちょっと心配だったけど、さすが私! 伊達に生まれた時から山彦聞いて暮らしてないね!」 「あっこら巴、さりげに俺無視すんじゃねぇよ! 俺の方が山彦返ってくる回数多かったんだからな!」 「なに言ってんのはやくん、私の方が多かったってば! 聞き違えたんじゃないの?」 「んなわけねーだろ!」 「まぁまぁ、二人とも。そんなこと言ってる間に、滑ってきたら? せっかくのスキー教室なんだからさ」 「……それもそうだな」 天野の言葉に隼人はゴーグルをつけ、スキー板を装着した。久しぶりの雪山だ、うんと滑って堪能しなきゃもったいない。 せっかくのスキー教室なんだから、楽しまなくっちゃ。 巴と顔を見交わして笑いあい、スキーは初心者だという天野や小鷹と別れてリフトへと向かう――その途中でばったりリョーマに会った。 「ここにいたんだ?」 いつもの無愛想な顔で言ってくるリョーマに、隼人は軽い口調で答えた。 「なんだ、リョーマか。なんの用だよ?」 「一緒に滑らない?」 「ああ、別にいいぜ。リョーマが俺らについて来られるんならな!」 「ふ〜ん。ずいぶん、自信ありそうだね」 「当たり前だろ、俺ら岐阜の山育ちだぜ。……いいよな、巴?」 「えー、いいけど……私、ここは気を利かせるべきとこかな?」 『は?』 「だから、はやくんとリョーマくんを二人っきりにしてあげた方がいいのかな? って」 『……はぁ?』 隼人とリョーマは困惑の声を上げた。 「なに言ってんだよ。俺たちが二人っきりになるとなんかいいことでもあんのか?」 「なに考えてんの?」 「えー、だってはやくんとリョーマくんが二人でいるといっつも私置いてきぼりになっちゃうんだもん。疎外感感じるっていうかさー」 『はぁぁ?』 隼人とリョーマはそれぞれ当惑した表情になって、口々に巴に言う。 「置いてきぼりもなにも……変な奴だな。俺ら別にお前仲間外れにした覚えないぜ? なぁリョーマ」 「別に、赤月が気にすることじゃないと思うけど?」 「うー、ならいいけどー」 巴は仏頂面をする。だが、隼人はこの時は『珍しいな』くらいにしか思わなかった。 「よ〜し、思いっきり滑るぜ!」 「滑るのはいいけど……どのコースにする?」 「中級者コースと上級者コースがあるのか……そりゃ上級者コースだろ!」 「うん、伊達に山育ちじゃないもんね!」 「ふーん、そう。じゃあ、一緒だね」 「リョーマ、上級者コースで平気なのか?」 「当然。じゃ、行こうか?」 「おう」 リフトに乗って高いところまでやってくると、リョーマがにっと小さく笑いを浮かべて言ってきた。 「ただ滑り降りても面白くないから、競争しようか?」 「なんだよ、いきなりレースかよ」 「なに? 自信ないの?」 「そんなわけねぇだろ! リョーマなんかには、負けねぇぜ。いいよな、巴?」 「……いいけど」 「なんだよ、まだ怒ってんのか?」 「別に怒ってるわけじゃないですよーだ」 ぷい、とそっぽを向いてしまう巴に首を傾げながらも、隼人はリョーマと向き合った。 「じゃあ、いいね。さっきのふもとまで、先に着いた方が勝ち」 「ああ、いいぜ。じゃあ……よーい、スタート!」 言うや全員がほぼ同時にスタートを切る。先頭は隼人だった。その恵まれた体格を活かして、どんどんと雪を蹴って前に進む。 だがすぐ後ろにリョーマがぴったりついてきているのもわかっていた。スキーにもスリップストリームなんてものがあるのかどうかは知らないが、その小さな体をうまく使って隼人の影に隠れ、スムーズな体重移動で(背後の雪の音でわかるのだ)ついてくる。ラストでこちらを追い抜くつもりだろう。 隼人はにやりと笑った。上等! 俺を抜けるもんなら抜いてみやがれ! 体全身のバネを使ってぐんぐんと速度を出す。リョーマがぴったりついてくるのはわかったが、抜く暇もないほど速く駆ければいいだけのことだ。隼人は全力で雪上を駆け―― 数分経つかたたないかのうちにゴール地点を駆け抜けていた。 「よっしゃあ! 俺の勝ちだぜ!!」 「……今の、微妙だったんじゃない?」 隼人のすぐ後ろでじゃっと止まり、リョーマが面白くなさそうにに言う。隼人はふふんと胸を張った。 「微妙だったけど、俺の方が先だったぜ!」 リョーマはムッとしたようにわずかに顔をしかめたが、すぐにいつものぶっきらぼうな顔に戻り偉そうに言う。 「……ま、しょうがないかな。さすがは山ザル、山ではイキイキしてるよね」 「ぁんだと、コラ!?」 「本当のことでしょ? 山奥で育ったから、雪山とか得意だよね。あんまり、はしゃぎすぎて、自然に帰らないでよ」 「ぬうう〜」 睨み合う隼人とリョーマ。そこにしゃっと紅いスキーウェアの影が通り過ぎた。 巴だ。 「っと! なんだよ巴、遅かったじゃん。いつものお前ならもっと早くこれたんじゃねぇの?」 「途中からゆっくり来たもん」 「はぁ? レースの真っ最中だってのにか?」 「……お前らしくないね」 「だってさー。はやくんとリョーマくん二人で盛り上がっちゃってさ。私二人の間だといらない子なんだもん」 『はぁ?』 「お前なー、なに拗ねてんだよさっきから。なんかやなことでもあったのか?」 「こんなことで不機嫌になられても困るんだけど?」 隼人とリョーマが口々に言うと、巴はむぅっと口を尖らせて言い返す。 「二人とも覚えてないの?」 「なにがだよ」 「クリスマスの時!」 「はっきり言ってくれないとわかんないんだけど?」 そうリョーマが言うと巴は頬を膨らませて大声で言った。 「クリスマスパーティのあとリョーマくんが部屋に戻ってはやくんのプレゼント受け取ったら、なんか二人ですごく盛り上がってたじゃない! 私のプレゼントはものすごく嬉しくなさそうな顔して受け取ったくせしてー!」 「はっ? ば、バッカお前、あれはなぁ……!」 隼人はかっと顔を赤らめた。別に盛り上がっていたわけじゃない。ただ、リョーマが珍しくにやにやしながら『これ、お前?』って言ってきたから、なんだか恥ずかしくなって『そんなの別にどーでもいいだろ!』って言っちゃっただけで。それからしばらくリョーマにからかわれて、恥ずかしながら過剰反応してしまっただけで。 別に盛り上がるとかそういうんじゃ―― 「……ていうか、あれはお前のプレゼントに問題があったと思うんだけど」 むしょうに恥ずかしい隼人をよそに仏頂面でそう言うリョーマに(わずかに耳が赤くなっていたのには隼人は気づかなかった)、巴はむっとした顔で言い返す。 「どこに問題があるわけー!?」 「男にぬいぐるみっていうのは百歩譲っていいとしても、ぬいぐるみの選択どうかと思うけど。狸の信楽焼き風ぬいぐるみなんて、はっきり言って部屋に置きたくないし」 「ひっどー! 手塚先輩と一生懸命選んだのにっ」 「……手塚先輩も選んだわけ?」 「そーだよ、『お前がそれを選ぶのなら越前もおそらくは受け容れるだろう』って言ってくれたし!」 「それあからさまにこれじゃ喜ばないって言ってると思うんだけど」 「なにそれー!」 言い合う巴とリョーマ。隼人は我に返ると、二人の間に割って入った。 「二人とも落ち着けって。こんなとこで喧嘩すんなよ」 なんか俺がリョーマとの喧嘩の仲裁なんて初めてな気がすんな、普段はいっつもされる側なのに、と思いつつ宥める仕草をすると、巴にじとっとした目で睨まれた。 「はやくんだってなーんか最近私のことないがしろだよ」 「はぁ? 別に俺は……」 「嘘ばっか。話してる時とかさ、明らかにリョーマくんとの時の方が楽しそうなんだもん。なーんか女の子のこと疎外してるなーって感じするよねー」 「んなっ、別にそういうわけじゃ」 「いーんだけどー別にー。なんっか面白くないよねー」 「だからなぁっ……」 「スキー場で、もめごとか?」 『っ!?』 手塚の声!? と全員思わず振り向くと、そこに立っていたのは桃城だった。後ろには天野も一緒にいる。 「……なんだ、桃城先輩か」 「おいおい、なんだとはご挨拶だな。お前ら、また揉めてんのか? つか、巴が一緒なのに珍しいな」 「……別に、揉めてないっス」 「……ちょっと、スキー勝負してただけっスよ」 「お、そっか! やっぱ、なんでも勝負にしたほうが燃えるよな!」 「でも、気をつけたほうがいいよ。あと一時間半でいったん集合だから。滑るのに熱中しすぎないでね。あ、リョーマくん、朋ちゃんが探してたよ、一緒に滑りたいって」 「面倒くさ……」 「リョーマくんってばそんなに邪険にしないでもいいじゃない! 恋する乙女の可愛い行動を! ……まぁ、そりゃ、朋ちゃんは恋する乙女にしては行動がちょっと、いやかなりアグレッシブだけど」 「……巴ちゃん、朋ちゃんを擁護してるんだかけなしてるんだかわからないね」 「あははは、まぁ女の子の友情って難しいんだよね!」 巴は見違えるように天野たちと明るく話している。機嫌が直ったのかな、と思いつつ様子をうかがうと、ちらりとこっちを見た時にすぐふいっとそっぽを向かれてしまった。まだまだ不機嫌は継続中らしい。 なんなんだろーなーと隼人はため息をつきたくなった。巴の気持ちが、よくわからない。 今までこんなことは一度もなかったのに。 巴の不機嫌はさておいても、隼人たちはたっぷりとスキーを楽しんで、それから食事をして風呂に入った。食事をしてからはいつも通りの三人――隼人、リョーマ、天野の三人での行動だ。 「……いやぁ、それにしてもいい風呂だったな! スキーで疲れたあとの風呂は、また格別だな!」 「そうだな」 「あはは、なんだかその言い方っておじさんみたいだよ」 「あ、こら騎一っ、お前だって風呂に浸かった時『ぷっはぁぁ……』とか言ってやがったくせにっ!」 「あは、うんそうだったね、ごめん。でも二人とも、本当にお風呂が好きなんだね」 「まぁ、気持ちいいしな! 疲労回復には風呂だぜ!」 「確かにね」 リョーマともこの件では意見が一致するのだ。疲れた体をすっきりさせるには、なにをおいても風呂だろう。 「メシも食ったし、風呂にも入ったし……あとは寝るだけか。……ん? どうした、リョーマ。急に立ち止まって」 「ほら、あれ……娯楽室だって」 「あ、ホントだ」 リョーマが指差した先には確かに『娯楽室』と書いた看板が下がっていた。それなりに広くスペースが取ってある。 「ゲームとか、あるのかな?」 「そうだなぁ……このまま寝るのも寂しいし、いっちょ行ってみっか!?」 「そうだね」 苦笑する天野を引っ張って娯楽室に入った隼人たちは、思わず唖然とした。 「……これはまた、すごいな。古いゲームが置いてあるのは予想してたけどよ……」 「こんなに古いゲームは、見たことがないな。おまけに、ほとんどの機械に故障中の張り紙が張ってあるし」 「こりゃあ、無駄足だったかな。遊べそうなモンがねぇぞ」 「まぁ、こういう地方のホテルの娯楽室っていうのはたいていそうだよ」 だから天野はあんまり気が進まなそうな顔をしていたのか、と頭をかくと、リョーマがにっと笑って指差した。 「いや、そうでもなさそうだよ。ほら……」 「おっ、卓球台じゃねぇか」 「せっかくだから、やってく? 卓球」 「おお、いいぜ! 俺の腕前をたっぷりと見せてやるぜ!」 にやりと笑い返してやると、リョーマは卓球用のラケットを放り投げてきた。軽くキャッチして天野の方に先にやるか? とかざしてみると、天野は笑って首を振った。 「じゃ、俺審判やるね」 「うし、じゃまずは俺とリョーマな。サービスはじゃんけんで決めるのでいいだろ?」 「別にそっちにあげてもいいけど?」 「ざけんなコラ、真っ向勝負だっ!」 そして、勝負が始まった。 「それっ! ……よし、どうだ!?」 「……にゃろう」 ポイントを取って、隼人は挑発するように笑ってみせた。 「へっへーん。これだけ狭けりゃ、ドライブBも使えまい! ツイスト・サーブだって、卓球の球くらいじゃ怖くもなんともないぜ!」 「……それっ!」 リョーマが向こうにいった球を素早くサーブしてくる。喋っていた隼人はそれを取りそこねた。 「きったねぇ! 人が話してる最中に!」 「試合中に、油断してる方が悪いね。ほら、どんどんいくよ」 球が舞い飛び、技が乱れ狂い、浴衣の裾を乱して走り回る。 「ちっ……どりゃあ!」 「それっ!」 「やるなっ!」 「攻めあるのみ」 「くらえっ!!」 何分経ったかわからないほど夢中になって打ち合い、体に疲労がのしかかってきた頃隼人は額を拭った。 「……フゥ。せっかく風呂入ったのに、汗だくになっちまったぜ。今、何対何だっけか?」 「知らない。騎一が数えてるんじゃないの?」 「あ、そうか。騎一、今何対何だ?」 隼人とリョーマに揃って見つめられ、天野はあははと困ったような笑いを漏らした。 「ごめん、途中でわかんなくなっちゃった……」 「えー!」 「ごめん、だって二人ともすごい速さで打ち合うんだもん、数えるのが間に合わなくなってきちゃって。得点板とかあればよかったんだけど」 「……ちぇっ、勝負つけたかったのになー」 「……ふぅ。まぁいいや、じゃあ、今日はこれくらいにしておく?」 同じように額を拭ってこちらを向くリョーマに、隼人はうなずく。 「ああ。これじゃあ、風呂にも入り直さなきゃいけないしな」 「そうだな。それにしても、なかなかやるね。見直した」 珍しくちょっと笑って言ってくるリョーマに、隼人はなんだか妙に嬉しくなって笑い返した。 「だろ!? まあ、リョーマこそ、俺を相手に、よくやったぜ!」 「こっちのほうが、向いてるんじゃない? テニスはヘタクソなのに」 「ぁんだと、コラ! 負け惜しみかよ」 「負けてはいないね」 「いや、負けたね。今思い出したけど、482-480だった!」 「嘘つき」 「う、う、嘘じゃねぇよ!」 「仕切りなおして、初めから勝負しようか?」 「今からかよ? もう、クタクタだしな」 「へえ、そうなんだ? 俺はまだ、10ゲームはいけるね」 「むっ! 俺はまだ、20ゲームはいけるな」 「本当は、100ゲームできるけど。……じゃあ、やる?」 「おう、望むところだ!!」 ざっと再びラケットを構えたところに、ぷっと天野の吹き出す音が聞こえた。 「な、なんだよ、騎一」 「ぷっ、ごめん、くくっ……本当になんていうか、二人ともテンポが合ってるなーって思ってさ」 「へ……テンポ?」 「……そう?」 「うん、なんていうか口を挟む暇がないって感じ。巴ちゃんがやきもち焼いちゃうの、本当にわかるなぁ」 「……はぁ!?」 隼人は思わず目を剥いてしまった。 「なんだよそれっ、なんで騎一がそんなこと知って……てゆかやきもちってなんだよ!?」 「食事前に那美ちゃんたちと一緒に、ちょっとね。……ていうか巴ちゃんのあれは誰がどう見てもやきもちじゃない?」 「……なにそれ。誰に妬いてるわけ?」 「うーん、微妙かな。基本的には隼人くんのことでリョーマくんになんだけど、逆にリョーマくんのことで隼人くんに妬いてるっていうのもあるだろうし」 「……わけわかんねぇって」 「あのさ、なんていうか……巴ちゃんにとって隼人くんはずーっと家族で、一番身近な年の近い異性だったわけじゃない? それがリョーマくんに取られちゃったみたいな気持ちがあるわけだよ、まず。わかる?」 「え、えー!? だって巴は従妹だし、リョーマとは全然別っつーか……」 「うん、そうなんだけどね。でも単純に図式化しちゃうと、隼人くんに一番近い場所にいるのはリョーマくんじゃない? 俺だって時々疎外感感じるもん」 「……そうなのか?」 天野は優しく笑ってうなずく。 「今俺たちのほとんどを占めているテニスのことで、隼人くんとリョーマくんはすごく近い場所にいる。それを抜きにしても気が合ってるしね。ほとんど生まれた時から一緒の巴ちゃんとしては、わかってはいるけど面白くない、って思っちゃうんだと思うんだ。わかる?」 「う、うーん……」 別に、俺たちは。そりゃ距離が近くないとは言わないけど。テニスプレイヤーとしては(ここ強調)お互いのことを大切な存在だと思ってるって断言できるけど。 巴に、寂しい思いをさせてたんだろうか。そんなつもり、全然ないのに。 「それに巴ちゃんはリョーマくんのことも、お父さんの親友の息子として、同じ屋根の下に暮らしてる血の繋がってない異性として、テニスのライバルとして意識してるところはあるわけ。それが自分のことを見向きもしてないっていうのは、ちょっと面白くないと思うんだよ。わかる?」 「……別に見向きもしてないわけじゃないけど」 「巴ちゃんはそう思ってるみたいだったよ」 「…………そうなのかぁ………?」 隼人は思わず腕組みをして考え込んだ。巴がそんな思いをしているのは嫌だけど、だからってどうすればいいのか……。 だが考え込む隼人に、天野は笑って言った。 「まぁ、基本的にはちょっと拗ねてるだけだから。二人と自分の関係性の違いっていうのも、巴ちゃん頭いいからわかってると思うし。かまってあげたら機嫌直すと思うよ」 「かまってやったら………」 隼人とリョーマは顔を見合わせた。 「よう、巴。一緒に滑ろうぜ!」 できる限り明るく爽やかに話しかけると、巴には変な顔をされリョーマには「気持ち悪い……」と言われた。 「ぁんだと、コラ!? 誰が気持ち悪いってんだよ!?」 「お前に決まってるじゃん。その無意味な爽やかさの演出がおかしい」 「なんだとっ、人が一生懸命考えてしたことを!」 「一生懸命考えてあれなわけ?」 「リョーマてめぇ喧嘩売ってんのか!?」 「……二人とも。見せつけに来ただけなら私滑りたいコースがあるから帰ってくれない?」 巴に少しばかり冷たい声で言われ、隼人は慌ててまた笑顔を作った。 「お、それなら……」 「そのコース、一緒に滑らない?」 「あっこらっリョーマっ、俺の台詞取るな!」 「いつからお前の台詞になったわけ? 勘違いもいい加減にしたら」 「ぁんだと、コラ!?」 「だっから私滑りたいコースがあるからいちゃつくだけなら帰ってってば」 『いちゃついてねぇ(ない)!』 思わず声を揃えてから、てんでに必死に話しかける。 「なぁ、別にいいだろ? 昨日も一緒に滑ったんだしさ」 「別に断る理由ないと思うけど?」 「……いいけど」 まだ少しばかり声が不機嫌だ。こっそりお前のせいだぞとリョーマと視線を交し合う。 昨日リョーマと一緒に相談して考えたのだ。かまえば機嫌が回復するなら、二人揃ってかまえばいいんじゃないかと。 自分たちが別に巴をないがしろにしていないことを示すためにもそれが一番いい策だと思ったのに。どうしてこういうことになってしまうのだろう? 「な、なぁ、滑りたいコースってどんなコースだ?」 「エキスパートコースっていうコース。昨日宿舎で案内見てたら見つけたの」 「そんなの、あるのか? よし、エキスパートコースで勝負しようぜ!」 「ふぅん、はやくんこの雪上の女王といわれた私と本気で勝負しようっていうの?」 機嫌が少し回復した声で巴がそう言う。隼人は嬉しくなって笑顔で言った。 「ざけんな、このゲレンデの王子といわれた俺に勝てると思ってんのかよ」 「……似合わない」 リョーマがずけっと言ってから、しまったというように口を押さえた。むっとして言い返そうとして(そしてなんでこいつがいまさらこんなことくらいでこんな顔するんだ? と不思議に思い)口を開けると巴がまた少し機嫌の下降した声で言う。 「言っとくけど! はやくんがリョーマくんとばっかり勝負してようが今回は私はきっちり勝たせてもらうからねっ!」 「あ、あぁ……」 いやあぁじゃねぇだろ、と思いつつもかくかくうなずく。隣でリョーマも同じようにうなずいているのがわかった。 本当に、なんでこんなに怒るんだろう。別に自分たちは巴をないがしろにしているわけではないのに。 「じゃ、一番先にふもとに着いた奴が勝ちな!」 「ああ」 「負けないからね!」 全員一列に並んで構える。実際やり応えのありそうなコースだった。やたらこぶが多いしアップダウンの激しさも半端なものではない。だからこそ面白そうともいえるが。 折も折、というべきか、天気も少しずつ悪くなってきているようだった。少しずつ雪までちらつき始めている、早くふもとに着いた方がいいだろう。 「いくぞ……よーい、ドン!」 全員いっせいに飛び出す。一歩先んじたのはリョーマだった。昨日すでにわかっていたことだが、スキーをやらせてもなかなかうまい。 体重移動もなめらかだし、フォームもなかなかさまになっている。動体視力や反射神経はテニスでも証明済みだ。 だが自分だって伊達に岐阜の山中で育ってきたわけではない。冬はスキーがないと移動そのものがひどく困難になるのだ。 こぶをよけてかわしたリョーマの隣に進み出―― 「どりゃっ!」 思いきりこぶを飛び越える。一気に先頭に出た。 負けてたまるか、リョーマにだけは負けたくねぇ――そんな思いで必死に雪を蹴る。 と、自分とリョーマの間にすっと誰かが割り込んできた。 「!?」 一瞬固まったが、巴だと気づいて体勢を立て直した。巴の腕はよく知っている、テクニックは自分とほぼ互角だろう。 だが男としては、女に負けるわけにはいかない。抜き返そうと体重を移動させ―― ちょうど反対側に移動してきていたリョーマと接触して、バランスを崩した。 「うわぁっ!」 「っ!」 「きゃ……っ!」 三人まとめてごろごろと雪の上を転がる。なんだ、なにが起きたんだ、わけがわかんねぇぞ――頭の中でそんなことを叫びつつぐるぐると世界が回る。 そして――気がついたときには、辺りはまったく見覚えのない谷間のような場所だった。 「……ここ、どこだ?」 「……さぁ。見たことない場所だけど」 「……はやくん、リョーマくん。なんか……吹雪いてきたんだけど……」 「げ、マジかよ……」 空を見上げる。雪がどんどん降ってきているのみならず風が強くなってきていた。確かにこれから吹雪になるように思える。 「……ヤバいな……どこか雪をしのげる場所を見つけねぇと、凍死しちまうぞ」 「まさか……スキー場で?」 「スキー場ったって一歩奥に入ればそこは山なんだよ。山っつーのは絶対安全な場所がねぇから怖いんだ。ったく、これだから山を知らねぇ都会っ子は」 「……別に知りたくもないけど」 「この状況でそんな口利けんのかよ」 「…………っ」 「もう、二人とも喧嘩やめてよ! ……見て、あそこに山小屋がある!」 巴の声に隼人は思わず目を見開いた。確かにそこには山小屋があった。裏には山のように薪も積んである。助かった! と隼人は思わずガッツポーズを取った。 「急いで中入ろうぜ! 巴、歩けるか?」 「う、うん。別に捻挫とかはしてない。はやくんとリョーマくんは平気?」 「……俺は別に。お前は自分のこと気にした方がいいんじゃないの」 「山を知らねぇ奴が偉そうな口叩くなっつーの。……スキーも中に入れとけよ」 三人はそれぞれ薪を担いで中に入る。中は山小屋としてはかなり設備が整っている方だった。入り口は三和土になっていて、暖炉ではなく床に座って囲炉裏を囲むようになっている。毛布もちゃんとついていた。 それぞれスキーを三和土のところに置き、床へと上がる。 「リョーマ、靴も持ってこいよ」 「なんで?」 「乾かしとくんだよ。また履く時に少しでも体温が奪われねぇようにしとくの」 「……ふーん」 薪を囲炉裏に整え、隼人の取り出したライターで巴の取り出した何層にも重ねたティッシュに火をつける。 「……なんでお前らそんなもん持ってんの」 「習慣。他にもツールナイフやらナイロンロープやら持ってるぜ」 「一度はやくん遭難しかけたことがあって、それからお父さんに言われて持ち歩くようになったんだよね、山では」 「………ふーん」 リョーマは仏頂面で言う。隼人はなんか怒ってんのか? と怪訝に思ったが、それよりも今は火だ。 火のついたティッシュの上に極細の薪をティッシュが潰れない程度に乗せ、そぉっと息を吹きつける。伊達に物心ついた時からアウトドアライフに親しんできたわけではない、ほどなくして薪に火がついた。 少しずつ薪を重ねて火を大きくし、太い薪に火をつける。火が燃え盛り始めたのを見てから、巴と一緒にようやくふぅっと息をついた。 「とりあえず、これで一安心……」 「一安心? なにが」 「こういう時はなによりも体温を奪われねぇようにするのが大切なの。山小屋の中だって風は吹き込んでくるんだからな。ったく、なんにもわかってねぇなー」 「………………」 リョーマに睨まれ、なんだよと睨み返す。そこに巴の声がかかった。 「二人とも! さっさとスキーウェア脱いで乾かそうよ」 「……靴と同じ理屈?」 「そーいうこと。毛布があってよかったぜ。ウェアの下の服も濡れてたら脱いじまえよ。巴、もっと火のそば寄れって。寒いだろ」 「うん……」 言いつつ隼人と巴はウェアを脱ぐ。リョーマも仏頂面でそのあとに続き、囲炉裏の横にウェアを置いた。 それぞれ毛布をかぶってしばらく炎を見つめていると、巴が落ち込んだ様子で言った。 「……ごめんね、二人とも」 「は?」 「なにが?」 てんでに眉をひそめて言うと、巴はぽつぽつと続ける。 「私がエキスパートコースに行きたい、なんて言ったから、こんなことになったんだよね。本当にごめん……」 「な……! なに言ってんだよっ、俺たちだってそれに乗っただろ!?」 「第一、転んだのは別にお前のせいじゃないと思うんだけど? 自分のせいにしたいなら止めないけど、それならもう少し余裕のある時にしたら」 「リョーマてめぇ偉そうなこと言ってんじゃねぇよっ! とにかくなっ、巴、お前のせいなんかじゃぜんぜんねぇから! 心配すんな! な!?」 「……ありがと。二人とも。ごめんね、勝手に機嫌悪くなったりしたの私なのに」 少し恥ずかしそうに笑う巴に、隼人はひどくほっとした。うん、やっぱり巴は笑ってる方がいい。 「なんだか、ちょっとつまんなかったの。はやくんとリョーマくんは男の子同士で、なんていうか間に入れない感じがしちゃって。……私だってちゃんとライバルとして扱ってほしいのに」 「巴……」 それは無理な注文だと思うのだが。巴は物心ついた時からそばにいた同い年の従妹で、自分にとっては保護対象だ。親父にもお前は男なんだから巴を守ってやるんだぞ、と言われて育ってきた。 家族で、妹のような存在で、大切にしたい奴。そんな巴をライバルとしてぶっ倒す対象として見るなんて、ちょっとできそうにない。 「全国大会の前から、そういう……なんていうか、私だけ仲間外れみたいな気持ちはあったんだけど。そういうのがクリスマスのプレゼントのことで、うわーってきちゃって。それでつい不機嫌になっちゃって……ごめんね、はやくんたちのせいじゃないのに」 「……バカ。気にすんな」 隼人はなんだかむしょうに照れくさい気持ちになって巴の頭を小突いた。巴はちょっとよろけて、自分の方に倒れこんでくる。隼人はそっとその体を受け止めてやった。 巴の背も伸びているけれど、自分の方がもっと伸びている。ようやく、こうして体を受け止められるようになった。 久しぶりにそんな優しい気持ちになって巴の髪を梳いていると、リョーマと目が合った。なにやら小声で呟いている。 「……なにがやきもちだよ。こっちの方がその立場だろ」 「? リョーマ、なんか言ったか?」 「別に」 ならいいけど、と言って巴の髪を梳る作業に戻る。こうしていると気分が落ち着くし、くっついていると暖かかった。 と、くしゅん、とくしゃみをする音が聞こえた。 「……リョーマ?」 「なに」 相変わらずの仏頂面だが、なんだか顔が青い。 「おい、リョーマ……もしかして、寒いのか?」 「別に」 「別にって顔じゃないよ、リョーマくん」 「バカ、もっと火のそば寄れよ」 「……これ以上寄ったら熱い」 「んなこと言ったって……」 ふいに、巴がぱんと手を叩いた。 「こーいう時は服を脱いで裸で温めあうのが基本だよね! はやくん、やってあげなよ!」 「………はあぁぁぁぁ!!??」 隼人は思わず大声を出してしまった。なんだ、その思考。 リョーマがいかにも嫌そうな顔と声で不機嫌に言う。 「ふざけてるわけ? 俺、男と裸でくっつく趣味ないんだけど」 「女の子だったらあるの?」 「……別にそういうわけじゃないけど」 「つか! 別にそんなことしなくたって、火のそばに寄れば……」 「でもあんまり寄りすぎると火傷しちゃうよ。人を温めるには人の体温が一番いいって知ってるでしょ? 大丈夫、私もうやきもち妬いたりしないから!」 「……あのなぁっ……」 「あ、なんなら私が代わりにやってあげよっか?」 「え……」 「それはもっとダメだーっ!」 思わず叫ぶと、巴はぷーっと頬を膨らませて不満げに言う。 「じゃーリョーマくんに風邪引かせる気? そんなことになったら青学テニス部はどうなるの、ランキング戦来週だよ?」 「う゛……」 しばし二人で顔を見合わせあい、揃ってひどく渋々うなずいた。 「わかったよ……」 「やればいいんだろ」 「うん、おりこうさん!」 「けどなっ、裸になる必要はねぇだろ! そっちの方がかえって寒ぃよ、服そこまで濡れてねぇだろ!」 「あ、それもそっか」 「それもそっかってなぁ……」 脱力しながら隼人はリョーマに向き直り、ばっと毛布の前を広げた。 「ほれ。来い、リョーマ」 「………………」 リョーマは嫌そうな顔をしながらも、ためらいなく自分の懐にもぐりこんでくる。リョーマの分の毛布も一緒にかぶってくっつきあった。 「…………………」 「…………………」 「…………………」 沈黙。 なんだか気まずい。別に変なことをしているわけではないのだが、女の前で男が二人毛布の中で抱き合っているというのは、なんとなくいたたまれないものがある。 リョーマが隼人の腕の中でわずかに身じろいだ。リョーマぐらいの大きさだったら、隼人は楽に抱え込めてしまう。 こんな小さな体で俺と同じくらいに動いてんだよな、と思うとなんだか胸にこみ上げるものがあった。自分の最大のライバルなのに、同い年なのに、それなのにこんなにちっちゃいなんて。 思わずぎゅっと腕に力を込めると、リョーマは居心地悪そうに身じろいだ。 「痛いんだけど」 「あ、悪ぃ」 「…………」 「…………」 「…………」 リョーマの体は、巴と同じくらい温かい。子供体温で熱いくらいだ。慣れれば別に、嫌な感じはしない―― そこに、巴がすっくと立ち上がった。 「なんか、私また妬けてきちゃった」 「は?」 「私も仲間に入れてよ!」 『はぁぁぁ!?』 「ちょ、おいこら巴っ、くっつくなっ!」 「ばっ、お前なに考えて……!」 「いいじゃん、越前家に住む者同士仲良くひとつ毛布の中で暖まろうよー!」 「こらっ……!」 全員団子になって倒れこんだところで、突然山小屋の扉が開き、桃城の声がした。 「お前ら、なーにやってんだぁ?」 天野の声もした。 「早く部屋に戻らないと、もうすぐ出発の時間だよ?」 要するに自分たちが転げ落ちたのはホテルのすぐ裏手で、間に小高い丘があるのでホテルが見えなくなっていただけだったのだが。 それでも、隼人的にはほとんどプチ遭難の気分だった。巴を――そしてリョーマを守ってやらねばと、全身全霊を奮い立たせたのだ。 だから、スキーの疲労もあいまって、帰りのバスの中では目を開けていられなかった。 「お、コイツら、本当にグッスリ眠ってやがるな。おい、騎一。マジック持ってねぇか、マジック!」 「桃部長、三人とも疲れてるんだから寝かせておいてあげましょうよ」 「くだらねぇことしてんじゃねぇぞ、桃城」 誰かの声がする。隼人はぼんやりとそう思った。 うっすらとだけ目を開ける。目の前にあったのは、リョーマの顔だった。 そういえばリョーマは隣の席だったのだと遅れて気づく。 (よく寝てるな……) ぼんやりと思った。前の席からは巴の寝息が聞こえてくる。その寝息が安らかなのを確認して、ひどく安心した。 ぼんやりとした頭でリョーマの方に向き直る。 (……こうして見ると可愛い寝顔だよな) ぼんやりとした頭でそう思った。あのナマイキな態度が嘘のようだ。リョーマは、なんのかんのいって、自分より年下なのだ。二ヶ月ちょいだけど。 (……でも、ライバルなんだよな……) ぼうっとそう思って、リョーマのことを自分よりも小さな存在として守ってやりたいと思う自分とぶっ倒してやりたいと思っている自分がいることを確認し、それが当たり前のように同居していることを感じ取って、なんだかひどく嬉しい気分になり―― 隼人は再び、目を閉じた。 |