接神

by つぶら

夢だったのは、満開の桜の下であの人と交わること。

小さい頃から空想癖があったせいだろうか。小学4年くらいから、私はキリストが見えるようになってしまった。
嘘じゃない。本当に見えるのだ。
いや、見えるというよりは、向こうから会いにくるといった感じか。
ある夜、部屋の窓を開けていたら、そこからふらりと入ってきたのだ。
私の家の庭には大きな桜の木があって、月明かりに照らされて満開の桜が青白く光っているのを眺めながら、私は塾の宿題をしていた。
「こんばんは」
長い髪と髭。白いだらんとした服。いかにも外国の人といった風情のその人は、日本語で私に話しかけた。
図書室で読んだばかりのピーターパンのお話に憧れて、ウェンディの真似をして窓を開けて待っていたのに、やってきたのは髭もじゃのおっさんだったので、私は酷くがっかりした。
もちろん名前だけは知っていたので、そのおっさんが「イエス・キリスト」と名乗ったときは、思わず目が丸くなった。
「どうしてここに来たの?」
と、問いかけた私に、
「なんとなく」
と言った彼のその顔が、ふうわりと優しそうな笑顔だったので、私はそれで少しだけほっとした。それは、月の明るい晩のことだった。
以来、イエスは時々私の部屋に遊びに来る。
初めて会った次の日に、学校でそのことを友達に言ったら、みんなにえらく笑われた。当たり前だ。だって私だって、本人に会うまでは、聖書なんて丸っきりの作り話だと思っていたのだから。
当然キリストの存在を信じてる人なんて、友達にひとりもいるはずがなく。私の話は、またいつもの作り話だと思われた。
だから、それ以来私は、イエスが時々やってくることを誰にも話さなくなった。イエスは気が向くと、ふらりと私の部屋へやってきて、私と他愛も無い話をして帰っていく。
キリスト教のえらい人だから、もっと宣教とかに熱心なのかと思っていたけれど、思っていたのとは大分違って、その日に学校であったことなどを私が話すのを、満足そうに聞いて帰っていくのだった。

そういうのを「接神体験」というのだということは、後で図書室で調べて知った。
私はその本を借りてきて、部屋で読んでみることにした。
そこには聖クララとか聖カテリーナとか、やたら「聖」の文字がつく人の名前が並んでいて、キリストと出会った女性たちの名前がずらりと並んでいた。その人たちはみんな、並々ならぬ熱心なキリスト教の信者ばかりで、そこで私は、別にキリスト教徒でもない私の前に何故イエスが現れるのか、とても不思議に思った。
その本には、彼女たちが皆、神との融合により素晴らしい恍惚と官能を得た、というようなことが書いてあり、私は、その文章の意味はイマイチよく分からなかったのだけど、ただ、その「恍惚」とか「官能」とかいう文字がとても卑らしい意味がある言葉だということは知っていた。だからだろうか。その文字を見た瞬間、おしっこをするあたりが無性にむずがゆくなってしまったので、思わず手で触った。
すると下半身に、じーんと痺れるような感覚が走った。
あんまり気持ちがよかったので、私は思わず何度も何度もおんなじところを刺激した。そのうちその部分がものすごく熱くなってきて、一瞬もの凄く気持ちよくなったかと思うと、途端に全身から力が抜けた。
私は、なんとなくいけないことをしてしまったような気がして、慌てて本を閉じてランドセルの中にしまった。そして、今まで自分がしていたことを忘れるために、机の上に宿題のプリントを広げた。
だけど、さっきの感覚がまだ体に残っていて、ちっともプリントの文字が頭に入ってこなかった。
エンピツを手にしたまま、私は考える。
最後に気持ちよくなった瞬間に、頭の中にイエスの顔が浮かんだ。ひょっとしたら、これが「恍惚」というものなのだろうか。
もしイエスが、こんな風な感覚を与えてくれるのなら、私はそれを与えて欲しいと思った。
どんな風にするとそれが与えられるのかは、さっぱり想像もつかなかったけれど、私はイエスがそれを私に与えるところを、何度も何度も想像した。
そのうちに私は、またさっきのところがむずがゆくなってきたので、階下にいるはずのお母さんの気配を気にしながら、もう一度さっきと同じことをした。
そんなことをしてしまったため、次にイエスが来た時、私は恥ずかしくて顔を見れなかった。
あんまり露骨に目を合わせないようにしていたので、さすがに彼も気づいたらしい。
「どうかしましたか?」
チャンスだ、と思った。
「恍惚」って、どうやって与えられるの? そう聞こうとした。だけど、それはやっぱり、なんだか聞いてはいけないことのような気がしたので、少し遠まわしに聞くことにした。
「聖クララって人、知ってる?」
「知ってますよ」
イエスは静かに答えた。
「じゃあ、聖カテリーナは?」
「もちろん。どちらも私の大切なお友達です」
ふうん、大切なお友達なら「恍惚」とやらをもらえるんだ。友達にあげられるくらいなんだから、「恍惚」も「官能」も、どちらも案外たいしたことではないのかもしれない。私は恥ずかしがってたのがばかばかしくなって、思いきって聞いてみることにした。
「んじゃ、どうやって彼女たちに『恍惚』を与えたの?」
するとイエスは一瞬目を見張って、それからちょっと意地悪な笑みを浮かべた。「大人になれば、わかりますよ」
その三日月みたいに吊り上った口元が何だかやけに卑らしく見えて、背筋がぞくりとした。やはり、聞いてはいけないことだったんだろうか。私は、少しだけ後悔した。
けれどそれよりも、私はイエスの言った「大人になれば」という言葉の意味が分からなくて、ずっと考えていた。どうやったら、人は大人になれるのだろう? 二十歳になるだけじゃだめなのかな?

大人になってもいないくせに、私は飽きずに「恍惚」を求めて、例の行為を続けていた。
そういう時、考えるのは大抵イエスのことだ。借りてきた本は図書室に返してしまったので、私は学校でもらった聖書を読みながらそれをした。
聖書の中のイエスは、時々現れるイエスとは全く違っていて尊大で、それが私を余計に興奮させた。
特に好きなのは、「ヨハネ伝」第四章の中のエピソードだった。サマリヤ人の女にイエスが水を求める話だ。
「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう」
そしてイエスの言葉に応えて、女は彼に水を求めるのだ。
話の意味は分からなかったけど、その話は特に私の想像力を刺激した。私もその女のように、イエスに水を求めてみたいと思った。
けれど、それらの話をイエスにしたことは一度もなかった。
出会ってからかなりの時間が経って、私たちは相当親しくなっていたけれど、私はどうしてもその願いをイエスに伝えることはできなかった。何となく、口にしてはいけない言葉のような気がしたのだ。

イエスが来るようになってから、一年が経った。
これまでは二、三ヶ月に一度しか現れなかったイエスが、桜の季節になると、毎晩のように部屋にやってきた。
「どうして?」
と聞くと、
「桜が好きだから」
とだけ答えた。
実際その時期のイエスは、私の部屋へ来ても私と話すより、窓際に越しかけて桜を眺めてる時間のほうが長かった。
「どうして桜が好きなの?」
さらに聞くと、
「あの国にはなかったから」
と答えて、また窓の向こうへ目をやった。
月の光は、桜もイエスの白い服も、いっしょくたに青く染めていた。春の柔らかい風に、イエスの髪がそっとなびく。
「うわっ」
不意に風向きが変わって、桜の花びらが部屋の中へ舞いこんできた。蛍光灯の明るい光の下では、美しいはずの桜の花びらも、やたら現実的に白いだけの姿を曝していて、まるで干からびた骨のように見えた。
宿題の邪魔をするように机の上に散らばったそれらを片付けていると、不意にイエスの手がすうっとこちらに伸びてきた。びっくりして目を閉じると、イエスの手が髪に触れた。
「ついてましたよ」
そう言ってイエスは、目の前に桜の花びらを示して見せた。
「ありがとう」
そう言うと、イエスは初めて会ったときの笑顔でふうわりと微笑んで、花びらを窓の外に放った。
その姿を見た瞬間、私は彼を、美しいと思った。あの指先にあるのが、桜ではなく私の体なら、と思った。その途端、私にいつもの「むずむず」が訪れた。イエスが帰った後で、私はひっそりと私を虐めた。

以来私は、その行為の最中に、桜の下のイエスを思い浮かべることが多くなった。
想像の中のイエスは、いつも月明かりの桜の下で妖しく笑っていて、私の方へ手を差し伸べている。
「おいで」と呼ぶ声に誘われて体を預けると、その腕で私を抱きすくめる。そして優しく私に口付けをするのだ。
けれど、私の想像はそこまでだった。それ以上の知識は、今の私には無かった。桜の下のイエスを思い浮かべるたびに、イエスの与えてくれるはずの「官能」とは、きっと桜の花びらのようなものなのだろうと思った。満開の桜が、一斉に風に散らされて、私の体を包み込んでいく、あの感覚。
散り際の桜の木の下で花吹雪に身を曝しながら、私は何度となくその想像を繰り返した。

5年生になって間もなく、体育の時間に男女が別々の教室に連れて行かれて授業を受けた。上級生からの噂で聞いていたけど、その授業が実際に行われたのは初めてのことだった。
それは、性教育の授業だった。
保健の先生と担任の立会いの元で、3Dアニメーションを使った奇妙に事務的なビデオが淡々と流された。女性の体の仕組みについてと、赤ちゃんが産まれるまでのことが説明されていた。
そこで初めて、きっとイエスの言っていた「大人になれば」というのは、きっと生理が来たらという意味だったのだと、納得した。なるほど、じゃあ私にはまだ無理なわけだ。だって私はまだ、生理になってないもの。
きゃあきゃあはしゃぎながらビデオを見ている同級生たちの中でひとり、私はくいいるようにビデオに見入っていた。
授業が終わっても、ビデオで見た映像が頭から離れなかった。
私は初めて、イエスとの結合の意味を知った。そして、私のしている行為が「自?」というものだということも知った。
それから私の例の行為の時の想像の内容は、より具体的なものになった。
私は、イエスが私に入れるところを、何度も何度も想像した。その時の想像上の快感は、これまでの私の経験では決して手に入れられないものだったので、もの凄くぼんやりとして曖昧なものだったけれど、それでも充分気持ちが良かった。
想像が具体的になればなるほど、私の「恍惚」も度合いを増していった。
だけど、そこまでだった。
どうすればもっと気持ちよくなるかということは知っていたけれど、私の「自?」は、せいぜい服の上から触る程度だった。

イエスが来る度ごとに、私はイエスを目の前にしながら想像をどんどん膨らませていった。
イエスを前にして考えていると、それはもっと気持ちよかった。もしかしたら私の想像通りのことが起こるかもしれないという期待が、普段より遥かに強い快感を私に与えたのだ。
そんなとき、私はいつも腕を脚の間に挟みながら彼の話を聞いた。さすがに目の前で手を使うことはできなかったけれど、これくらいなら何をしてるか分からないだろうと思ったのだ。
だけどある時、彼は私の不自然な姿勢を気に留めて聞いてきた。
「どうしました?」
「かゆいの」
とっさに私はそう答えた。一瞬にして頭に血が上る。恥ずかしさと悔しさで頭の中が真っ白になった。
「帰って」
思わず私は言ってしまった。これ以上、顔を見られていたくなかった。
「でも」
口篭もるイエスに、私はさらに強く言った。
「いいから、帰って!!」
「…わかりました」
そういうと彼は、それ以上は何も言わずに、するりと部屋を出ていった。
彼がいなくなったあと、私はいつもより激しく自分を汚した。
終わったあと、屈辱のあまり涙が出た。だってあの時、イエスが「どうしました?」と聞いてくれたとき、私は彼が、私のしてることの意味に気づいて、すうっと手を伸ばしてくれないかなあと思ったんだもの。

バレンタインデーも過ぎて桜の季節が近づく頃になると、私は桜の花の咲いている下でイエスと交わる自分を想像するようになった。
満開の桜に抱かれながらイエスと交わる、その想像は私をうっとりとさせた。
月明かりの下、お互いに生まれたままの姿になったイエスと私が抱き合う。時々吹く春の風が、素肌を心地よく撫でる。
本当にそうなったら、どんなにかいいだろうと思った。本当にそうなれば。
だけど私はまだ、大人になってはいないのだ。

三月の始めに、生まれて初めて生理が来た。
びっくりした。
だけど、これで私も聖クララや聖カテリーナのように、イエスから恍惚を与えられる資格ができたんだと思うと、うれしかった。
次にイエスが来たら、そのことを言ってみようと思った。
最初に出会ったのと同じような桜の晩に、イエスは来た。
初めて出会ったときとおんなじに、青い月の光を背負って。
「お久しぶりです」
いつものように、とても穏やかな声でイエスは言った。
次の言葉を聞く前に、私は言った。
「生理が来たの」
そうして、イエスの目をじいっと覗きこんだ。この意味を、イエスは分かってくれるだろうか?
イエスは、何も言わずに私を抱き寄せた。そうして、私の唇を自分の唇でそっと押さえつけた。
それは、想像していたよりもずっと気持ち良くて、私は体中に電流が走ったみたいになってしまった。
イエスの手が柔らかく私の体をすべる。ぴりぴりとした感覚が体中に伝わるのに、私はうっとりと身を委ねた。服が、一枚一枚丁寧に剥がされていく。
そうして素肌に触れたイエスの手は、びっくりするくらい冷たかった。
直接肌に触れるイエスの手は、最初くすぐったくてしょうがなかったけど、そのうちにだんだん気持ち良くなってきた。
だけど膨らみ始めたばかりの胸を触られたとき、私は思わず顔をしかめた。痛かったのだ。もともと成長途中だから、ちょっと動いても痛みが走るくらいだったので、その痛みは相当なものだった。するとイエスは、私の表情に気づいたらしく、すぐにそこから手を離して、代わりに頭とか背中とかを撫で始めた。そのうちあそこがむずむずしてきた。
どうしたらいいか分からなくて、いつものように触ろうかと下半身に手を伸ばしかけたら、イエスがその手を遮って私の代わりに触れた。それは自分で触るのよりもずっとずっと気持ち良くて、私はびっくりしてしまった。
イエスは、まるで私のこれまでの行為を見てきたかのように、いや、私よりもずっと上手に私を触った。
だけど、イエスの手が私の下着の中に指し入れられた時、私は思わず「だめっ」と言って腰を引いた。
「どうしてですか?」
イエスが、悪びれずに聞いてくる。
「だって、汚いよ?」
そう。だからこそ私は、それ以上のことをできなかったのだ。
「汚くなんかありません」
そういうとイエスは、直接私のあそこを触った。まだ柔らかい、産毛のような陰毛の上を滑らせて、いちばん敏感な部分にたどり着く。
イエスの手は、さっきとは違って温かくなっていた。その感覚は、私を奇妙に落ちつかせた。目を閉じて、全神経をその部分に集中させているうちに、いつの間にか、下着まで剥ぎ取られていた。
そしてついに、イエスは自分の固いものを私の中に入れた。ビデオで見たのと同じだった。
「いたっ」
思わず私はうめいた。だけど今度は、イエスは止めてくれなかった。そしてビデオで見たのと違って、激しく腰を動かしてきた。その表情は、見たことも無いくらい真剣で、怖かった。逃げられない、と思った。
それで私は、痛くて痛くてしょうがなかったのだけれど、イエスがいつ「恍惚」を与えてくれるのだろうと考えながら、じっと我慢した。
開け放したままの窓から、桜の花びらが入ってくる。「官能」というのは、きっと桜の花びらのようなものだと思っていた。美しくて、儚くて、全身を包み込むようなものだと思っていた。
けれど、最後までそれが訪れることはなかった。

「もう、ここには来ませんから」
期待とあまりに違っていて、内心がっかりしていた私に、さらに追い討ちをかけるようにイエスは言った。
「どうして」
わたしは、まだひりひりする股間を庇うようにして、体を起こしながら聞いた。「あなたがが大人になるのを、待ってたんです。目的は果たしたし、もう来る必要は無いですから」
あまりに事務的なその口調にむっとした私は、ケンカ腰で尋ねた。
「目的って?」
「子供を作ること」
「え?」
予想外の答えに、びっくりした。だってキリストは、「官能」と「恍惚」を与えるものではなかったのか?
「何それ?」
思わず聞き返した。
「十ヶ月たったら、あなたと私の子供が生まれます。あなたはその子供を、メシアの再来として育てなければならない」
そうだ。キリストの与えてくれる「恍惚」とやらに気を奪われてすっかり忘れてたけれど、セックスしたら子供が生まれるのだ。
「私、まだ小学生だよ?」
「関係ありません。あなたの体は、もう大人なんですから」
「そうかもしれないけど」
小学生の私に、子供を育てっろって? いくらなんでも、それはあんまりだ。
「…どうして私なの?」
自分で望んだことなのに、ついつい非難めいた口調になる。
「君が、私の好きだった人に似ていたから」
「ばかにしないでよ!!」
とっさに、枕を投げつけていた。その言葉を聞いたら、どうしてか分からないけれど、すごくいらいらした。じゃあ、私はその人の身代わりなのだろうか。そう考えると、悔しくて涙が出た。
「すみません。でもその人はもうこの世にいなくて、しかも子供が産めない体だったから、こうするしかなくて」
「その人」というのは、ひょっとしたらマグダラのマリアのことだろうか。かつて読んだ本に書いてあった。マグダラのマリアは、イエスの妻だったという説があることを。そして私は、彼女に似ているというのか。
夢だったのは、桜の下で彼と交わること。そしてその夢は叶った。だけど、その結果がこれじゃ、あんまりじゃないか。
私は、何か文句を言ってやろうとした。けれど彼は、私が口を開くのより早く、
「さよなら」
と言うと、さっさと窓から出ていってしまった。

それから一月が過ぎた時、私に生理は来なかった。彼の預言通りだった。
二月が過ぎ、三月目が過ぎても、やはり生理は来なかった。
私は内心、本当に妊娠したのだろうかと、不安で不安でしょうがなかったのだが、生理が来ない以外には取りたてて変化はなく、お腹が膨らんで来たり、吐き気がしたりというようなことはなかった。だから私は、誰にも何も言わないまま日々を送った。
そのうちに私も、きっと最初の生理は勘違いだったのだと思うようになった。
十ヶ月が過ぎても生理は来なかった。だから私は、何か生まれてくるんじゃないかと、内心びくびくしていたのだが、そうこうしているうちに十二月も終わり、そうして間もなく小学校を卒業した。
春休みに入って桜が咲く頃に、私は中学に入学する準備のため、部屋の片付けをしていた。開け放した窓からは、月日の流れなど関係ないように去年とと同じように桜が舞いこんでいた。
突然、下腹に変な感覚を憶えて、私はとっさに部屋の蛍光灯を消すと下着を脱いだ。
見ると、白かったはずの下着に、うっすらと筆ではいたような紅い色がついていた。生理が来たのだ。
私はようやく安心して、それで涙が出た。泣きながら、この三年間のことを思い出していた。
イエスがいなくなってから、ずっと考えていた。どうして私は、あの時、私が身代わりだと知ったとき、あんなに腹が立ったのだろうか、と。あの時は、いくら考えても分からなかった。ただ、ばかにされたようだったから怒っていたんだと思っていた。あるいは、「神との結合」が想像していたのと違って、ただ痛いだけのものだったから、期待を裏切られたからだと。
だけど、今なら分かる。「恍惚」の正体を知りたかったからなんかじゃない。そんな理由で、私は彼と交わったんじゃない。
私は、彼がかつてそうしていたように、窓辺に越しかけると、そっと月を仰いだ。風に舞って桜の花びらが、ひらりと裸の太ももに舞い降りた。それをつまみあげて、両手で握り締める。今更こんなことを祈っても、もうなんにもならないけれど。
天に召します我らの父よ。私は、イエス・キリストを愛していました。



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