螺旋

by つぶら

 昔々あるところに、一輪の名もなき花に恋をした蛇がいました。
 蛇は毎日のように花のもとを訪れ、花に愛を囁きつづけました。
 ところが相手は名もなき花。蛇の言葉に応える術を持ちません。
 それでも蛇の恋心は募るばかり。なんとか花を自分のものにしたくて、そうして思い余った蛇は――。

* * *

1枚目――好き

「良い話でしょ?」
「誰からきいたの?」
「私が作ったの。ね、どうだった?」
「どうって言われても、うーん」
「私ね、この花みたいに愛されたいの。求めてやまない気持ちのままに、どこまでも求められてしまうの。素敵でしょう?」
「何よ、それ。それじゃまるで私があなたを愛してないみたいじゃないの」
「ううん、そんなことは言ってないわよ。でもね、私の中にはいつも空っぽなところがあるの。誰に愛されてもどんなに愛されても、その空っぽは埋まることがないの。だから、何も怖くないくらいに、その空っぽすら怖くないぐらいに、愛して欲しいの。ね、私のこと愛してる?」
 もちろんよ、と言う代わりに私は彼女に口付けたのは、彼女が欲しがっている言葉を、どうしても言うことができなかったからだ。



2枚目――嫌い

 時々、思うことがある。彼女が私の気持ちに応えてくれたのは、ひょっとしたら私が思っていたように彼女も私のことを好きだったからではなくて、夫に満たされない部分を埋めたかっただけなのではないだろうかと。
 彼女の話を聞いて、ひとつだけわかったことがある。彼女が本当に求めているのは、私ではない。
 どんなに私が彼女を愛しても彼女は、いつか必ず私の元を離れていくだろうと思っていた。そうしてそれ以来その予感は、いつもどんなときでも私の頭の中にまるでブルーベリーの染みのように、青く滲んでこびりついて離れなくなった。



3枚目――好き

 平日の休みの日なのに、あなたはここにいない。



4枚目――嫌い

「夫にばれたの。多分、あなたのところにも連絡がいくと思う」
「なんて言われたの?」
 つとめて冷静を装って尋ねると、
「別れろって。お義母さんなんか、もう大変よ。泣いて喚いて、『こんな石女、離婚してしまえ』って」
 電話の向こうで、彼女は泣いていた。離婚したらいいじゃない、そんな言葉が喉まででかかったけど、言えなかった。
 離婚して、私と一緒に暮らしましょう?
 だけどそれは、叶わぬ夢だとわかっていた。



5枚目――好き

 たとえば、昼間の誰もいない彼女の家で交わってる時、少しだけ開いた窓からすうっと流れてくる風に彼女が手を差し伸べる時。
 たとえば、夕暮れのまるで時間が止まってしまったような薄闇の中で、彼女の温もりを隣に感じながらほんの少しだけのつもりでうとうとと眠りにつく瞬間。
 ずっとこのままでいられたら、と思う次の瞬間に私は帰る時間のことを気にしてしまう。そんな自分が自分で嫌になるたびに考える。まるで、罪悪感を打ち消すみたいに。
 だけど本当は、別れる瞬間だけがいつも正しくて、その他のことは単なるおとぎばなしに過ぎないということを知っていた。それは女同士だからとか彼女に家庭があるからとか、そういうことだけじゃなくて、それだけが全ての恋愛に平等に与えられた真実だと思っていた。
 いつかその瞬間が訪れる時に、彼女が私の手を離して彼女の夫の手を再びとる瞬間にずっと怯えていた。おいていかれることが怖かった。
 そしてそれは、今であるような気がした。



6枚目――嫌い

 どうせおいていかれるのなら、自分から手を離そう。



7枚目――好き

「あなたの愛は、きっとただの執着よ。私を愛してると思いこんでただけなのよ」
「違う!!」
 これまで見たこともない激しさで、彼女が答えた。
「私はあなたを愛してる!!」
 だけど彼女は、私を愛してはいない。
 だけど彼女は、私を愛してはいないのだ。



8枚目――嫌い

「あなたこそ、」
 涙目の彼女が言った。
「あなたこそ、本当は他人になんか興味が無いくせに」
 じゃあどうして、私の胸だけがこんなにも痛むのだろう。



9枚目――好き

「不安な時はね、いつもぎゅっと小さく丸くなって自分の体を抱きしめるの。そうして『だいじょうぶ、だいじょうぶ』って、何度も繰り返すの。そうするとね、少しだけ楽になるのよ」
 きっと天使が見てたら、あんまり痛々しい様子に同情してくれて、そっと頭を撫でてくれるかもしれないわね。
 笑いながらそう続けた彼女の笑顔は、けれどやっぱりどこか辛そうだった。
「いつもそんな風にしてるの?」
「いつもじゃないけれど、最近は割とよくあるかな。ほら辛くて胸が苦しい時って体がばらばらになるような感じがするじゃない? 体中が軋むように痛くて、自分で抱きかかえてないと、本当にばらばらになってしまいそうな感じがするの。だから、そうするの」
 私は天使じゃないけれど、彼女の天使になれたらいいのにと思いながらぎゅっと彼女を抱きしめた。
「だいじょうぶ。きっとみんなうまくいくから」
「うん」
 そう言うと彼女は、私の背中にそっと手を回した。



10枚目――嫌い

 もっと深く、腰を沈めて。
 もっと強く、吐息を奏でて。
 真冬の月灯りの下、すべてが蒼のもとで鈍く輝き昼間とはまるで世界が違って見えてしまうこの瞬間、今すぐ私と彼女を残して世界が閉じてしまえばいい。



11枚目――好き

「女の人の体って、ほらよく欠けてる部分があるって言うでしょ? 男の人のでっぱりは、それを埋めるためにあるんだって。でもね、本当は女の人のその部分は、使ってない時はぺったんこに閉じてるから、だから実際は欠けてる部分なんてないのよ。女の人は、いっこでも完全なはずなの。なのにどうして――」
 その先は、聞かなくても分かるような気がした。
 どんなに指を挿し入れられても、足りないと感じてしまう女の体のように、男でなければ満たされない部分というのが、女には存在するような気がする。彼女のような人の場合は、特に。



12枚目――嫌い

 私の腕の中で、彼女が小さく震えていた。
「怖いのよ。怖くて不安で、体中がばらばらになりそうに痛いの。お願いだから、もっときつく抱きしめて。何度でも愛してるって言って。そうして空っぽなんかどこにもないんだって、信じさせて?」
 ぎゅうっと力を入れると、彼女は少しだけ安心のか目を閉じてふっと体の力を抜いた。
「あなたが、いつもそばにいてこうやって抱きしめて私の体を繋ぎとめておいてくれたらいいのに。そうしたらきっと私、何も怖いものなんかなくなるのに」
 その言葉を聞いたらもう私は胸がいっぱいになってしまって、言わずにはいられなくなってしまった。
「一緒に逃げよう?」
 言ってしまってから、後悔した。だけど彼女は、私の首に両腕を回すと、言った。
「ありがとう。そう言ってくれるのをずっと待ってたの」



13枚目――好き

「こうしていると、まるで赤ちゃんみたいね」
 彼女の胸に顔をうずめている私を見て、そう言って笑った。
「子供、欲しかった?」
「よくわからない。でも、できればもう一度生まれ変わってやり直せたらと思う時があるわ」
「じゃあ、私がもう一度産んであげる」
「うれしい」
 口付けと3日後の約束を交わして、その日は別れた。



14枚目――嫌い

 扉を開けると、彼女が横向きになって倒れていた。胸からはたくさんの血が流れていて、その血の源には銀に光るナイフが刺さっている。私は、ただただびっくりして声も出なかった。
「どうして…」
 ようやく絞り出した声に、彼女は、まるでいたずらがばれた子供のように、うっすらと微笑みを浮かべながら答えた。
「あのね、あんまり胸が苦しくて痛くって、だから目にみえない痛みよりは、目に見える痛みのほうがずっといいかなあと思って」
 そう話す彼女の声は途切れ途切れで、時々大きく吐く息で、痛みに耐えているのが見て取れた。
「しゃべらないで。ねえ、どうしてこんなことするのよ。お願いだから、私をおいてかないでよ」
「ごめんね。そんなつもりじゃなかったんだけど…」
「しゃべらないでってば」
 どうしたらいいかわからなくて、彼女の口を塞いだ。床に膝をついたはずみで、服にべっとりと血が吸いこまれた。
 救急車を待つ間、私はなす術も無く彼女の横に立ち尽くしていた。
 彼女の胸に光るナイフが、まるで血の海を泳ぐ銀色の蛇みたいに見えた。ふいに私は、いつか聞いた彼女のお話を思い出した。
 ようやく気がついた。彼女が愛していたのは、彼女自身だったのだ。私や彼女の夫は、ただ彼女の隙間を埋めるための道具でしかなかったのだ。だから彼女は、最後まで自分を求め尽くした。
 たとえ私や彼女の夫がどんなに愛したとしても、その想いは永遠に報われることはない。

* * *

 昔々あるところに、一輪の名もなき花に恋をした蛇がいました。
 蛇は毎日のように花のもとを訪れ、花に愛を囁きつづけました。
 ところが相手は名もなき花。蛇の言葉に応える術を持ちません。
 それでも蛇の恋心は募るばかり。なんとか花を自分のものにしたくて、そうして思い余った蛇は、ついにその花を頭から食べてしまいました。



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