春になった。 気温も穏やかになり過ごしやすい日々が続いていたが、夕歩のいない生活はやはり寂しいものがある。 夕歩と一緒に天地学園に行くという目標ができた順は、毎日の稽古に懸命に励んでいた。夕歩の見舞いに来た時も、もっぱら二人で天地の話をして過ごしている。 「ペアになった二人のことは、『刃友』って言うらしいよ」 「へーへー。そうだ、天地って寮だよね? それも楽しみだなー」 まだ大分先の話だけど、天地での生活を色々と想像するととても楽しい。 「なんか喉渇いた」 「あ、ポット空っぽだね。じゃああたしジュース買ってくるよ!」 話の途中で、夕歩が掠れた声を出した。 夕歩の母も毎日病院に来ているが、今日は先生に挨拶をしてくると言って出ていったまま、まだ戻ってきていない。 ここはあたしが頑張らないと! 順は跳ねるようにして、椅子からぽんと飛び降りた。大したことではないが、夕歩に何かしてあげられるというだけで嬉しいのだ。 「すぐ戻ってくるから!」 「そんな急がなくていいよ」 夕歩の声を背に、順は病室を後にした。 階段を小走りに駆け下り、どこかひんやりとした病院の廊下を進んでいく。自販機でジュースを買って帰る途中、廊下の奥のある一室が、何故か順の目にとまった。 ――わけもなく、その部屋が気になる。 足を緩めその部屋の近くまで行ってみると、ドアがわずかに開いていた。そろそろと壁伝いに近付いていく。と、中で話す声が聞こえてきた。聞き覚えのある声に足を止める。 (お医者さんと、夕歩のお母さんだ) ここで話してたんだ……。 ドアの隙間から小さく漏れ聞こえる声に、順は何故か引き寄せられた。夕歩に関する話をしているのだということが、直感で分かった。 聞かない方がいいと、心の中で警鐘が鳴る。しかしまるで足が地面に縫い付けられてしまったかのように、順はどうしてもその場から離れることはできなかった。 「お嬢さんの病気はとてもデリケートなもので」 逡巡していた順の耳に、医師の声が入ってくる。中を覗いてはいないので二人の顔は見えないが、その声のトーンはかなり神妙なものだった。 二人が話しているのは、やはり夕歩の病気のことについてだ。内容はかなり深刻で、話が進むうちに順の顔がだんだん蒼白になっていく。 「普通のお子さんには何でもないような、例えば風邪などのウイルスが命取りになる事も――」 順は自分が今何を聞いているのか分からなかった。 医師と話している声は確かに夕歩の母のものだ。そして二人は間違いなく夕歩の病状について話している。 だけど、それが夕歩のことだとは信じられない。 誰か別の、自分が全然知らないよその子供のことを話しているのではないか、そんな気持ちの方が強かった。 「健康管理には十分に気を配ってください。それと、怪我などにも――」 医師に答える夕歩の母の声は、震えているような気がする。 順は強張る両手で缶ジュースをきつく握りしめ、足音を立てないようにその場から立ち去った。 |
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