「カローラ」 第四章「病」 1



春になった。
気温も穏やかになり過ごしやすい日々が続いていたが、夕歩のいない生活はやはり寂しいものがある。
夕歩と一緒に天地学園に行くという目標ができた順は、毎日の稽古に懸命に励んでいた。夕歩の見舞いに来た時も、もっぱら二人で天地の話をして過ごしている。

「ペアになった二人のことは、『刃友』って言うらしいよ」
「へーへー。そうだ、天地って寮だよね? それも楽しみだなー」

まだ大分先の話だけど、天地での生活を色々と想像するととても楽しい。

「なんか喉渇いた」
「あ、ポット空っぽだね。じゃああたしジュース買ってくるよ!」

話の途中で、夕歩が掠れた声を出した。
夕歩の母も毎日病院に来ているが、今日は先生に挨拶をしてくると言って出ていったまま、まだ戻ってきていない。

ここはあたしが頑張らないと!
順は跳ねるようにして、椅子からぽんと飛び降りた。大したことではないが、夕歩に何かしてあげられるというだけで嬉しいのだ。

「すぐ戻ってくるから!」
「そんな急がなくていいよ」

夕歩の声を背に、順は病室を後にした。
階段を小走りに駆け下り、どこかひんやりとした病院の廊下を進んでいく。自販機でジュースを買って帰る途中、廊下の奥のある一室が、何故か順の目にとまった。
――わけもなく、その部屋が気になる。

足を緩めその部屋の近くまで行ってみると、ドアがわずかに開いていた。そろそろと壁伝いに近付いていく。と、中で話す声が聞こえてきた。聞き覚えのある声に足を止める。

(お医者さんと、夕歩のお母さんだ)

ここで話してたんだ……。
ドアの隙間から小さく漏れ聞こえる声に、順は何故か引き寄せられた。夕歩に関する話をしているのだということが、直感で分かった。
聞かない方がいいと、心の中で警鐘が鳴る。しかしまるで足が地面に縫い付けられてしまったかのように、順はどうしてもその場から離れることはできなかった。

「お嬢さんの病気はとてもデリケートなもので」

逡巡していた順の耳に、医師の声が入ってくる。中を覗いてはいないので二人の顔は見えないが、その声のトーンはかなり神妙なものだった。
二人が話しているのは、やはり夕歩の病気のことについてだ。内容はかなり深刻で、話が進むうちに順の顔がだんだん蒼白になっていく。

「普通のお子さんには何でもないような、例えば風邪などのウイルスが命取りになる事も――」

順は自分が今何を聞いているのか分からなかった。
医師と話している声は確かに夕歩の母のものだ。そして二人は間違いなく夕歩の病状について話している。
だけど、それが夕歩のことだとは信じられない。
誰か別の、自分が全然知らないよその子供のことを話しているのではないか、そんな気持ちの方が強かった。

「健康管理には十分に気を配ってください。それと、怪我などにも――」

医師に答える夕歩の母の声は、震えているような気がする。
順は強張る両手で缶ジュースをきつく握りしめ、足音を立てないようにその場から立ち去った。



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