「カローラ」 第五章「夕歩の決意」 3



日が暮れる前に夕歩を自宅に送り届けて帰ってくると、順は家の道場でぼんやりと佇んだ。

(もっと上手くできればいいのに)

夕歩の前で自然に振る舞えないことに、苛立ちと無力感が募る。

「順」
「あ、父さん……」

声に振り向くと父がすぐ側に立っていた。考え事に夢中で、父が道場に入って来たことにすら気付かなかった。

「そこに座りなさい」

順は黙って道場の床に正座したが、父と正面から向き合うのはつらかった。
正直、今は話をする気力もない。真剣な話なら尚更だ。
心の中は逃げ出したい気で一杯だったが、立ち上がって歩く力も今の順にはなくなっていた。

「順、お前、夕歩の病気のことを知っているな」

順の内面を知ってか知らずか、父の話はいきなり本題に入った。
病気……そんな単語を聞くだけで、気分がいっそう重くなる。もう、両手で耳を塞いでしまいたい。

「はい……夕歩の母さんが先生と話しているのを聞いてしまいました」
「最近沈んでいたのはそのせいか」
「……はい」

答える声に力が入らない。父の瞳は順の思いを推し量ろうとしているかのように、静かな光を湛えていた。
そんな目で見ないでほしい。
あたしは夕歩に何もしてあげられない。夕歩の前で、上手く笑うことすらできていない。

消え入るような声で答えた順を見据えたまま、父はゆっくりと口を開いた。

「きっとお前は、夕歩の支えになっている」
「でも、剣じゃ夕歩の病気を治してあげられないよ!」

悲しみに耐え切れなくなって、順は弱々しく声を上げた。
夕歩を守るために鍛えてきたのに、腕を上げれば夕歩を守ることができると思っていたのに。今目の前にある現実は、この剣では夕歩を助けることはできないということだけだった。

父ならこの鬱々とした状態から自分を救い出してくれるのではないか。順はそんな期待をこめてすがるように父を見たが、目の前に座る父はただ静かに語りかけてくるだけだった。

「お前に病気は治せないし、もちろん俺にも治せない。夕歩が頑張るしかないんだ」

うつむいて黙り込んだ順に、父は最後にこう告げた。

「もう少し自分のことを、きちんと見つめてみるといい」



  *


秋を迎える頃には、夕歩は週末ごとに外泊が許されるようになっていた。それは治療の経過が順調なことを表している。

(なのに、あたしったら何でこんなに暗いんだろ)

『夕歩が頑張るしかない』、父はそう言ったけど、順にはどうしても諦められない。

(そんなに簡単に割り切れるはずないよ……)

どうすれば夕歩を助けられるんだろう。どうすれば、夕歩の力になれるんだろう。
そんなことばかりを、順はいつも強く考えていた。



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