魔天戦鬼 0話
  

「あ…… あぁ……」
 闇の中、少女の絶望的な喘ぎが響く。
 そして、人ならぬ者の声無き呻き。何かが這いずるかの様な湿った音……
 昼なお暗い、古ぼけた校舎の奥に“それ”はいた。
 もはや使われる事の無い教室。わだかまる闇の中、蠢く陰。
 ぬめる肉色の触手が捕らえた獲物を這い回り、思うがままに嬲っている。
 捕らえられた哀れな少女は絶望の涙を流すのみ。
「嫌……止めて……」
 弱々しい拒絶。だが触手の蹂躙は、止まらない。
 服を引き裂き、白い滑らかな肌を這い回る。
 触手がこぼれた形の良い胸に絡み付き、嬲られる度に少女は苦悶とも愉悦ともつかぬ呻きをあげた。
 頬が僅かに染まり、息遣いが荒くなる。
 それにつれて、触手の動きは激しさを増していった。
 やがて……
「あ……嫌!」
 数本の触手が下着の中に潜り込んだ。
 既に潤んだ花弁を、触手達は嘗めずる様に這い回る。
「ヒィッ! 駄目! 助けて、誰か!」
 恐怖の叫び。それは、触手への嫌悪か。或は、魔性の快楽へのものか。
 だが、それもまた糧であるかの様に、触手達は喜悦に体を震わせ、下着を引きちぎった。
 そして、とうとう……
 一際太く、巨大な触手が彼女の花弁を目指して這い寄り……
「嫌〜〜〜!!」
 少女の絶望の悲鳴が上がった。
 その時、
―― !!
 声にならぬ叫び。
 少女のものではない。触手達は恐慌を起こしたようにざわめき、震えた。
「な……何が!?」
 その枷から脱した少女は呆然とその姿を見やった。
 見れば、巨大な触手の半ばに三つ又のナイフのような物が生えていた。
 それは、仏具の一つ、三鈷杵。
「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニハンドマ ジンバラ ハラバ リタヤ ウン」
 何処からとも無く響く、真言。
 同時に三鈷杵が淡い光を発した。

――おぉぉぉぉぉ……
 怨念の叫びか。その光から逃れる様に、触手達は狂った様に足掻く。
「逃げろ!」
 まだあどけなさを残す少年の声が、少女の耳朶を打った。
「え、ええ……」
 混乱しながらも、彼女は触手達から少しでも遠ざかるべく、転げまろびつ 走った。
  その傍らを、駆け抜ける少年。

 長身にやや細身の身体。顔は長い髪に隠れてはっきりとは見えないが、端正な口元が伺える。身に包んでいるのは、この学校の男子の制服だ。
 それを敵と認めたのか、触手達は一斉に攻撃をかける。
 鞭の様にしなった触手が宙を薙ぎ、槍の如く変化したものが、空を穿つ。
 だが、少年は悉くそれをかわしていく。
 そして、三鈷杵の突き立つ触手の攻撃を躱すや否や三鈷杵を手に取り、引 き抜き様に切り裂いた。
―― ザシュッ!
 吹き出したのは、どす黒い粘液。
 それを躱し、触手達が一瞬怯んだ隙に少年は距離をとる。そして、三鈷杵 を右手に構えると、左手の人差し指と中指を伸ばし、他の指を丸めて手剣印 をつくっ た。
「臨! 兵! 闘! 者! 皆! 陳! 裂! 在! 前!」
 そして、宙に横、縦と早九字を切る。
 と、その指先に仄かな光が宿った。
 そして、三鈷杵の片方に刀印を添え、ゆっくりと横――三鈷杵の延長線上 ――へとスライドさせていく。指が動くにつれ、その光が結晶化していくが 如く、刃 が形成されていく。そして、刃渡り1メートル程の刀となった。
「行くぞ!」
 少年が地を蹴り、触手に襲いかかる。
「ハァ!」
 淡い残像を残し、光の刃が宙を薙ぐ。
―― !
 と、まとめて数本触手が斬り飛ばされ、床に落ちる。
 それらは見る間に腐臭を発し、汚猥な水たまりと化していった。
 そして、刃が閃く度触手が斬り落とされていく。
「ヒィッ!」
 と、そのうちの一つが、教室の傍らて震えてへたり込む少女の目前に落下する。
「逃げろ! そこに居ると巻き込まれる!」
僅かに少年の注意が逸れ……
「グハッ!」
 太い触手の一撃で跳ね飛ばされる。
 そして、触手が地に伏した少年を抱え上げると、闇の中からその正体を表す。
 それは、イソギンチャクの如き触手の固まり。無数の触手が蠢くその中心にぽっかり開いた闇は、口か、目か。そしてその下の胴体は、ナメクジの様に地を 這っている。あたかも、悪夢の中の住人の如き姿だ。
「あ……あぁ……」
 それを目にした少女は失禁し、そのまま気を失ってしまう。
 怪物はそれに気を取られたのか、少女ににじり寄っていく。少年を抱える腕の動きが、止まった。
「今だ!」
 少年の顔に生気が戻る。
 すかさず刀を振るって戒めを解くと、触手の中央、闇の中に突きの一撃を入れる。
―― ギィィィィ!!
 絶叫。聞く物全てに狂気をもたらすが如くの。
 だが、少年はそれにとらわれる事は無い。 次々と触手を斬り飛ばし、胴を薙ぐ。
 そしていつの間にか、怪物の姿は当初の半ばほどになっていた。
 もはやかなわぬと見たか、それは闇の中に逃げようとじわじわと後退し始めた。
「逃がすか!」
 少年の左腕から羂索(縄)が放たれ、怪物に巻き付いた。そしてそれは、 自身が意志を持つかの様に怪物を締め付けていく。
―― ギ……ギヒィ……
 もはやその呻きは力無い。
「そこまでだ。観念するんだな」
 左手で印を結び、精神を集中する。
 淡い光が少年を包み、次いで刀へと集中していく。
―― キシェェェ!!
 怪物は咆哮を上げ、戒めを振りほどいた。
 しかし――
「遅い!」
 少年は一足飛びに怪物の懐に飛び込んでいた。
「邪鬼……退散!」
 一閃。
 光の残像が駆け抜けた。
 そして訪れたのは、静寂。
 少年は刀を振り向いた姿勢のまま静止し、怪物もまた身じろぎ一つしな い。
 そして僅かな時をおき、少年の三鈷杵の刃が光と化して霧散し、次いで少年も崩れ落ちた。
 少年の顔は疲労にまみれ、身動きも取れない。
 その少年に、怪物は触手を伸ばそうとし……
―― ギ!? ギギ……
 突如、その動きを止めた。怪物の躯の中央に、淡い光の固まりが現れたのだ。
 その光は徐々に強まっていき、梵字の形をなす。更に光は全身を駆け巡り、あちこちで爆ぜ、怪物の躯を苛む。
 が、怪物は最後の力を振り絞り、少年に一撃を与えようとする。
―― ガ……ギィィ……
 しかし……
―― !!
そこまでであった。
 怪物の全身を光が包み、次の瞬間爆光とともに消滅したのであった。
後に残るは、一握りほどの塩。
「終わったか……」
 少年は、暫し塩の山をじっと見ていた。そして息を整えて立ち上がると、 今だ気絶したままの少女に歩み寄る。
「無事だったか……」
 僅かに笑みを浮かべると、少女を抱き上げる。
「すまない、俺のせいで……」
 声にこもる、僅かな哀しみ。
 そして少年は、少女を連れて歩み去る。
 だが……彼らの去った教室の片隅、わだかまる闇の奥に、嘲う何かの姿が浮かんで、消えた。

06/01/01公開

  

  

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