マイメロちゃんが女神だったら 6 

☆死に近い表現を含みます


 傘につかまり、五老峰までふわふわと飛んできたのは、ピンクの頭巾のうさぎのぬいぐるみでした。
 崖の上には、2人の老人が坐しています。
「こんにちは。」
 小さく縮んで肌の色も変わった長い髭を生やした老人と、その彼に緩く腕を回してもたれかかっている、背が高く乾き切って骨の浮いた皺だらけの老人。
「……あなたが。」
「初めまして、天秤座。わたしはマイメロです。女神です。」
 大きな目を更に大きくする童虎に、マイメロちゃんは、傘を閉じ、ぺこりとお辞儀しました。
「起きろ、シオンよ。女神がいらした。」
 御挨拶を返した童虎さんは、微かな寝息をたてていたシオンの肩を揺らして起こします。
「……おお、女神。失礼いたしました。」
「ううん。元気?」
 教皇の座をアイオロスに譲り、引退したシオンは、五老峰の老師の許へと住処を移していたのでした。
「シオンよ、歩けるか?女神にお茶を頼めるかの。」
「うむ、判った。」
 ゆるりと立ち上がったシオンは、そろそろとした足取りで、小さな小屋へと向かいます。
 シオンも、童虎も、マイメロちゃんが何のために此処に来たのかを判っていました。
「ハーデスと双子神が目覚めました。」
「うん。」
 童虎はずっと、ハーデス軍が動き出すのを見張っていました。
 女神が聖域に降りられ、黄金聖闘士が12人揃ったのも、その時期が近付いてきた星の運命のためでした。
「長い間、御苦労様。……解こうか?」
 マイメロちゃんはそっと、童虎の胸にふれます。
 MISOPETHA-MENOS、一年をかけて、一日分しか動かなくなった、彼の心臓の上あたりに。
「まだ、良い。――シオンがの、もう、ほとんど一日中うたたねを繰り返しておるのじゃ。もう、長くはなかろうから……あれを地に返したら、わしは自分から参りましょう。」
 前代の女神が童虎にかけた秘法のことを、シオンは知りません。
 もう一度、童虎に会うまでは――と、気合と根性だけで二百数十年を生き続けたシオンは、女神に聖域をお返しした今、愛しい男の傍らに辿り着き、もう離れようとはしませんでした。
「聖戦が終わるまでだけ、もう一度お供を致しましょう。」
 童虎は静かに告げ、マイメロちゃんに手を伸ばしました。
 大きくつぶらなその瞳には、透明な涙が浮かんでいて――童虎がそれを指で拭うと、乾いた肌に吸いこまれていきました。
「お待たせしました、女神。」
 やがて、三人分のお茶と乾果を持って戻ってきたシオンは、童虎の膝に乗って撫でられているマイメロちゃんのお姿に驚きましたが、何も云いませんでした。
「ありがとー。中国茶、おいしい。」
 大さなカップでこくこくとお茶を飲む女神の姿を、シオンも童虎も、微笑んで見ています。
 マイメロちゃんは、彼らが知る前代の女神とは、姿も形もまるで違うぬいぐるみさんでしたが、やわらかく暖かなその小宇宙は、雄大で美しいものでした。
「シオンよ、おまえも、女神を撫でてさしあげたらどうじゃ。」
 童虎に云われて、シオンは躊躇いましたが、マイメロちゃん本人も、シオンに一歩近づいて、その手を待つ仕草です。
 恐れ多いことながら、そっとふれた女神はやわらかく暖かく、たっぷりと綿が詰まってふかふかとしていました。
「女神……、アイオロスや、他の者達はどうしておりますか。」
 シオンの問いに、マイメロちゃんは可愛らしく笑います。
「皆元気だよ。毎日いっぱい修行してるよー。」
「双子達のことは……、申し訳ございませんでした。」
 サガとカノンのことでは、シオンもマイメロちゃんに、めっと叱られていました。
 そして、シオンが聖域を出る頃のサガの笑顔はかつて見たことのない朗らかなものであり、カノンもマイメロちゃんを全力で守ろうとする意欲に満ちて輝いていました。
「ううん。もう、2人とも大丈夫。」
「……はい。女神。」
 麗しく暖かく大きい、女神の小宇宙と微笑みは、シオンの全身を満たしてくれました。
 シオンは大きく息を吐くと、また最初のように、童虎に凭れかかりました。
 童虎の頭に顎を乗せ、緩く両腕をその体に回します。
 シオンは微笑んでマイメロちゃんを見つめていましたが、次第にその、マイメロちゃんの頭巾の色を少し薄めたような色の瞳は、閉じられていきました。
 きっともう、とても軽くなってしまったシオンの体は、動けない童虎にでさえも容易く支えられるものなのでしょう。
「……もう、行くね。」
 マイメロちゃんは、ぽんと音を立てて傘を広げました。
「お気をつけて、女神。……また、そのうちに。」
 シオンは寝入ってしまったのか言葉はなく、童虎が低くそう告げます。
「そうね。……さよなら。」
 別れの言葉は、シオンに。
 ふわりと空を飛んで行くマイメロちゃんの姿が、次第に小さくなって消えていくのを、童虎はずっと見つめていました。
 あと少し。もう少し。シオンと許された日々がどのくらいあるのか、童虎には判りませんでしたが……それまでの時間は、許されているようでした。
  
2008/02/22 






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