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世はグルメ時代。 人々は未知の食材に魅せられ、更なる美味を求める。
そんな時代の中、少し変わったレストランがありました。 その店の名は、バラティエ。 ひとつ星のレストランです。 ざーざーと雨の降る日のレストランは、残念ながら大分ひま。 ランチタイムのラストオーダーも過ぎ、今いるのは、ぎりぎりに入ってきたお客さん一人だけでした。 このお客さんが帰ったら、ディナーまでの間はお店を閉めるということもあり、ランチ担当のバラティエ副料理長のサンジは、他のコックを先にあがらせ、一人で店番をしていました。 洗い物と夜の分の仕込みをしながら、客席に注意を払っていると、その、一人だけのお客さん、サンジよりも少し年下だろう若い男の、嬉しそうな声が聞こえました。 「うっめー!!」 そういう率直な声を聞くと、サンジもつい嬉しくなって笑ってしまいます。 ちょっとホールの方を覗いてみると、そのお客さんが、サンジを見つけてぱっと笑いました。 「なあ、これ、おかわり!!」 そう云ってくれるのはとても嬉しいのですが、残念、無理なのです。 そもそもこんなお天気の悪い、客入りの少ない日でもなければ、こんな時間まで日替わりランチは残っていません。 「すまねえなお客さん、今日のランチはもうおしまい、その食材も品切れなんだ。」 「そうかー、じゃあ仕方ねえな。明日くればまたこれ食えるか?」 「あー、いや、気に入ってくれたのは嬉しいけど、これ、本日限定でな。たまたま入荷できた食材だから、次の予定はないんだ。」 「そうなのか…。」 しょぼんとする男に、サンジは申し訳ない気持ちになりました。 「えっと……、食い足りねえのか。店は閉めちまうけど、何か作ろうか。」 日替わり以外の材料ならまだあります。サンジはランチ用のメニュー表を持ってきてあげました。 「いいのか。おまえ、いい奴だな! それに、いいコックだ! ありがとう!!」 天真爛漫にお礼を叫ぶ青年に、サンジは何だか照れ臭くなりました。 黒い髪の彼の大きな目の下に、目立つ傷のあるのが何となく印象に残ります。背中に麦わら帽子をぶらさげていて、全体的に季節感のなさそうな格好でした。 その青年はメニューをめくり、肉料理のページを開きます。 それからざっと目を走らせ、……そして、あれっという顔をして、その前後のページもめくって眺めました。 気付いたか、と、サンジはちょっと、嫌な気分になります。 「なあ、この店、市場流通食材しかなくねえか?」 「だから何だっつーんだお客さん、うちの飯は高級食材なんかなくたって最高にうめえんだよ。文句があるならさっさと出ていきやがれ!」 一言でもケチをつけられたら、全力で蹴りだすつもりでしたが、青年はニカっと、サンジが一瞬ひるんでしまうほどの、明るいまっすぐな笑顔を浮かべました。 「文句なんかねえよ。先刻の海老大根鳥もすげーうまかったけど、食材だけじゃなくて、味付けもすげえうまかった。この店なら何食ってもうまいって判る。おれ、そういう勘は絶対に外さねえんだ。」 「そ、そうか。判ってくれてんならいいんだ。」 サンジの怒りもすぐに消滅し、そう云ってくれるんなら満足させてやらないとな、と、妙に張り切った気持チになります。 「んで、どれが特にうめえ?」 「全部うまいに決まってらあ。」 サンジは笑いながら、青年と一緒にメニューを選び、特盛り大サービスで料理を出してあげました。 ついでに自分もまかないをと作っていたら、匂いを嗅ぎつけてそれも食いたいと騒がれ、なしくずしのように、一緒に食事をしたりしてしまったのでした。
レストラン・バラティエは、サンジの父、ゼフのお店です。 ゼフはとてもとてもすごいシェフで、サンジは絶対に素直に口になど出せませんが、世界一なのではないかと密かに信じているほどです。 なのに、そんなゼフが料理長を務める店が、星をひとつしか冠していないのは何故でしょう。 それは、バラティエが、基本的に市場流通食材しか使わない店だからなのでした。 高級食材、レア食材を入荷できる店であるかどうかは、店の星数にも影響します。捕獲レベルが高く、調理の難しい食材を通常提供できるとあれば、人々は喜び、店の評価も高まるのです。 けれどもバラティエでは、ほんの時折、馴染みの商人や常連客の伝手などで安く手に入った時くらいにしか、特殊素材を扱うことはありませんでした。 しかもそれは、大した量ではないことが多く、日替わりに出せるだけあればまだよし、そうでなければゼフは平気でコック達のまかないにしてしまうのが、サンジはとても不満でした。 普通の食材をよりうまく食わせる、それがゼフのポリシーであり、お客さん達も大抵皆、この食材がこんなにおいしかったなんて、と、そんな驚きを持って、バラティエのファンになってくれることが多いのです。店に集まってくるコック達も、ありきたりの食材の新たな魅力を最大に引き出す、そんなゼフの腕に魅入られた者達ばかりです。 サンジだって、ゼフの腕を心の底から尊敬しています。そしてそれはサンジにとっては、愛情たっぷりの父の味でもあるのです。 でもそれと同じくらい、世間の人々に、ゼフのすごさ、偉大さを知らしめたいと云う気持ちも、とてもとても強くあるのでした。時代の風潮の中、どうしても高級食材を出せない店はあなどられる傾向にあり、サンジが、出せないんじゃねえ、出さないんだ! と叫んでも、試しにでも食べに行ってみようと思わない客の耳には届く筈もないのです。 ゼフの方にも、荒っぽいとはいえ父心はあるようで、時々怒鳴る、そんなに高級食材の調理がしてえんなら余所の店に行け! の後には、さりげなくを失敗したような態度で、どこそこの店の主人とは知り合いだとか、そんな話をされたりもします。出てくる店は名だたる名店ばかりで、サンジが一言、修行に出たいとさえ云えば、ゼフはすぐに伝手をたどってくれるのでしょう。 けれどもサンジは、もっともっとゼフの元でたくさんのことを学びたいのです。副料理長の名はゼフの息子だからではないと、サンジは自負していますし、何より、幼い頃から食べ続けてきたゼフの味が、サンジは何より大好きなのです。 サンジがお子様用の包丁すら持たせてもらえなかったような小さな頃は、ゼフも高級食材を調理していたような気がしますが、けれどもさすがにその頃はレストランに出入りはさせてもらえなかったし、母が亡くなったりで色々あったので、サンジもほとんど覚えていません。 この時代、料理は味付けだけではなく、様々な高級食材を取り扱える店であること、特殊調理食材を捌ける腕のコックがいることも、重要視されるのです。サンジはそのたびに、ゼフの腕が勿体ないと、口惜しくなってしまいます。 現在、極々たまに入荷する特殊調理素材の調理は、ゼフは必ずサンジにさせてくれますし、隣であーしろこーしろと指図する内容は的確で完璧で、ゼフは昔、様々な食材を調理してきたのだろうと思わされるものでした。 そしてその後、ある程度の量があれば、てめえの好きに使えと、ここ数年でサンジがまかせてもらえるようになったランチ営業用に渡してくれたりもします。 もちろんサンジはそれを、精一杯調理し、できる限り日替わりとしてお客さんに提供するなど、精一杯がんばってはいるのですが。 ゼフとはつい先日も、盛大に喧嘩をしたばかりでした。 サンジはいつもどこか、くすぶったような気持ちを抱え続けてしまっています。
そんな、どことなく鬱屈したような気持ちを、サンジは何故だか、この初対面の青年に、あーだこーだとしゃべってしまいました。 「あーうまかった、ごちそうさま!」 「……てめえ、人の話聞いてたのか?」 青年はサンジの分の食事までほとんど奪い、おまけでだしてやったデザートまですべて食い尽くしていましたが、大変に満足そうな笑顔だったので、その点についてはサンジは一言も責めません。 「聞いてたぞ。」 「ほんとかよ。」 「ほんとだぞ。おまえの作ったメシ、すごくうまかった!」 やっぱり聞いてなかったんじゃないかな、とサンジは思いましたが、青年につられてサンジも笑ってしまいました。 「また来る! 絶対来る。そしたらまたすげーうまい肉、食わせてくれ。」 「おう、ぜひ御贔屓に。ディナーも来いよ、クソジジイのメシはもっとうめえぞ。」 とりあえず、常連客ゲットのようです。サンジがにこやかにおすすめすると、青年はふるふると首を振りました。 「昼に来る。おまえのメシ、うまかった。すげえ気に入った。」 「そ、そりゃ……、ありがとうよ。」 きっぱり云う青年の言葉が嬉しくて、赤くなってしまったサンジは、ランチ終了してるんだからとっとと帰れと、照れ隠しに青年を蹴りだしてしまいました。 でも、彼の言葉は本当に嬉しかったので、これからもますますがんばるぞー、などと、ひっそり思っていたのでした。
翌日、翌々日、あの青年はまだきません。 さらに次の日、今日こそは来ねえかな、と、何となくサンジは待ち遠しいような気持ちでした。 女好きのサンジが、男客の来訪を楽しみにするなど我ながら珍しいと思いましたが、あれほどのおいしかった顔をしてくれる客はそうそういねえもんな、と、そういうことにしておきたいところです。 早朝、いつものようにサンジが一番に出勤すると、おーいと、遠くの方から聞き覚えのあるような声がしました。 サンジが振り向くと、……逆光でシルエットしか見えませんが、なんだかよく判らない巨大な姿が。 「おーいコックー、なー、この前、名前聞くの忘れた! おれはルフィっつーんだけどさー、おまえ、名前はー?」 妙にのどかな声を張り上げながら、どんどん近づいてくるのは、先日の青年でした。 そういえば、名乗らなかったし名前も聞かなかったなー、と、ぼんやりサンジが思ってしまうのは、たぶん半分現実逃避が入っています。 シルエットがやたらと巨大だった、その理由。彼は肩に、大きなガララワニを背負っていたのでした。 「なあ、おまえ、名前はー?」 びっくりしているサンジに、彼は繰り返して聞きます。 「サンジ……。」 「そうか、サンジか! なあ、これやる。子供だからそんなに捕獲レベル高くねえけど、安く入荷できれば、高級食材も使うんだろ。代金は、これでおれにうまいメシ食わせてくれればいいからよ!」 ルフィと名乗った青年は、サンジの前にガララワニを下ろしました。 先日とは違い、服の前を開けっ放しにしている彼の胸から腹にかけて、大きなばってんの傷があるのにぎょっとしましたが、それなりに前の傷のようでした。 「ノッキングしてあるから。昨日しとめてすぐ持ってきた! なあサンジ、腹減った、メシ食いてえ!」 ルフィは呆然と突っ立っているサンジを、わさわさと揺らします。 「お、おまえ、何で、こんな……。」 「だってサンジのメシ、もっと食いてえんだもん。珍しいもん調理してえっつってたから、喜んでくれるかなーって思ったし。なあ、駄目か?」 「だ、駄目じゃねえ。っていうか、ルフィ、おまえ……。」 ここでようやく、ルフィもサンジが何を聞きたいのかを理解したようです。 ニッと笑って、ルフィは麦わら帽子をはねのけました。 「おれは、美食屋ルフィ! まだ駆け出しだけど、世界中のうまい肉を食いまくる予定だ。よろしくな!」 「お、おう、よろしくおねがいします……。」
そしてサンジは、大慌てでゼフを電話でたたき起こして呼びつけ、その間にルフィに朝飯を作ってやりました。 ゼフの指導の元、初めてガララワニを捌いたサンジはとても御機嫌です。 バラティエの本日の日替わりランチは、ガララワニのステーキ・サンジスペシャルソース添え。皿数もたくさん出すことができました。 しかしその半分は、ルフィの腹の中に収まったことを追記しておきます。
これが、後に数多くの名声を謳われることになる、美食屋ルフィと料理人サンジのコンビの、最初の出会いでした。
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2011/07/12 |
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