壁を乗り越えて 1 

 ナミがみかんの木の手入れをしていると、その下のキッチンから騒ぎが聞こえた。
 煙突から微かに聞こえる声に、眉をひそめながら耳をすませば、サンジの怒声が聞こえてくる。
 ああもう今度は誰かしら、と、ため息をつきながらも、あまり構わずにいると。
 キッチンのドアが開いて、それから、ゾロが上にのぼってきた。どうやら今回怒鳴られていたのは、ゾロのようだ。
「何やったのよ、ゾロ。こっちまでサンジくんの声が聞こえたわよ。」
 軽く声をかけてから、すごく暗くなっているゾロの表情に気付く。どうやら、酒の盗み飲みを咎められたというようなものではなさそうだ。
「……すまねえ。お前の気に入りのカップ、割った。」
 えー、と、云いかけてナミは言葉を飲んだ。
 そんなに悲しそうな、今にも泣き出しそうな顔をされたら、怒るに怒れないではないか。
 喉に詰めた言葉をため息に変えて吐き出しながら、ナミはみかんの木の下に腰を下ろした。
「座んなさい。」
 ぽん、と自分の横をたたくと、ゾロは無言で従う。その肩は随分と落ちていて、ゾロはもう一度、小さな声でくり返した。
「わりい。」
「全く。喧嘩したの?私のカップ、巻き添えくらった?」
「違う。洗い物してて割った。」
 罪悪感からか、ゾロは素直にナミの質問に答える。
 お手伝いしてたの、と、珍しさにゾロの顔を見直すと、口惜しげに唇を噛んで、そっぽを向かれてしまった。
「このあたり、水冷てえし…、手ぇ荒れてたから。」
 それでがんばったのに、失敗をしてしまって、かえって怒らせてしまったのかと、ナミもこっそり息を吐く。
 皿くらいならまだしも、よりによってナミの気に入りでは、余計にサンジの罵声もひどかったことだろう。
「余計なことすんじゃなかった。……おれも、ウソップみてぇに、何でもできて、うまく話せればよかったのに。」
 そんなことをゾロが云いだすなんて、本当に珍しい。どうやら相当落ち込んでいるようだ。喜ばせたかったのに怒らせてしまったのでは、ゾロが後悔するのも仕方がないか。
 確かにウソップはサンジととても仲が良くて、よく手伝いもしていて、一緒にいる時間も長くて。楽しそうにじゃれている二人を、ゾロが羨ましそうに見ていることをナミは知っている。サンジはゾロとは、いつも喧嘩ばかりだ。
「あんたには私がいるでしょ。」
 けれどもゾロにだって、ナミがいるのだ。あの二人のように、きっとナミとゾロだってとても仲良しで、何でも話せる関係であるとナミは思っている。
 そう云ってやると、ゾロは驚いたようにナミを見て、笑ったが、目が潤んでいた。
「そうだな。……すげえ、助かってる。」
 ゾロはそのまま体を横に倒し、ナミの膝に頭を乗せてきた。
 ナミはぽんぽんと、緑の頭を撫でてやる。ほんのすこしでも、ゾロの心が凪ぐように。
 今はゾロが苦しい悩みを抱えているから、ゾロがナミに頼ってきているけれど、ナミがいつか何かで辛くなったら、ゾロだってナミの為に全力を尽くしてくれるに決まっているのだ。だからナミは、今はこうしてゾロを甘やかす。
 ゾロはそのままごろんと向きを変えて、ナミの腹部に顔を押しつけてきた。
「ノンケになんか惚れるもんじゃねえよな。ましてやあんな、世界一の女好きだ。」
 自嘲するゾロの頭を、ナミはぎゅっと抱え込む。
 ゾロは、同性を性的対象とする男だ。
 そしてサンジのことが好きなのだ。
 それをナミに打ち明けてくれたのは、ナミも、同性を対象とする女だから。
 何となく似たにおいを感じて、ナミが持ちかけ、判明した。それ以来、ナミとゾロは、とっても仲良しだ。
 ゾロは男相手の経験はそこそこあるようだったが、欲情はしても、恋をするのはこれがどうやら初めてらしい。
 そんなゾロの初恋をできることなら応援したいが、しかし、よりによって相手が悪すぎるとナミも思う。
 惚れてんのに気付いた瞬間、失恋決定だ。と、ゾロは云った。ナミにもそれを否定しようがない。
 しかもゾロは抱かれる側がいいらしいので、余計にどうしようもなさすぎる。
 あれほどの女好き、見たこともない。それでいて女を自分のものにしたがるのではなく、ただひたすら大切にして崇めてくれる。ナミは女が好きだが男嫌いという訳ではないので、ゾロのことさえなければ好ましく思っていられた筈なのだけれど。
 無理と判っていて、それでも諦められない、そんな根深い恋をナミはまだ知らなかった。
「……っ。」
 ゾロの呼吸が乱れる。ゾロの顔の押し付けられている腹が、蒸れるように暖かくなる。
 けれども咎める気はなくて、このまま寝ちゃいなさいと、ナミはゾロの髪をぐしゃぐしゃとかき回していた。



「何してやがる、このクソマリモ、ナミさんから離れろ!」
 ナミも半分とろとろしてきたような頃になって、突然サンジの声が響いた。
 びっくりして目が覚める。殺気混じりの罵声にゾロも起きたようだが、ナミの腹に顔を埋めたままでいた。
 その全身に緊張が走るが、多分見せられた顔ではないのだろう。ひどくうろたえている様子が伝わる。
「うるさいわよ、ゾロが起きちゃったじゃない。」
 ナミはゾロが起き上がろうとするのを引き戻し、胸に頭を抱き込んだ。
 一瞬ちらりと見えた顔、赤くなった目と鼻を、サンジに見せることなんかない。
「え……。」
 同意だと強く主張すると、サンジがひどく焦った様子で動きを止める。
 ナミも表情がきつくなっている自覚はあるが、少なくてもこの件では、ナミはゾロの味方だ。
 ゾロの気持ちをサンジに気取らせる訳にはいかない。ゾロが必死に自分の恋心を隠しているのをナミは側で見てきたし、もしサンジがそれを知ったらと思うと、ナミだって正直怖い。
 サンジがゾロの気持ちを喜ぶとは思えないし、それは仕方のないことだ。拒絶、嫌悪、軽蔑、サンジがどう感じるかは判らないけれど、せめてゾロの傷が最低限で済めばいいと、願わずにはいられない。
「ナミさん……。」
 サンジの白い顔が、いつにもまして青白く見える。
「ナミさん、そいつと、どういう関係なの。」
 押し出すような低い声に、どう答えようかと一瞬迷った。
 絶対に互いに欲情することがない故の、親密なゾロとの友情。あまり大っぴらに云えない性癖を秘密にしあう仲。
 サンジはいつもナミにめろめろ云うけれど、本気で惚れられている訳ではないと思う。
 どっちみちナミは男に惚れられても答えられないし、だからこそゾロも、ナミに心を預けてくれているような気もする。サンジがナミにめろめろしながらではなく、純粋に優しくしてくれる時、ゾロは羨望と諦観のこもった目でナミを見る。
 ゾロはサンジがナミに本気だと思っているようだけれど、違うんじゃないかなと云っても悲しそうに笑うだけだし、どっちみちナミは男に恋はしない。
 そしてサンジも、ナミと同じように、男に恋はしないのだ。
 ならば、ゾロとのことを誤解させておいた方がいいのだろうか。
 どうせサンジがゾロを好きになってくれるなんてこと、一生ないのだろうから。
「男と女よ。……あとはノーコメント。」
 それだけとりあえず告げてみる。男と女。単なる性別を云っただけではあるけれど、それと同時に、どんな推察をされるかは知っている。
 たとえ相手がゾロでも、自分が男とどうにかなっているところを想像されるのは正直気持ち悪いが、それで少しでも今ゾロを守れるのならば我慢できた。
 サンジは片方しか見せない目を大きく開き、息を飲んだ。
 ゾロはぎゅうっと、ナミにしがみついたままの腕に力を込める。
 痛かったので軽くたたいて撫でて緩めさせる仕草は、更にサンジの誤解を呼ぶだろうか。
「……判った。邪魔してごめん。」
 サンジは短く呟くと、くるりと踵を返して甲板から去った。
 サンジの気配が消えてようやく、ゾロの肩から力が抜けた。
 ナミはまた、ゾロの頭をぽんぽんたたく。
「余計なことしたかな。」
「……いや。ナミは女だし、おれは男だ。嘘はついてねえ。」
 ゾロはてのひらでぎゅっと目元を擦って、起き上がった。
「どうせ、これ以上気まずくなっても変わんねえよ。」
 冷たくなっているだろう指先を、目に当てながらゾロは云う。
 ゾロが人前に出れる顔になるまで、ナミは肩をくっつけて、一緒に座っていた。
 
2010/04/19 



ゲイなゾロとレズビアンなナミさんの間に厚い友情があったら激しく萌える。
微妙な趣味ですみません……_| ̄|○



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