母はアイドル
木暮香瑠:作

■ アイドルが家にやってきた3

 耕平は、夕食を終えテレビを見ながらコーヒーを飲んでいた。
「耕平、バンドの練習はどうだった?」
 後ろから父親の浩二が話しかける。
「ああ、思いっきり出来た。すごい別荘だったよ。やっぱりプロは違うな。別荘にあんなスタジオを持ってるなんて……」
「そりゃあ、良かった。うん、良かった」
 何か他のことを言いたげな、歯に何か挟まったように口ぶりに耕平は違和感を覚える。耕平と父親は、仲が悪いわけではない。母親が亡くなってから一二年、武内浩二は男で一つで耕平を育ててきた。後妻を貰うこともなく仕事と育児に全力を尽くしてきた。耕平も、何でも話せる仲の親子だと思っている。父親を信頼しているし尊敬もしている。そんな父親の、よそよそしい態度に違和感を覚えたのだ。まるで反抗期の息子に話しかけるような歯切れの悪さが感じられた。

 テレビでは、アイスクリームのCMが流れている。
「耕平、この娘知ってるか?」
 父親が指差したのは、そのCMに出演している女の子だ。
「知ってるって、星野奈緒だろ? 知らないヤツなんていないよ」
 テレビに流れているのは、美味しそうにアイスクリームを食べている星野奈緒だった。耕平は、親父がよくする話を思い出した。
「ああ、オヤジ、この娘の担任だったんだよな。中学のとき……」
 耕平の父親、武内浩二は中学校の教師をしている。四年前、星野奈緒がデビュー前、中学一年の時の担任をしていたのだ。芸能界入りを相談され、その相談に親身に乗ってあげたらしい。
「この娘なんだが……、あの、その……、それが……」
 浩二は、相変わらす歯切れの悪い口ぶりだ。
「何がどうしたんだ。はっきり言えよ。また自慢話か? 星野奈緒の芸能界入りの相談に乗ってやったって……。まさか、今の星野奈緒の活躍があるのは自分のお陰だなんて言わないよな」
 耕平は、冗談のつもりだった。
「つまりその……」
 しかし、浩二にはその冗談さえ受け入れる余裕はないみたいだ。

 その時、三つ編みヘアに大きなメガネの少女が玄関に入って来た。パタパタとスリッパの音を響かせリビングに走り込んでくる。
「先生、お待たせ……」
 少女は、リビングに入ってくるなり浩二に飛びつき抱きついた。首に手を廻し、浩二の頬に、チュッと軽いキスをする。
(なんだ? コイツ! オヤジにキスしてる……)
 耕平は、眼の前の光景に驚きを隠せないでいる。ざっくりと後ろで一つに編み込まれた三つ編みに、今時珍しい大きなメガネの少女。顔が小さいから、メガネが余計に大きく見える。幼い少女が、四十過ぎの中年男とキスしている。背は高いが中学生にも見える小顔の少女。耕平には、少女と父親の関係に思い当たる節もない。

 目を丸くしている耕平に気付いた浩二は、頬を紅くしながら話し始めた。
「星野まさみ君だ。あの……、その……、今日から一緒に暮らすことになった……」
 照れ隠しか、手で頭をボリボリと掻いている。その間も少女は、浩二の腕を抱きかかえるように寄り添って満面の微笑を耕平に向けている。

 誰なんだ? でも、可愛い。三つ編みヘアに幼顔の少女。でも、そんなことを思っている場合ではない。
「誰なんだよ、コイツ! 一緒に暮らすって、どう言う事だよ。も、もしかして、オヤジの隠し子?」
 耕平は、突然現われた馴れ馴れしい幼顔の少女に怪訝な表情を向けた。

 父親は母親を愛していた。中睦ましい両親だった。十二年前に亡くなった母親と父親との、耕平の記憶の中の両親は……。しかし、一緒に暮らす理由が他に見つからない。少女が中学生だとすると、母親がまだ生きている時ってことになる……、そんなことはありえない。そう思っても、眼の前の少女を見ると変な想像をしてしまう。

「私たち、結婚するの。わたし、先生の奥さんになるの。君のママってことね」
 少女の口から、思いも依らない台詞が飛び出してくる。
「な、何言ってんの? コイツ」
 耕平は、口をあんぐりと開いた。

「そう言う事だ。お前も知ってるだろ? 星野奈緒が俺の中学の教え子だって……」
 訳も判らず驚いてる耕平に、父親は冷静を装って言った。
「星野……奈緒? 星野奈緒なら知ってるけど、コイツとどんな関係があるんだよ」
 耕平は首を傾げた。

 眼の前にいる少女は、耕平の知らない娘だった。星野奈緒といったら、知らぬ者などいないほどのアイドルだ。ロングヘアのスタイル抜群の正統派美少女だ。耕平は、知っている限りの彼女のプロフィールを思い浮かべた。164cmの伸びやかなスタイル、いつも膝丈のフレアスカートからスラリとした脚が覗いている。そして何より特徴的なのは、背中の中ほどまで伸びたさらさらの黒髪が風に揺れている清純派の大人しい姿だ。しかし目の前にいる少女は、ポニーテールのメガネっ娘……。確かに身長もスタイルの良さも一致しているが、三つ編みヘアのメガネっ娘というイメージは、耕平には星野奈緒と重なるものではなかった。同一人物とは思いも依らない。

 耕平が思考を巡らせていると、もう一人、男がリビングに入って来た。スーツ姿の真面目そうな男は、入ってくるなり親父に大声で話しかける。
「ぜ、絶対ばれないようにしてくださいよ。認めたわけじゃあ、ありませんからね」
 男の大声に、耕平の思考は一時閉ざされる。
「一年間、様子を見るってだけですから。今辞められたら、会社にとっても大きな痛手だから同居を許しましたけど……。一緒になれなかったら、芸能界辞めるって言うんだから……、もう……」
 その男は、耕平の戸惑いを無視して捲くし立てる。
「十七歳で同棲だなんて……。イメージがあるだろ? お前の……」
 困り果てた表情で男が、少女に語りかける。
「同棲じゃないでしょっ! 同居だって!! あなたがそう言えっていったんでしょ。わたしは結婚してますって言いたいんだけどなあ……」
 少女は、プイッと悪戯っぽく顔を背けた。男は、いっそう困った表情になり親父に話しかける。
「姪、あなたの姪ってことでお願いしますよ、絶対!! 世間にばれたら、奈緒のアイドル生命も終りなんだから……」
 その男は、確かに『奈緒』と言った。
「息子さん、あなたの従妹ですからね。いいですか? 誰にも本当のこと、喋っちゃあダメですからね」
 男は耕平の方に向きを変え、念押しするように言った。
「どうすりゃいいんだ、俺は……。参ったなあ……」
 言いたい事だけ言い終えると、困った表情を崩さずさっさと出て行った。
「ごめんね。わたしのマネージャーなの。悪い人じゃあないんだけど……」
 マネージャーの無礼とも思える態度に、星野奈緒はペコッと頭を下げた。

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