母はアイドル
木暮香瑠:作

■ アイドルが家にやってきた5

 耕平は二階に上がると、自分の部屋の隣のドアを開ける。この部屋は、使われていないはずの部屋だ。耕平が目にしたのは、パステルカラーのカーテンとベッド、化粧台。ベッドには女の子らしいピンクのベッドカバー……。慌ててオヤジの部屋も覗いてみる。同じパステルカラーのカーテンが窓を飾っている。帰宅時感じた違和感は、この所為だったんだ。

 耕平は、父親の机の上に飾られていた写真立てが無いのに気付いた。十二年前に他界した浩二の妻・耕平の母親の写真が飾られていたはずだ。その写真が部屋に見当たらない。十二年間、ずっと同じ場所に飾られていた写真がないのだ。
(オヤジ……、本気なのか? 俺より年下だぜ、星野奈緒……)
 アイドルが同じ家に住むという。普通の高校生にとったら、こんな幸運はないだろう。しかし耕平には、その幸運を素直に喜べなかった。
(かあさんはどうなるんだよ。もう忘れちゃったって言うのか?)
 年下のアイドルが、自分の親父の再婚相手になると言うと話の方が衝撃的だった。

 耕平は、混乱を振り払うように頭を降りながら自分の部屋に入った。部屋の隅には、母親の形見でもあるエレクトーンが置かれている。母の思い出が詰まったこのエレクトーンがあったから耕平が音楽に目覚め、今、バンドでキーボードを担当している。そのエレクトーンの上には、母親の在りし日の写真が飾られていた。写真の中で微笑む母親、笑顔の母親の記憶は、今ではこの写真だけである。楽しかった思い出や笑顔の母の記憶は、年を追うごとに薄れていく。

 親が急性骨髄性白血病で亡くなったのは、耕平が六歳のときだった。小学生になったばかりの耕平には、母親が死ぬという実感が無かった。母を亡くした耕平のお母さんに対する思い出は、ベッドの上で泣いている母の姿だった。
「もうすぐ、耕平ちゃんのママでいられなくなっちゃうね。ごめんね」
 ベッドの上で、チラッと見せた母の涙。泣き顔を見せないように背を向けてすすり泣く母。母親の悲しそうな表情を見るのは初めてだった。初めて見る母親の涙を、耕平は今でも覚えている。それほど衝撃を耕平に与えたのだ。いつも笑顔だった母親の顔はいつものことで、十二年も経つと色あせた。六年間の記憶は、十二年の月日を経てどんどん風化していく。しかし、母の涙を、泣いている母の背中を鮮明に覚えている。辛い思い出だけがより鮮明に純化していき、楽しかった思い出を覆い隠していった。

「ママ、……」
 耕平は母親の泣く姿を思い出し、当時呼んでいたように写真に向かって呟いた。
 どんなにかわいい娘でも、たとえどんなにやさいい人でも、耕平は母親になることを認めることは出来なかった。ベッドの上で涙を見せないようにすすり泣く写真の中の母親だけが、耕平にとって母親であった。



「まさみ、お母さんには会ったのか?」
 耕平のいなくなったリビングで、浩二はまさみに話しかけた。
「ううん、会ってくれなかった。でも、電話で話したよ」
 まさみは、必死の笑顔を作って答えた。
「そうか、まだ会ってくれないのか」
「うん、会うとわたしの人気に支障が出るって……。母親が水商売してることが世間にばれたら、わたしに都合が悪いって……」
 まさみは悲しそうに目を伏せた。
「お母さんも君の事を心配してるんだ。解って上げようね」
 浩二は、まさみと母親双方を気遣う。
「うん、判ってる。わたし、先生といられるから心配ないよ。泣いたりしないから」
 浩二の優しさが、まさみには嬉しかった。まさみは瞳を腕で拭い、ニコッと微笑んだ。

 母親が会わない理由は、まさみも理解していた。やさしさから会わないことにしているのが、痛いほど判る。父親のいないまさみを、たった一人で育ててくれた母。二十歳そこそこの年齢で、子供を育てるには水商売くらいしかなかった。強くないお酒を呑まされることも我慢して、けっして愚痴も言わずにまさみを明るく育てた。母親の優しさを感じることができたからこそ、まさみも道を外すことなく育つことが出来たのだ。

 浩二は話題を替えた。
「どうだい? 我が家の雰囲気は……」
「家族が出来るのって嬉しい。だって、わたしいつも一人だったもん」
 家庭に入った嬉しさと、寂しかった過去を思い出すように語り始める。
「わたしが家に帰ると、お母さんが仕事に出かけるの。仕方ないよね、わたしを育てるためだもん」
 小学生の頃を思い出し、まさみは寂しそうに呟く。
「いつも一人でテレビを見てた。あの中に入りたいって思ってた、テレビの中に……。凄く楽しそうだった。だからアイドルになったの。あの中には入れるんだって……」
 母親の優しさを受けていたと言っても、そこは幼い子供だ。母親と接することが出来るのは、朝と休日に限られていた。やはり寂しかった。テレビだけがまさみの友人だった。

 憧れの芸能界に入ったが、そこでは競争社会だった。同年代の友達もできたが、やっぱりみんなライバルだった。親しそうにしていても、表面上だけの付き合いだ。影では平気で悪口を言われ傷つけられた。そんなまさみを勇気付けてくれるのが浩二であり、ファンの励ましのファンレターだった。ファンに励まされ、浩二に癒される。その二つがあったからこそ、ここまでがんばって来れた。

 しかし、ファンには弱気になったところは見せられない。まさみが寂しい思いを語れるのは、浩二だけだった。浩二の持つ包み込むような優しい雰囲気が、まさみを素直にさせる。父親のいないまさみにとって浩二は、初めて素直に接することの出来る男性であり、父親のような存在だったのかもしれない。慕う気持ちが、一緒にいたいと思うようになった。その気持ちがどんどん大きく膨らみ、今日に至ったのだ。

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