古豪野球部、エースは女子?
でるた:作

■ 1

 日本高等学校野球連盟は大会参加者資格規定で、参加資格の適合条件に男子生徒のみという明文を改定した。改定文には生徒の前に男子という修飾語はなく、連盟では女子生徒の参加を全面的に是認する方向で一致した。背景には高校野球の参加規定に関して固陋する連盟の態度に世論の逆風があった。そして条文の改定から10年の歳月が過ぎた。この物語は、その年の高校野球を描いたものである。

   ◇

 県立豊水(ほうすい)高校野球部は30年前に甲子園に出場し、全国準優勝している古豪。しかし最近ではめっきり威勢を欠き、全国大会出場から20年間は遠退いている。学校は県の西部にあり、太平洋岸に面した場所にある。また、県の内陸側は土地が山岳を形成しており、海岸付近は台地となっている。気候は四季折々で寒暖差はあるが、その幅は小さく四季をとおして国内では比較的温暖な気候である。ただ、学校が海岸沿い近くにあるため風通しは良く、夏は熱気を海上からあがった冷涼な風がさらっていくから相対的に過ごしやすい。加えて、温暖な気候が蜜柑の栽培に適しており、県の特産品となっている。

 倉持卓(くらもち すぐる)は父親の直人(なおと)が運転するシルバーセダンの助手席で、床にある後傾角度の調節レバーをいじって背凭れを大きく下げた。
 仰向けになる時、息苦しいまでに腹部を締め付けるシートベルトを外した。
「どうした? 調子が悪いか?」
 直人が訊いた。卓は天井から見上げたまま、「おう」と声に出した。
 卓の背丈は177cm。恰幅はいいほうではないが、細身というわけではない。短く切り揃えられた黒の短髪は如何にもスポーツ少年らしい。面立ちは、濃い眉毛が印象的。着ている衣服は、金色のホックと桜の花弁が彫刻されたバッチの付いた黒い学ラン。
 運転席に座る直人は、淡い水色の長袖と茶色の半ズボンというラフな出で立ち。身長は160cm半ばと、背は卓より低いが顔は少し似ている。
「ここら辺の道は舗装されてないから、オウトツが酷いんだよな…」
 直人がそう言っている最中にも、車は道路のデコボコにゆっさゆっさと揺れた。卓は車窓から差し込むぎらぎらの陽光から目を背けるように瞼をぎゅっと閉じた。そのまま浅い眠りに思考がずぶずぶとめり込んでいく。
「もうすぐ豊水高校が見えるぞ」
 瞼の外から声をかける直人の言葉に卓は寝息でこたえていた。直人はハンドルを持ちながら流し目に眠っている卓の姿を見付けるとさっとフロントガラスに向き直った。車は排気音をたてながら相変わらず上下に揺すられながら進んでいく。
 しばらく時間が経った。厳密にはわからないが、そう思った頃に卓は瞼をピクピクと反射させた。
「おい、卓。高校が見えてきたぞ。目を覚ませ」
 直人の角張った手に身体を揺り動かされて、卓は目を開けた。
 寝起きで不機嫌そうな顔をする卓を直人は笑った。
「席を起して外を見てみろ。気持ち良いぞ!」
 直人に言われるままに卓が車窓を覗くと、蒼穹に昇天した陽の下に、連なった一軒屋と点在して見える更地に叢生する青草が絶え間なく流れていた。景観を瞳に宿しながら、卓はまどろんだ。川のように確実に流れているのに、風景はまるで変わらなかった。その光景は他愛なく、しかし自然と心が和んだ。

「卓。前だ。前を見てみろ」
 直人の言葉に反応して、卓はフロントガラスに目を移した。初めに、十字架の頭をもいだような屋根を接合した白亜の建造物が目に入った。小さくみえる窓が等間隔に平行に並び、地層のように距離をおいて重なっていた。左手に窓のない壁があり、そののっぺりとした白亜に金属製のいくつかの文字板が取り付けられていた。それは陽光が反射してよく見えなかったが、車が建造物を回りこむようにして道路を曲がると、はっきり見えた。「県立豊水高等学校」とあった。次にそれを囲繞するように立ち並ぶケヤキと電線に繋がれた電柱が目に入った。そして車は整備された道路をすいすいと滑走していく。肘掛の傍にある車窓を開閉する装置に左手の指先を押し込んで、助手席の車窓を下げると心地好い冷えた風が入ってきた。風は卓の短髪をしなやかに撫でた。俺はこの学校で甲子園を目指す。卓は豊水高校に進学すると決めてから再三再四確認するように心内で呟いたのを思い起こした。今、その想いが具現化していくのを感じながら、卓は校門に回りこんだ車のフロントガラスの先を見つめた。校門は、7m離れた両脇に漆喰に塗られたコンクリートの隆起と2mの高さがある黒金の鉄柵で構成されている。校門は半ば閉められており、車は進入できない。直人は校門を通り過ぎて、十数メートル離れた道路の端に、車を一時停車させた。そしてテールライトを点滅させる。
「卓。着いたぞ。ここは、お前がこれから入る学校だぞ」
「ああ。わかっている」
「俺はここで待っているから、気にしないで納得するまで十分見てこい」
 卓は直人に頷いて、車の扉を開けた。左足をにゅっと出して、その土地に初めて足先をつける。奇妙な感覚だった。一瞬視界がぐらりと反転したように感じた。気分が悪くなったが、卓は構わずに校門に歩いていった。辺りは静寂に包まれていた。僅かな小鳥の囀りや卓自身の靴音以外まるで音はしなかった。卓は校門で鉄柵の間隙を擦り抜けていった。その地点から数歩進むと突如誰かの視線を感じた。卓はその視線を感じた方向に身体を振り向ける。遠くに人影のようなシルエットが見えた。卓はその姿を凝視した。そしたら、急に金縛りにあったように身動きがとれなくなっていた。少女だった。瞳に映ったのは校舎の前に佇む少女の姿だった。着ている衣服は、どこかの学校の制服なのだろうか。上着とスカートは共に鈍色の生地で作られている。流れ込んだ冷風に少女の穿いているスカートがはためいていた。
「あ、あの…」
 卓は言葉を失った。少女の立姿が何故か神々しく巍然として感じられたからだ。
 少女はボブに調髪した黒髪を棚引かせていた。黒目勝ちのくるりとした目をじっと卓に向けていた。その両目に見つめられながら卓は確信していた。俺は彼女に恋をした、と。

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