古豪野球部、エースは女子?
でるた:作

■ 2

 凝然とした卓を見兼ねたように少女は徐々に歩み寄ってきた。歩きながら少女は口元を動かした。
「君もここの新入生?」
 少女の婀娜っぽい唇の動きに、卓は胸奥を突き上げられた。
「そ、そうだけど…」
 そして気が付いた。先程の少女の言葉が疑義を呈していたこと。君も? 卓は顕然とした眼で少女を認めた。少女は歩きながら卓の数歩手前まで行き、歩調を緩めた。
「私も豊水野球部に入部する予定なの」
 卓の疑念を透かし見たように少女が言葉を継ぎ足す。卓が目を見開くと、少女はくすりと口元を笑わせた。
「君も野球部に入るんだね。知っているよ。
君のこと、見たことがあるから」
 先刻のしめやかな振る舞いから打って変わり、少女は感興の赴くまま卓を回るように歩き始めた。少女は流し目に卓を見ながら、嬉嬉としていた。
「あんたが、野球部に入る?」
 愕然とした様子で卓が訊いた。少女はあからさまに笑った。
「そう。ポジションは投手。そういえば君も投手だね」
 少女は立ち止まると、卓に向き直った。そして左手を差し出す。
「これからはお互いライバルなんだね」
 左利きなのか。卓はそう思いながら、差し出された少女の掌に自身の右手を握り合わせた。少女の手は木目細かくひんやりとしていた。
「そういえば、自己紹介がまだだったね。
私は比嘉李子(ひが りこ)。よろしくね」
 李子の身長は、164cm。女性にしてはそれほど低いというわけではない。体躯は華奢ではなくどちらかといえば頑健なのだが、傍からは女性らしくたおやかに見えた。それも制服の袖やスカートから覗く腕や脚がほんのりと赤みがかかった白さで、マシュマロのような風味に感じ取れたからだ。胸に突き出た双峰の乳房も柔和な風合いを漂わせていた。それに競うように突き出た臀部も同様。膝丈で折りひだの付いたスカートにおさまる恰好の好い尻は、男たちの注目の的になるはずだ。
 卓は改めて李子を見た。やはり可愛い。特に良くすいた黒髪のボブと大きく澄明な黒い双眸が異様に映えていた。ちんまりとのった小鼻も美しい弧を描いた唇も愛らしかった。
「なに見てるの? いくよ」
 李子は卓の右手を解いた。そして校舎の右手にあるグランド側に歩き出した。卓は立ち止まったまま、李子の後に続こうとしない。卓の呆然とした様子を見越して李子は唐突に振り返った。
「野球部を見学しにいくんでしょ? ついていかないの?」
「…あ、ああ」
 卓は正気づいたように、急に歩みを開始した。李子は卓と並ぶまで待っていた。二人は、10本余りの支柱より吊り下げられた20mのバックネットでグランドから遮られた迂回路を連れ立って進んだ。ベンチは、グランドの真北にある。緑色のネットの網目から運動場で溌溂と練習する野球部員達の姿が垣間見えた。金属バットが球に当たる快音や呼び掛けあう野球部員達の掛け声が木霊する。西側の通路には陽射しによりネットの影が通路にのびていた。通路を進むと、左手に校舎のバルコニーが見えた。校門の正面から見た校舎の側面は玄関であるため、数階を吹き抜けた広壮な空間だっただけに階数を計り兼ねた。しかしバルコニーによって校舎が四階建てなのを知った。道をぐるりと右に曲がると正面にベンチが見えてきた。ベンチはプラスチック製の長椅子だった。ユニフォームを着た三、四人の部員達がベンチに座って立て続けに大声をあげていた。グランドの円周となる通路を挟んだネットの反対側は、3mの金網フェンスで覆われていた。そのフェンスの先には道路があり、またその先には民家が見えた。
 道を進んでいった卓と李子は、ベンチの近くで立ち止まった。ベンチには先程見えた部員達以外に、野球帽をかぶり部員達と同じユニフォームを着た男性の後姿があった。メガホンを口元に当てて、部員達を威喝している。その人に、卓と李子は面識があった。
「蠣崎監督」
 李子がその男性の背中に声をかけた。

 蠣崎紀夫(かきざき のりお)が間の抜けた顔で卓と李子を振り返った。その顔は、卓と李子の顔に焦点を絞ると驚いたのか、どぎまぎした不自然な笑顔に変わった。蠣崎は白髪交じりの短髪を右手で掻いて言った。
「そういえば、今日来ると言っていたなあ」
 五十路を過ぎた顔が、愛想笑いで一層に深く皺が刻まれていた。李子は凛と顔を引き締めて頭を下げた。
「よろしくお願いします。比嘉李子です」
 卓もそれに倣うように頭を下げた。

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