黒い館
けいもく:作

■ 15.お館様の脱走劇1

 お館様は必ずしもいつも尊大な態度をとっているのではありませんでした。

「これ、口できれいにしてくれないか」

 ふだんのお館様なら、香子さんの顎をつかみ、自分の分身へ近づけるだけでした。それだけで、香子さんは舌を伸ばし、亀頭の先端から睾丸の付け根まで、丁寧に舐め清めてくれるはずでした。

 行為を終えた後のけだるい時間を床に正座させられた香子さんが口で与えてくれる刺激、それは、目を閉じてベッドの端に腰を下ろし、股を広げて、香子さんの髪をつかんでいるだけのお館様にとっても、犯した女の乱れ方を反芻する心地よいひとときでした。

 ただ、その日は、頭を少し下げ、頼んでいるような口ぶりでした。

 しかし、香子さんにすれば、頼まれるような筋合いではありませんでした。セックスの後、おやかた様の亀頭や睾丸を舌と唇で舐め清めるのは当たり前のことでした。館の女性なら誰もがしなければならないことでした。厭なはずがありません。

 いや、むしろ、後ろ手に括られたまま、髪の毛を引っ張られ、お館様の股間に舌を這わせている方がいいのかもしれません。乱暴に扱われる方が、お館様の女にふさわしいと思いました。

 お館様が、犯した女の乱れ方を反芻するとするならば、犯された女は、自分の身体がどれだけお館様を陶酔の境地へ導くことができたのか、興奮を残す男根や、荒い息遣いからうかがい知ることができました。

 香子さんは、自らの意思で正座し、お館様の股に顔をうずめていきました。

「香子はいい女だな」

「そんなことは」香子さんは唇を離し上目遣いにお館様を見ました。

「続けてくれ」お館様は首根っこを押さえて、香子さんにもう一度、亀頭にキスをさせました。

「はい」

「そのまま、聞いていてくれ」
 お館様は、香子さんの舌と唇による奉仕を続けさせながら話し始めました。

「香子には言い寄る男も多かったと思う。おれとおまえが男と女として一対一で向き合ったとき、おれなんかまったく相手にされないだろうな」

 冷静に考えれば、香子さんはお館様にとって高嶺の花でした。

 たとえば、香子さんに思いを寄せる男が十人いたとして、それぞれに一般的な方法で点数を付けるとするならば、お館様はワースト3くらいにはいるはずでした。

 それはきっとプロポーズということばに置き換えても大差がないはずでした。普通にいえば釣り合いが取れないということでした。

「でも、おれは時々考えるんだ。こんな暮らし方でいいのかなって。もしもでいい。もしもおれたちに子供ができれば、一緒にこの館から出て行かないか。おれもどこかの会社に勤める。がんばれば何とかなるさ。ささやかでも幸福な家庭を作らないか」

 香子さんにさせている行為と比べれば、ずいぶんと卑屈なプロポーズだったのかもしれません。

 そもそも、もしも子供ができたらと言ったところで、香子さんを孕ませるとか、孕ませないとかいうのは、お館様の一方的な意思だけで決められるようなものでした。

 危険日に香子さんを縛って犯せば、それで香子さんに抗うすべがありませんでした。

 お館様は、そうでも言わなければ相手にされるはずがないと思いました。でも、それはお館様が必要以上に自分を卑下していたのかもしれませんでした。

 香子さんは人を愛する感情まで、算盤をはじいて判断したことはありませんでした。むしろ、お館様には好意を寄せていたといっていいのかもしれません。

 お館様の性欲を満たすために、自らの身体を差し出すのが、この館の女性に課せられた義務だといったところで、ただ毛嫌いばかりしていたのでは、女として耐えられるものではありませんでした。

 香子さんもまた身体でお館様に尽くしているうちに、いつの間にか心でもお館様に尽くすようになっていました。それはまったく打算のない尽くし方でした。

「愛しているんだ。正式に籍を入れたいんだ。東京近郊に賃貸マンションでも借りて住もう」

 お館様は香子さんの髪をつかみ、上にあげてウエストを強い力で抱きしめ、顔中のいたるところにキスをし始めました。

「頼むよ。生涯、香子だけを大切にする。金輪際、暴力も振るわない」

 さらに香子さんを持ち上げて乳房やおへその辺りまでキスをしていきました。それは、香子さんも驚くほど丹念でやさしく執拗なキスでした。

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