夢魔
MIN:作

■ 第4章 主人9

 弥生の家を出た稔は、足早に学校に向かっていた。
(純の話じゃ、数値が大幅に変わったって言ってたけど…何処まで変化が現れたんだろ)
 稔は一人黙々と思案しながら、校門の通りの角を曲がる。
 すると、前から部活を終えた、沙希が俯きながらブツブツと何かを、呟き歩いて来た。
 稔は沙希を無視して、その横を通り過ぎると
「あ〜! い、居た〜!」
 今まで下を向いて、歩いていた沙希が振り返り、大きな声で、すれ違った稔の背中に声を掛けた。
 余りの声の大きさに、稔が立ち止まり振り返ると、沙希が稔目がけてダッシュする姿が見えた。
(なんだ…そんなに差し迫ったようには見えない…)
 稔は分析しながら、沙希の方に身体を向ける。
 稔の前まで、走ってきた沙希は立ち止まると、呼吸を整え
「ちょっとあんた、学校休んでどういう積もりよ…。私達にあんな事言っておいて、知らない顔はないでしょ」
 胸を押さえながら、稔に抗議する。

 途端に稔の顔から表情が消えて、冷たい顔になり
「僕が休む時は、君に許可を貰わなければ成らないとは、知らなかったよ。急いで居るんだ、君に付き合うつもりは無い」
 ばっさりと沙希の文句を切り捨てると、クルリと背中を向けて、校門に向かう。
 沙希は慌てて口を押さえ、後悔しながら稔の後を追い
「ち、ちょっと待ってよ…お願い…言い過ぎました…許して。ね、お願いだから…話をさせて…」
 必死に稔の背中に、謝罪の言葉を投げかける。
 しかし、稔は沙希の言葉に耳を傾ける事もせず、黙々と先を急ぎ校門をくぐった。
 沙希は自分の言葉が無視された事に腹を立て、その場に立ち止まると、地団駄を踏む。
(もう! 何よ! こっちが謝ってんだから、素直に聞きなさいよ! って、何で私こんなに腹が立ってるんだろ…あいつと、話すといつもそうだ…無性にイライラする…なんで…)
 冷静に成りながら、自分の気持ちの変化に困惑する。
 そんな考えに没頭して、不意に重要な事を思い出して、辺りを見渡す。
(あっ! 柳井に聞かなきゃ…この間、話を聞いてから、本気でやばくなってるのに…何処に行ったのよ…)
 沙希は今来た道を戻って、校門をくぐると、正面玄関を入って行く稔を見つける。

 沙希は前庭を横切りながら、
(ガリ勉のくせに…何でそんなに早いのよ!)
 心の中で、稔に文句を言いつつ、追い掛け始めた。
 正面玄関を通ると、下駄箱のロッカーが並んでいる間を、素通りして土足で校舎に入り、左右を見渡す。
(どっちに行ったのかしら…右なら私達の教室関係…左は3年と職員室関係…う〜ん…ここは、右だわ!)
 沙希は動物的感を働かせ、進行方向を決めた。
 これが、沙希の間違いの始まりだった。
 この判断により、沙希は自分ではまったく気付かずに、自分の浸食を早めてしまう。
 沙希は鞄をロッカーに立てかけると、全速力で教室棟に向かって走り始めた。
 廊下を突き当たると、正面に階段右手に教室が並ぶ。
(この階は1年のフロアーだから、居ない筈よね…って言う事は、上の階ね…)
 沙希は一瞬で判断し、直ぐに階段を駆け上がり始める。
 2階に着いた沙希は、正面の廊下と左を向いて、稔の姿を探すが、見あたらない。
(柳井は科学部だから、このフロアーに居なきゃ、選択教室の3階だわね…)
 踵を返して、階段を再び駆け上がろうとすると、教室の扉が開き中から稔が現れた。
 沙希は階段室に身を隠し、稔を捕まえるべく、待ち構える。

 稔が階段に向かって、曲がって来ると沙希が手を伸ばして、稔の腕をいきなり掴んだ。
 稔は反射的に切り返して、稔の腕を掴んだ沙希の手を、逆に捻りあげていた。
「い、痛い痛い…は、放して…」
 沙希が訳も解らず、壁に押さえ付けられながら、稔にか細い声で抗議する。
(な、何で…私が壁に押し付けられてるの…? 何で、こんなにされて、声が出ないの…? 何で、身体が疼くの…)
 沙希は自分の身に起きた事が、理解出来なかった。
 稔の素早い動きも、自分の声が余りにもか細いのも、身体の奥が熱くなる感覚も、何一つ沙希の理解の中には無かった。
「前田さん…貴女もしつこいですね…こんな事をしても、僕は君と話す気には成れないんですよ…」
 稔が沙希の腕を放し、身体を遠ざけながら沙希に話す。
 稔が指摘したこんな事とは、その時の沙希の姿勢が、余りにも挑発的だったからだ。
 壁に片手を付き、背中を反らせてお尻を突き出す姿は、後ろから貫いてくれと言わんばかりのポーズだった。
 沙希は自分の姿勢に気付き、頬を赤く染め身体を回して、背中を壁に押し当てると
「ち、違うわよ…別にそんな積もりじゃ無いんだから…」
 俯いて、強がりを言う。
 稔はそんな沙希に、更に冷たい言葉を掛ける。
「僕は悪いけど、君のような傲慢な物の言い方をする人とは、時間を共有する事も、場所を同じにする事も、考えられないんだ」
 稔の言葉に沙希が、唇を噛んで耐える。

(私だって…私だって…貴男みたいな男に、頼み事をするなんて…凄く嫌なのよ…だけど、こればかりは…仕方ないのよ…)
 沙希は泣きそうに成りながら、言葉を返そうとするが、それより早く稔が、身体の向きを変え階段に進む。
 沙希は必死の顔で、稔の腕に両手で掴まり、胸元に抱え込んだ。
「待って…お願い…お願いします。私の言葉遣いが悪かったのも、態度が横柄だったのも謝るから…謝りますから、話を聞いて下さい…。お願い…お願いよ…」
 稔の腕を掴み、必死に懇願する沙希は、涙を流して訴えた。
(ふ〜ん…さっきまではどうやら虚勢だったみたいだな…こっちが、本当の精神状態か…)
 稔は腕にしがみつき泣き崩れる沙希を、無表情で見詰めその精神状態を把握した。
(これなら、大丈夫だ…もっと加速するように、心を押して上げよう…。この女も…仲間入りが近いな…)
 稔は眼鏡の奥から、鋭い視線を沙希のうなじに落とす。
(もうすぐ、その首に一生外せない首輪を付けて上げるよ…待ってるんだね…)
 沙希は稔がそんな事を考えているとは露とも知らず、目の前にいる男が自分を救う、唯一の存在と信じて疑わなかった。
 稔が沙希から腕を抜く仕草をすると、沙希は身体を振って更に力を込めて、抱きかかえる。
 稔は溜息を吐いて、沙希に向かって
「人に話を聞いて欲しければ、まず何をすべきか、解ってますか…」
 少し拒絶のトーンを落として、質問する。
 沙希はそんな変化を読み取ったのか、稔の顔を見詰めると
「わ、解ってます。謝罪でも何でもします…。だから、お願い…話を聞かせて」
 喜色を浮かべ、ブンブンと頭を縦に振って言った。

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