夢魔
MIN:作
■ 第6章 陥落(弥生・梓・沙希)12
豚のお面の下から出てきた梓の顔は、涙で化粧がドロドロに崩れ、頬に斑な線を描き、目は泣き腫れている。
『そんな顔に成るまで、辛かった罰を受けたんです…僕が梓を気遣っても、誰も文句は言わないよ…』
稔の言葉を、お面から取り出した携帯を、耳に当てて聞いた梓が、ビックリして鏡を探し覗き込む。
涙で崩れた自分の顔を見て、慌てて片手で顔を隠し、携帯に話し掛ける。
「ご主人様…済みませんでした…お見苦しい顔を…何にも考えず晒してしまいました…」
梓は稔に向かって、恥ずかしくて堪らない、と言った仕草で詫びる。
『構いません…そうやって、涙に崩れた顔も奴隷には必要です…梓はどんな事があっても、私達の視線から顔を背け無いで下さい。そちらの方が、私達に対して失礼になる事を、覚えて置いて下さい』
稔の言葉に、梓は項垂れながらも、指示に従い
「はい、ご主人様…以後気をつけます…」
羞恥に染まった、真っ赤な顔で、カメラを見詰めた。
『うん…頑張った良い顔ですよ…、今から用意して出ますから、梓も準備して下さい…』
稔がそう言って、携帯を切ると、梓は携帯を握りしめ
「有り難う御座います…ご主人様…」
頬を赤らめ、小さく呟く。
その途端、今まで全く感じなかった、お腹の痛みがぶり返し、梓はお腹を抱えて踞る。
(あ痛たたっ! クッ…忘れてた…。今まで、痛くなかったのに…)
梓はお腹を襲う激痛に、顔を歪めながら、全裸の上に白衣を羽織り、取り敢えずトイレに向かう。
トイレの洗面台に辿り着いた梓は、顔全体を洗わずに、目の周りのマスカラと、頬に斑になった化粧だけを落とし、口紅を直した。
(まだ、ご主人様に顔を洗う許可を頂いて居ないけど…人前に出て、詮索されるような、格好は出来ないわ…)
梓は稔の叱責を受けても、稔が人目に付くことを危惧して、身なりを整えた。
身支度を調えた梓は踵を返して、自室に戻ると、扉の前に一人の男が立っていた。
(あっ、慶一郎さん…どうしたのかしら…)
梓は怪訝な表情を見せ、急いで首輪を外すと、白衣のポケットに直し、扉の前に佇む柏木に近付いて、
「どうされました…私に何かご用ですか? こんな時間に柏木先生が、ここに居られるなんて…どう言ったご用件です?」
先程自分が全裸で稔の指示通り、自室に戻っている最中の疑問を、柏木にぶつける。
梓の顔を正面から見詰めた柏木は、梓の表情の変化に息を飲み、口ごもりながら言葉を漏らす。
「い、いや…この間は、随分一方的に、失礼な電話をしてしまったと思って…是非、謝りたかったんだ…」
柏木はしどろもどろに成りながら、梓に来訪の理由を告げる。
梓の中で、急激に柏木に対する興味が、小さくなる。
梓の失望を肌で感じながらも、柏木はそれ以上の梓の変化に、言葉を挟めなかった。
柏木の知る梓と、今目の前にいる女医が、柏木にはどうしても同一人物として、認識できなかった。
元々美しい顔立ちの梓は、精神的肉体的に満たされ、大輪の花を咲かせたような艶を醸し出している。
柏木はゴクリと生唾を飲み、梓に対して、なおも語りかける。
「い、いや…本当はもっと早い時間に、尋ねようと思ってたんだが、今日はこの病院で、変な女が現れて、その対応に追われてたんだ」
柏木はしどろもどろを強めながら、梓に説明する。
(ふっ…その変な女は、目の前にいるわ…。私どうして、こんな男に心を奪われてたんだろ…。今、目の前にいて解る、この人の薄さが…。馬鹿みたい…)
梓は急速に柏木に対する、興味を失っていた。
梓は柏木の前を通り過ぎ、自室の扉に手を掛けると
「すみません、まとめなければいけない、書類も有りますので、今日の所はお帰り下さい。私には、今、話すべき事は何も有りません」
柏木に対して、取り付く島すら与えなかった。
柏木は殴られた後が解る程、腫らした顔を呆然とさせ、言葉を繋ごうとしたが、目の前で閉じられる扉に、それも遮られる。
数秒扉越しに息づかいを感じた梓の興味は、柏木が早く立ち去り、一刻も早く主人の下に駆けつけられる、状況に成ることだった。
(もう、こんなタイミングで来るなんて…本当に間が抜けてるわ! 早く帰ってよ…ご主人様を待たせてしまうじゃない…)
あからさまに怒りの表情を浮かべ、昨日までの恋人を毛虫のように嫌う梓の心は、既に下の娘の同級生に絡め取られていた。
扉の前で身じろぎした柏木は、声を掛けることも出来ずに、スゴスゴと扉を離れ廊下を移動する。
梓はソッと扉を開いて、廊下を歩く柏木の背中を確認すると、直ぐさま部屋を出て、自室付近の階段室に飛び込んだ。
梓は全力で職員用出入り口に走り、息を切らせながら辺りを伺う。
誰の目もないのを確認して、中から鍵を開け扉をソッと開くと、近くの植え込みから一人の少年が姿を現した。
「あ、ご、ご主人様…申し訳御座いません…お待たせしてしまいました」
梓は扉を開けると、深々と頭を下げ稔を招き入れる。
稔は黙って梓の横を横切ると、いきなり梓の髪の毛を掴み、梓を人気の無い離れの棟に引っ張っていった。
梓は稔の突然の行動に、驚きながらも一切の反論や抵抗をせず、顔を苦痛に歪めながらも、黙って稔に引き摺られる。
稔は廊下の角を曲がり、完全に人の目が無くなり、尚かつ警備カメラの死角の位置に来ると、梓を投げ出した。
梓は稔の仕打ちに、黙って項垂れ言葉を待つ。
(稔様は…理不尽にこんな事はしない…きっと私に、してはいけない行為が有ったんだわ…)
梓の思考は、既に自分の非を認め、稔の示す禁止行為の説明を待った。
「どうして、遅れたんですか…、あのタイミングで、何が有ったかは知りませんが、私との約束を守る気が有れば、時間に遅れる事は無かった筈です…」
稔の言葉は、あくまで落ち着いて静かだった、だが、怯えが走る梓には、この上ない程怒りをかみ殺した物に聞こえた。
「ま、誠にあいすいません…出がけに化粧を直して、出入り口に急ごうと思ったのですが、折り悪く来客が御座いまして…」
梓が言い訳をすると
「その来客は、どうしても対応しないと、いけない類の来客だったの? ひょっとして、自分の心を満たすために、来客に対応したんじゃないですか…そう、例えば、梓が思いを寄せていた、先生とか…そんな類の来客…違いますか?」
ずばり見ていた様に、本質を言い当てられて、梓は言葉を失う。
「まさか、僕との約束が有るのに、みすみす自分から姿を現した…何て事はないでしょうね…」
稔の言葉に、梓は更に身体を縮める。
全てを見透かしたような稔の言葉に、梓はブルブルと震え始める。
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