夢魔
MIN:作

■ 第10章 朧夜5

 中天には、大きな丸い月が輝いていた。
 俺は美香を運び込んで、仕事が無くなったから、ソファーに座って、成り行きを見ていた。
 稔さんが、美紀に催眠術を掛け、意識を引き戻す手際は、鮮やか以外の何物でもなかった。
 意識を戻した美紀が、痛みで眠っている梓に取り付こうとするのを
「今は眠っています、ソッとして上げて下さい」
 稔さんが冷静に押さえ、諭した。
 美紀は梓の手前で号泣すると、奥から弥生が戻って来て、俺の顔をジッと見詰める。
 俺が弥生に話し掛けようとした時、稔さんが先に弥生に声を掛けた。
(弥生、何か話でも有ったのか…?何だったんだろ…)
 少し気になったが、稔さんに対する報告の方が先だろう。
 俺もソファーに座り直し、弥生の報告を聞いていた。
 弥生が薬的には、心配がないという報告をすると、稔さんが今夜の割り振りを決める。
 俺はどうやら、看病に回りそうだった。
 沙希が怪我をしている今、俺の相手を出来る奴は、今の段階では梓ぐらいだろうし、俺的にもそちらの方がありがたい。

 稔さんは梓が、俺の駄目なタイプだと知っているから、まず割り振らない。
 この女を相手にしたら、多分俺は壊してしまう、母親を思い出すからだ…。
 やりきれない、暗い気持ちに成った俺は、小さく舌打ちをした。
 しかし、その時俺の耳に飛び込んできた話に、俺の暗い気持ちは吹き飛ぶ。
 弥生の部屋で見せた、狂さんの行動が余りにも、珍しかったからだ。
 狂さんの照れて、慌てふためく様子が、目の前に浮かんでくる。
「狂さんのそんな態度、見てみてーっ…。弥生、それ逆…狂さんは、お前を相当気に入ってる…」
 俺は腹を抱えて、久しぶりに笑った。
 そうこうする内に、狂さんが奥から戻って来て、ふて腐れながらソファーに腰掛ける。
 まだ、相当照れてる証拠だ、まぁ、決め手は、弥生が真っ直ぐに狂さんに向かって行って、平伏したのと稔さんの割り振りだろう。
 俺は必死に声を押し殺して、笑いを我慢する。
 そんなユックリとした時間を過ごして居たが、それを打ち破る警報が鳴り、俺の顔が引きつりかけた。
 稔さんのお腹が、予想より早くグーと鳴ったからだ。
 流石に事情を知っている、弥生の反応は早く、予め買い置きしていたサンドウィッチを素早く差し出し、真さんはカップ麺の蓋を開ける。

 俺はキッチンに走ると、付いてきたた弥生に
「食べ物は何が有る!」
 緊迫した表情で、問い掛けた。
「はい、鳥肉が3羽分と、豚小間が1s…お豆腐4丁、野菜が諸々…ああぁ…統一性が無い。お買い物行く前に、電話が鳴ったものですから…どうしましょ…」
 弥生の答えを聞きながら、俺はシンクの扉を開け、中を確認する。
「いや、それだけ有れば充分だ…。弥生鳥肉を一口サイズに切ってくれ、俺はこっちを準備する」
 俺は寸胴を取り出し、中に水を入れ、弥生に指示を出す。
 ガス台に寸胴を掛けると削り節のパックを、5つ中にぶちまけ、火を付ける。
 湯が沸く間に、他に使えそうな物を、俺は漁り始めた。
 昆布と野菜類が出てきたから、俺はホッと胸を撫で下ろし
「何とか格好は付きそうだ…素早くできて、材料を余り限定しないのは、これが一番だ…」
 昆布を潜らせて、鰹節をさらえ、肉や根菜を中にぶち込み、味噌を使って味を調える。
 弥生は俺の手際に、意外そうに感心して目を丸くする。
「ん?どうした…意外そうだな…。稔さんと付き合ってると、この程度の事は、必須条件だ、狂さんも上手いんだぜ…」
 俺がそう言うと、弥生は更に驚いた顔をした。

 寸胴一杯の鍋を、俺は15分で作り上げ囲炉裏に向かった。
「今日は身体の弱っている者も居ますんで、食べやすい鍋にしました…囲炉裏の方に行きますから、稔さんも移動して下さい」
 俺の言葉で稔さんが立ち上がるが、意識はしっかりしている。
 飢餓状態には、入ってないようで、安堵の溜息を小さく漏らした。
 6人で車座に座り、鍋をつついていると、俺は有り得ない事を目撃する。
 それは、稔さんを知る者には、余りにも衝撃的だった。
 現に狂さんは、固まって動けない、まぁ、俺も驚きすぎて、動けない口だったが、夢でも見てるのかと思った。
 その衝撃とは、稔さんが自ら食料を、他人に食べさせていた事だった。
 ケンブリッジに居た時の事件の数々を、思い出しながら、俺はそれがいかに凄い事か、知らない3人に教えた。
 クスクスと奴隷達が笑い、稔さんの気がそれている間に、俺は片手鍋に、隣で横に成っている3人の分の食事を取り分けた。
 ボーッとしてると、間違い無く稔さんが底まで、食べてしまうからだ。
 俺が取り置きした、数分後案の定寸胴の中身は、汁迄無くなった。
 俺は薪を崩して火を落とすと、稔さんと狂さんが立ち上がり、2階へと向かう。

 俺は寸胴を自在鉤から外し、寸胴と片手鍋を持って一旦キッチンへ移動する。
 寸胴を流しに置くと、小鉢と割り箸、それにカセットコンロを手にして、片手鍋を掴んでリビングに向かう。
「これだけしかないが、我慢しろ…汁を残していれば、後でおじやにしてやる…」
 唯一眼を覚ましている、沙希にそう言うと、沙希は目を丸くして、喜色を浮かべる。
 沙希が小鉢を取ると、真さんが
「流石は庵君ですね、気遣いが細やかだ…所で、僕の相手はいつに成ったら、目覚めるんだろう…時間はとうに過ぎて居る筈なのに…おかしいですね」
 呟いて、美香を見下ろす。
 確かに弥生が言った時間を思い浮かべれば、とうに薬は切れている筈、眼を覚まさない理由は無い。
 俺はカラオケボックスで、見た事を一から思い出す、すると俺の記憶に引っ掛かる、出来事が有った。
「あれ…確か美香は、一度目を覚ましてますね…。意識を覚醒しています…」
 俺が思い出し、稔さんが言った事を真さんに告げると
「まさか…稔君が、眠っていろと言ったのを、忠実に実行していると言うんですか…それは、有り得ないでしょ…」
 真さんが少し引きつった笑い顔で、俺の意見を否定し
「じゃぁ、その反対に眼を覚ましなさいと、命令したら目覚めるんですか?」
 俺に問い返してきた。

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