夢魔
MIN:作

■ 第14章 専属(梓)3

 お風呂に入った庵と沙希は、無言で湯船に浸かっていた。
 湯船の縁に背中を預け、身体を寛がせ、顔を上に向けながら目を閉じている庵と、その足の間の正面に体育座りで足を抱え込み、小さく成って俯く沙希。
 2人はお互い対照的な姿勢を取りながら、同じ事を考えていた。
(沙希は、俺とこんな風にしているのは、苦痛なんだろうな…。乱暴なだけのサディスト…まあ、俺に女心を理解する事なんか出来ないし、しようとも思わなかった…。畜生…なんて声を掛ければ良いんだ…こんな時…)
(庵様は、私とこんな風になっても、楽しくないんでしょうね…。こんな可愛気の無い、がさつな女…、それに多分嫌われてるし…。あ〜ぁっ…こんな時、何をお話しすれば良いんだろ…)
 2人は落ちつきなく、身体をモジモジとさせ、徐々にのぼせてゆく。
「あー、熱い!」
 庵は真っ赤になった身体を、湯船から上げ洗い場に移動する。

 沙希は突然動き出した、庵に驚きながら自分も、上がって良いか庵に問い掛けた。
「ああ、構わない…。今は調教じゃないから、それ位の事は、自分で判断してくれ」
 庵は、ナイロンの垢擦りタオルに、ボディーソープをまぶしながら、視線も向けずにぶっきらぼうに答える。
(ああ…やっぱり庵様、私の事嫌いなんだ…。目線も合わしてくれないし、管理する興味もないみたいだし…、ご奉仕もさせてくれないんだ…)
 沙希は項垂れながら、湯船から上がり庵の後ろに正座した。
(駄目だ、駄目だ…沙希の身体を見ていると、つい手を出してしまいそうになる。稔さんの調教で、体力は限界なんだ、俺がちょっかいを掛けたら、きっと壊れてしまう)
 庵はたぎる欲望を、鋼の自制心で抑え込みながら、おくびにも出さなかった。
 こうして、2人はお互いが遠慮し合い、すれ違ってゆく。

 沙希は項垂れながら、庵の態度の変化の原因を、探そうとする。
(一昨日の夜は、庵様優しかったのに…私、何か嫌われる事したのかな…)
 沙希は一昨日の夜看病してくれた、庵の手を思い出し、涙が込み上げそうになった。
 庵が身体を洗い終え、手桶を探し始めると、沙希の直ぐ脇に手桶が有り、沙希はそれを手渡そうとする。
 だが、沙希の足は稔の調教により、疲労が溜まりすぎていたのと、硬いタイルの上に正座していた事で、完全に痺れていた。
 沙希の足が縺れ、身体が手桶を差し出した形のまま、前に泳いだ。
「きゃっ」
 小さな悲鳴を上げつつ、タイルに倒れ込もうとする沙希を、庵が素早く抱きかかえ助ける。
(あっ、またやっちゃった…。今度は怒られる…)
 沙希は庵の腕の中で、身を固くし目を閉じて、庵の叱責を待った。
 しかし、そんな沙希の思いとは裏腹に、沙希に届いた言葉は、とても沙希を驚かせる。
「大丈夫か、何処も痛めてないか? 辛いなら、正座なんかしないで良い。お前の身体の方が大事なんだ」
 寡黙な庵の初めて聞くような、不安な声に沙希は、耳を疑った。
(な、なに…い、今…庵様なんて言ったの? 解らない? えっ? 何で…?)
 沙希は庵の叱責が飛んでくると思い、準備していたが、届いてきたのは全く別の言葉で、それを理解できなかった。
 不安げに覗き込む庵の視線を受け、更にパニックになる沙希は、先程の庵の言葉を思い出し、かみ砕いて理解する。
([大丈夫か]って言ったわよね…[何処も痛めてないか]って聞かれたわよね…[辛いなら、正座なんかしなくて良い]って…気遣い…? そんで、そんで…[お前の身体の方が大事]って…う、嘘…。これ、完璧に私を心配してる?)
 沙希はタップリ10秒程掛けて、庵の言葉を理解し、込み上げる喜びに震え上がった。

 プルプルと震える沙希に、庵は尚も心配そうに
「どうした? 何処か痛めたのか? 足を捻ったか? 腰でも打ったのか?」
 矢継ぎ早に問い掛けてくる。
 沙希は庵の顔を見詰め、フルフルと首を横に振り、言葉を口に出そうとするが
(庵様…優しい庵様だ…沙希の…知ってる…優しい庵様だ〜…)
 頭の中に浮かんでくる言葉は、沙希の激情だけだった。
 沙希は庵の首にしがみつき、泡だらけの胸に顔を埋め、声を出して泣き始める。
 庵はどうしてこういう状態に成ったか、理解できずにオロオロとし、無骨な手で沙希の頭を撫でた。
(なんで、沙希は泣いて居るんだ? 俺は何かしたのか? いや、俺が何かしたなら、俺の胸で泣く事はしないだろう…何だ? 何でこうなってるんだ…)
 庵は仏頂面で、空いた片方の手を頭にやり、ボリボリと掻きむしる。
 沙希が泣きやむまで、庵は困った顔をして、頭を掻いていた。

 庵の胸の中で泣いていた、沙希の声が嗚咽に変わると、次第にその声も小さくなる。
 庵はどうして良いか解らず、その手を落ちつきなく沙希の周りで、バタつかせた。
 沙希が顔を上げ、庵の顔を覗き込むと、庵はドキリとし、目線を泳がせる。
「庵様! 沙希を見て下さい!」
 沙希の力強い声に、庵は怒ったような目を沙希に向けた。
「庵様は…沙希がお嫌いですか?」
 沙希の真っ直ぐな質問に、庵は口ごもりながら
「この間も…言っただろ…」
 沙希に答える。
「いや! 今言って下さい! ちゃんと、沙希の目を見て答えて下さい!」
 沙希は必死だった、この後、庵の勘気に触れ、どんな罰を与えられようとも、甘んじて受ける覚悟だった。
 庵は沙希の覚悟を決めた言葉に押し切られ
「俺は、お前の事は…嫌いじゃない…。それだけじゃない…お前の事が、気になって仕方がない…」
 庵は正直に自分の心情を沙希に告げる。
 沙希は庵の答えを聞いて、にじり寄り
「じゃぁ…じゃあ…。庵様は沙希の事好きですか?」
 縋り付くような目で、庵を見詰めた。

 庵は怒ったような目のまま、沙希の質問に、答えようとするが
「解らねえ…俺は、好きって言う感情を持った事がない…。稔さんや狂さんや真さんは、好きだって言える。だけど、それは[LOVE]じゃない[LIKE]だってのは、俺にでも解る。だけど、だけどな…俺はその[LOVE]って感覚…感情が解んねえんだ! 俺は、お袋にチ○ポを切り刻まれる生活を送って来た。だから、女に対して、敵意や嫌悪感しか持った事がねぇ、そんな俺が、好きかって聞かれて、[はい好きです]って言えると思うか? 解んねぇんだよ…好きって気持ちが…」
 感情が爆発して、まくし立てる。
 沙希は庵の告白に、その深刻さを理解した。
(そう、庵様は…お母さんに酷い事をされて生きてきた。本来、愛情を教えて貰う人が、敵意の対象になってしまったの…庵様、可哀相…)
 沙希は庵の生い立ちを思い直し、自分と同じ感覚で、要求するのを諦める。
「ごめんなさい庵様…沙希はワガママでした…困らせるような事を言って、本当にごめんなさい」
 沙希は庵の身体から離れ、目の前に姿勢を正して、頭を下げた。
 庵が曖昧に返事を返すと、沙希は頭を上げ
「でも、これだけは教えて下さい。どうして今日、沙希をリビングでほったらかしに、したんですか? 沙希の身体…庵様にとって魅力無いんですか?」
 気になって仕方がなかった事を、真正面から庵にぶつけた。

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