夢魔
MIN:作

■ 第15章 奴隷4

 一番奥で食事をしている太った男が、ブツブツと呟くように喋りながら、極上の料理を不味そうに食べている。
 総合病院の病院長、金田満夫(かねだ みつお)は、いつもと違う店の雰囲気に、料理を食べる手を止めた。
 目の前にいる、安物のイブニングを着た、田舎臭い顔のクラブのホステスに目を留めると、ホステスは呆然と手を止め金田の真後ろを見詰めている。
 金田は不機嫌な顔をホステスに向け
「おい! 俺の話を聞いてるのか!」
 妙に甲高い声で、女に話し掛けた。
 女は金田の声に、驚きながら視線を移し
「もう。ちょっと待ってよ! 凄いんだから後ろの人!」
 眉根に皺を寄せ、高圧的なトーンで金田に怒鳴る。
 途端に金田は顔を真っ赤に染め、文句を言おうとしたが、女の目線は既に自分には向いていなかった。
 腹立たしさを抱えて、ナイフとフォークをテーブルに叩き付けると、金田は女の見ている、後ろに顔を向ける。
 金田の視線に真っ先に留まったのは、圧倒的な美しさが、その存在感を主張する、一人の女だった。
(な、なんて綺麗な女なんだ…まるで、大輪のバラが、人の形をしているみたいじゃないか…)
 黒髪を綺麗に結い上げ、深紅のイブニングドレスを纏い、妖しいオーラを振りまきながら、優雅に食事する女。
 金田は、息をするのを忘れるぐらい女に見とれて、ハッと何かに気付き、目を細めてマジマジと見詰める。
(あ、梓…あれは、森川梓じゃないか…い、いや待てよ…梓は、あんな雰囲気じゃなかったぞ…。他人のそら似か?)
 年を取って、少し乱視が入った金田は、慌てて胸ポケットから、メガネを取り出し手で持ちながら、ピントを合わせる。
(や、やっぱり森川梓だ! だけど、俺の知っている梓とは、全く違う…。女ぶりが、一枚も二枚も上がってるじゃないか…。一緒にいる男のせいか? 畜生…俺の誘いはいつも断るくせに、何処のどいつだ!)
 梓本人の素性を確認し、数分呆然と見詰めた後、急に腹立たしくなって、一緒のテーブルに座るタキシードの男に、目のピントを合わせた。
(な、なんだこいつは…。くくくくっ…そうか、そうだよな…女はみんな、あんな男に惹かれるんだ…けっ…)
 金田の頭に浮かんだのは、稔のその美しい顔に対する純粋な驚きと、自虐と、嫉妬だった。
 力無く項垂れ視線を外した金田は、稔達の席に背中を向ける。

 振り向いて直ぐに飛び込んだ、連れのホステスの顔に沸々と怒りを覚えた。
 ホステスの表情は、自分には一度も見せた事の無い、ウットリと濡れた目線で、稔の仕草や顔に釘付けになっている。
(く、くそ! この女…お前が連れて行けと言ったから、俺はこんな馬鹿高い店に、予約まで入れたんだぞ!)
 金田は差すような視線で、ホステスを睨んでいると、ホステスがチラリと金田を見て、直ぐに稔に視線を移し、フゥと小さく溜息を吐いた。
 金田の頭で、ブチリと音が聞こえそうな程、真っ赤な怒りの顔で、ワナワナと震えながら、手に持ったワイングラスの中身をホステスの顔にぶちまける。
[きゃー]とホステスが短く叫び
「何すんのよ!」
 抗議の声を上げるが、金田の睨み付ける顔に、ブスッとふくれ面を見せ、にらみ返す。
「帰れ!」
 金田は震える高い声で、精一杯ドスを効かせたつもりで、ホステスに命じた。
 ホステスはテーブルの上に置いてあった、自分の鞄を引ったくるように持つと、立ち上がって
「言われなくてもそうするわよ! クリーニング代は、請求するからね。それと、二度と指名しないで頂戴、このデブハゲ!」
 金田に言い放ち、大股でカツカツと出入り口に向かう。
 稔達のテーブルに近付くと、あからさまに歩幅を狭め、稔をウットリと見詰め、視線を庵に移す。
 たまたま、庵の視線とホステスの視線が合い、ホステスは庵の視線をまともに受けた。
 かなり近い距離で、視線を射抜かれたホステスは、ガクガクと腰を震わせ、カクンと膝が抜けて、その場に座り込む。
 一般人より、男に接する機会の多い夜の女が、庵の獣性と強烈な雄の匂いに、敏感に反応した結果だ。
 直ぐにギャルソンがホステスの傍らにしゃがみ込み
「大丈夫ですか?」
 問い掛けるが、女は頬を上気させ、ウットリとした顔で呆けながら、庵を見詰めていた。
 急いで飛んできたスタッフ2人に、助けられながらホステスは、退場していく。
 そんな中、稔達は談笑を続けながら、食事を続ける。

 一方ホステスを追い返した金田は、ギャルソンを呼び、グビグビとワインを飲み続けていた。
 料理には手を着けず、ワインだけを煽った金田は、やがて酔った足取りで立ち上がる。
(畜生…どいつもこいつも…馬鹿にしやがって…俺は、病院長だぞ! この辺りじゃ有数の実力者だぞ!)
 金田はフラフラと千鳥足で、ワイングラスを片手に、梓達のテーブルにやって来た。
「あれ〜も、森川くん…今日は夜勤じゃなかったのかね? こんな所で合うなんて、どう言う事なんだ?」
 ニヤニヤと嫌味タップリの言い方で、梓の剥き出しの肩に、なれなれしく手を置く。
 すると、梓は今まで金田に見せた事のない態度を取った。
 肩に置かれた金田の手に、ソッとシルクの長手袋に包まれた手を添え、顔を向けると
「あら、医院長先生…お越しに成られてたんですね…? お気づき出来ずに、ご挨拶が遅れしまいました、どうも申し訳御座いません」
 艶然と微笑みながら会釈した。
 その微笑み、仕草に驚く以上に、正面から叩き付けるような、色香に金田は目眩すら覚える。
(な、何がどうしてるんだ…。森川梓だよな? 外見はそのまま…いや、数倍綺麗に成っているが、内面と言うか、滲み出してる色気は、数十倍だ…。本当に同一人物なのか、解らなくなって来た)
 酔った目を点にして、梓を見詰める金田は、股間がビンビンに隆起している事にすら、気付いていなかった。

 そこに、ギャルソンの大和田が、音も無く金田に近付き
「お客様…、他のお客様のご迷惑になりますので、どうかお席の方にお戻り下さい」
 耳元に慇懃に呟き、追い返そうとする。
 金田の顔が途端に険しくなり、何か言い返そうとしたとき
「おば様のお知り合いですか? 如何ですか、私達の食事も後残すところデザートのみと成りましたし、ご同席されては?」
 稔が落ち着いた声で提案した。
 稔の言葉に、驚いて顔を向けた金田の横で、丁寧に大和田が頭を下げると、梓の横に椅子を用意させる。
 金田は、完全に毒気を抜かれ、梓の横に用意された椅子に腰掛けると、改めてテーブルの面々に、視線を向けた。
 金田の右には、梓、稔と続き、正面には美香、左手に沙希、沙希と美香の間に、庵が座っている。
(何だ…この席は…、この世の物とは思えない…。こんな、人種がこの世に居るのか…)
 圧倒的な美しさ、圧倒的な存在感、圧倒的な色気。
 全てが金田の常識を覆し、自分の矮小さを自覚させた。
「こちらは、私の勤める病院の、医院長先生です。この方は、私の娘のお友達で、柳井君と垣内君、それに前田さんですわ」
 梓が稔達に金田を紹介すると、次に稔達を紹介する。
「初めまして、柳井稔と言います」
 稔が頭を下げると、金田の酔った目が途端に覚めだし、大きく口を開いて驚きの表情を作った。

■つづき

■目次2

■メニュー

■作者別


おすすめの100冊