夢魔
MIN:作

■ 第16章 絵美8

 思わぬ程近くにあった狂の顔に、驚いた絵美は慌てて、後ろに下がる。
「な、何? 工藤君…ビックリしちゃったじゃない…」
 絵美は頬を赤らめ、狂に怒ったように言う。
「どうして、そんな暗い顔をしてるの? いつもの西川さんじゃ無いみたい…。僕で良ければ、話し相手ぐらいには、成れると思うよ」
 驚く事によって出来た心の隙に、狂の優しい言葉が入り込む。
 絵美はその言葉の優しさに、また俯いてしまう。
「そうだよね…こんな僕じゃ頼りなくて…力になれないね…。ごめんね…」
 狂は母性本能をくすぐりながら、絵美に対して謝った。
 絵美はまた驚いて
「ど、どうして工藤君が謝るの? そんな事言わないで…」
 狂の言葉に頭を振って、微笑みを作った後
「何でも無いの…。何でも無いのよ、本当に…」
(言えるわけ無い…言えるわけ無いじゃない…。売春してた事を盾に、愛人契約を迫られてるなんて…。そいつが、次々アルバイト先に言い振らしてるなんて…。言えるわけ無い…)
 狂に答えた。

 狂を見詰め、微笑を作る絵美。
 その絵美の微笑みを真正面から見詰め、哀しさと優しさが入り交じった微笑みを浮かべる。
「大丈夫…。私は、慣れてるから大丈夫だから…」
 絵美の声が、少し震え出すと作り笑いの頬に、泪が一筋ツッと走った。
「あ、あれ? 変…変だな…。何でも無いのに…どうして、やだ…どうしてよ…」
 絵美は泣き笑いの顔を、幾度も手で擦り涙を拭う。
 狂の両手がスルスルと絵美の頭に伸び、抱え込むと優しく胸に抱き寄せる。
「ゴメンね…」
 狂の言った一言は、絵美の踏み止まっていた心を、トンと優しく押した。
 絵美は狂に抱きつき、泣いた。
 狂の胸に顔を埋めて、声を張り上げ泪を流した。
 狂は絵美が泣いている間、何も語りかけず優しく頭を撫でる。
 頭を撫でている狂は、どこか気恥ずかしそうな、どこかイラだたしそうな、そんな複雑な表情を浮かべていた。

 絵美の鳴き声が嗚咽に変わり、鼻を啜る音に変わると、狂は頭を撫でる手を止め、絵美の頬に両手を添える。
 スーッと優しく顔を持ち上げさせると、頬に添えた手の両方の親指でソッと涙を拭い、天使のような微笑みを向け
「西川さんが言えない事なら、僕は聞かない。でも、少しでも言える事なら、僕に話して…、人に話すだけでも、悩みは軽くなるって、専門家の稔君が、言ってたから…ね」
 首を傾げて、絵美に促す。
 絵美は子供のようにコクンと頷くと、狂に売春と愛人契約を除いた、ほぼ全ての話しをした。
(あちゃぁ〜…あの調教が原因で、とんでもない事になっちまった…。俺にも責任あんじゃん…)
 狂は心の中で、溜息を吐くと
「そうか…、そんな事があって、アルバイトを辞めさせられたんだ…」
 絵美に向かって、呟くように答えた。
 暫く沈黙が続くと、狂がガバリと頭を持ち上げ
「じゃあ、やっぱり西川さんは、明日僕に付き合うべきだよ! いっぱい遊んで、嫌な思いを切り替えて、アルバイトを探せば良いんだ。それに、そんな暗い顔してたら、面接でも落とされちゃうし…あんまり言いたくないけど、その男の人を何とかしないと、また悪口言われて辞めさせられちゃうよ…。だから、少し時間を空けた方が良いって」
 絵美の手を取り、ニッコリ笑って言った。
 絵美は余りの勢いと、自分も感じていた神田の行動を言い当てられて、思わず頷いてしまう。
 喜ぶ狂に、絵美は呆れ返りながらも、クスリと笑っていた。

 自宅の近くまで絵美を送り届けた狂が、別れの挨拶をして手を振り
「約束だよ、明日ね〜」
 絵美に付け加えて、踵を返した。
 絵美に背中を向けた狂の顔は、今までにない程苛立ちに満ちている。
 絵美と別れた道の角を曲がると、狂は直ぐに携帯電話を取り出し、コールする。
 電話に出た相手に、狂は押し殺した英語で話し掛けると、その後無言で聞き入り、電話を切った。
 更に2件英語で電話を掛けると、大きく溜息を吐き、考え込む。
(あいつは、稔達に任せる訳にゃいかねえ…。ただでさえ、今の奴隷達は、俺になびく奴なんていねえし、稔に任せたら、絶対俺好みにはならねぇ…。ここは、頼み込んででも、俺単独で調教するのが、ベストだと思う…。どう思う? 純)
 狂は道路の真ん中で、ピタリと足を止めると、瞼や眉根がピクピクと動き始め
(う、うん…狂の言うのは解るし…好みの話は別だよ! 僕も、絵美ちゃんは稔君達に会わせるべきじゃないと思う…って言うか、会わせたく無い)
 珍しく純が狂の意見に賛同して、言い切った。

 純は自分の意見を言うだけ言うと、また意識の奥に隠れてしまう。
 狂はまた瞼や眉根を、ピクピクと動かし、ユックリと目を開けると、電話を掛け始めた。
『どうしたんですか?』
 電話の受話器から流れた声は、稔の物だった。
「稔…頼みが有る…」
 狂は今まで出した事の無い程、真剣な声で稔に話を切り出す。
「西川絵美な…あれ、俺に全部やらしてくらないか? 絶対に責任もって、成功させるから! 頼む!」
 狂の真剣な懇願に、稔は一瞬黙り込み
『何があったかは知りませんが、人一人の人格が掛かって居ます。その事を踏まえての依頼なら、僕には何も言う事はありません。僕達で出来る事があるなら、何なりとサポートしましょう』
 狂の懇願を聞き入れる。
「サンキュウ! 何かあったら、連絡する。じゃあな!」
 狂は満面の笑みを浮かべ、電話を切って自宅へ向かって、走っていった。

 狂が駆け出す数分前、神田徹は、怯えた顔で車に乗せられていた。
 西川絵美を襲った後、闇に紛れて逃げようとしていた時、いきなり黒服の外人に抑え込まれ、車に乗せられたのだ。
 車の中には、銀髪で背筋の通ったスーツ姿の男が、ジロリと睨み付け席を譲る。
 スーツ姿の男が携帯で誰かから連絡を受けると、神田は持ち物を全て奪われ、身元を調べられた。
 英語で、電話に話し掛ける男に、異様な迫力がある事に、この時神田は初めて気が付く。
 神田は、急に恐くなった。
 このまま自分は、殺されてしまうのかと、本気で考える。
 銀髪の男の携帯に、再び電話が掛かると車は大きく、進路を変え猛スピードで走り出した。
 車内全体に張りつめた空気が満ち始める。
 その雰囲気に、神田はガクガクと震え、本気で顔を引きつらせた。
 そんな中、車が止まったのは、自分の勤める会社の本社ビルの前だった。
 神田を捕まえた、黒服の外人がグイグイと引っ張り、神田を会社の中に連れて行く。
 本社人事部長室の中に、連れ込まれた神田は、真っ赤な怒気を含んだ、人事部長に直に辞令を言い渡される。
「神田徹! 稚内、積丹支社勤務を命ずる! お前は、俺を首にするつもりか! 今すぐ出て行け!」
 辞令書を顔面に叩き付けて、神田を部屋から追い出した。
 何が何だか解らない、神田は黒服の外人に連れられ、屋上に行きそのままヘリコプターに押し込まれる。
 数時間ヘリコプターに乗せられた神田は、どこかの空港で下ろされ、車に乗せられた。
 そのまま車は夜の道路を走り、朝が明けるまで走り続け、やがて昼が近くなると、有る場所で止まる。
 日曜日の朝10時に神田は1人、着の身着のままで、稚内駅の前に呆然と佇んでいた。

■つづき

■目次2

■メニュー

■作者別


おすすめの100冊