夢魔
MIN:作

■ 第16章 絵美10

 絵美は無邪気に喜び、狂の腕に飛びつき、ギュッと抱え込む。
「この靴有り難う…絶対大事にするね…」
 その大きく張り出した胸が、狂の腕に押しつけられ、洋服の布を通してその感触を伝える。
(くぅっ…駄目だ…、俺はこいつを汚し辱めたい…屈服させ…陵辱したい…。今すぐにでも、押し倒して、犯し尽くしたい…)
 しかし、その強い加虐欲と同時に相反するような、気持ちが頭を持ち上げた。
(こいつを、守りたい…誰にも傷つけさせない…させたくない…。こいつにちょっかいを出したら、俺がそいつを叩き潰す!)
 それは、紛れもない庇護欲だった。
 自分の自制が、限界に達しそうになるのを感じながら、狂は絵美の腕からスルリと手を抜き、背中を見せると
「う、うん…早く行こう。映画始まっちゃうよ…」
 そう言ってレジに向かって、足早に歩き始める。
 絵美はキョトンとした視線を、狂に向けながら、小走りに狂の後を追い掛けた。
 レジで会計を済ませる絵美に、店の店員が
「そちらのお洋服、鞄にお入れしますね」
 絵美の着ていた制服に微笑みながら手を伸ばすと、足下に置いて有った紙バッグに詰め、テーブルの上に上げる。
 絵美が礼を言って、鞄を受け取ろうとすると、狂が素早く手を伸ばし
「僕が持って上げるよ」
 鞄を引ったくって、肩に担いだ。
 驚いた顔で狂を見た絵美は、直ぐにモジモジと下を向き、小声で[有り難う]と狂に答える。
 狂はまたも、胸の奥を締め付けられるような感じに心の中で狼狽え、表面上は微笑みを浮かべながら、絵美の手を取り店を出て行った。

 店を出た狂と絵美は、映画を見た後、ハンバーガーショップで昼食を採り、カラオケボックスではしゃいだ後、ゲームセンターに行き、楽器屋に寄って本屋で買い物をし、夕食をファミレスで取る。
 ファミレスのテーブルで、映画やカラオケやゲームセンターの話しを、無邪気に話しながら笑っていた絵美が、スパゲッティーのフォークを咥えて、ジッと黙り込み上目遣いで狂を見詰めた。
 狂は急に動きが止まった絵美に驚き
「な、なに? どうしたの西川さん?」
 しどろもどろになって、絵美に質問する。
 絵美は狂をジッと見詰めながら
「ねぇ…工藤君…。どうして、私を誘ったの? 工藤君ぐらい、女の子の扱いに慣れてるんだったら…もっと、楽しい女の子居たでしょ? どうして私なの?」
 咥えていたフォークをチュポンと口から出して、プラプラとさせると、首を傾げながら狂に聞いてきた。
 狂は絵美の強気な言葉と、目の力に俯いて黙り込む、しかし、その強い視線の奥に、不安が拡がっているのを見抜く。
(は〜ん…こいつ、俺を試してるな…。俺の目的を、探ってるつもりか…? 待てよ、ここはどう言うべきかな…俺の感が慎重に成れって言っている…)
 狂が無言で俯いていると、絵美はその姿を見詰めながら
(お願い…好きとか…言わないで…。私は、そんな事に…構ってられないの…。今、それどころじゃないの…傷つけたくない…だから、工藤君…私を好きって言わないで!)
 必死に自分の心のに、防衛ラインを作っていた。

 狂に惹かれる自分と、生活を支えなければならない自分の間で、絵美の心は揺れ動いている。
 そんな絵美に、狂は俯いた顔を少し上げ、上目遣いに絵美を見ると、ユックリ口を開く。
「僕ね…結構前から…西川さんの事、見てたんだ…。いつも、人の輪に居る時は、溌剌として明るい西川さんが、1人になって居る時…たまに、凄く悲しい目をしてる…」
 狂の言葉に、絵美は驚きを浮かべる。
「そんな時、西川さんの話を僕が聞けるぐらい、側に居れたら…そう思ってたんだ、ずっと…」
 絵美は強い目線がドンドン崩れて行き、項垂れ始めた。
「去年の冬…インフルエンザが流行った後、西川さん…何か、触ると壊れそうなぐらい、辛そうな目をしてた…。そして、昨日の夜西川さんに会った時、同じ目をしてて、僕…我慢できなかったんだ…」
 狂の告白に、絵美の肩が微かに揺れ始める。
「だから…、だから…、僕…思い切って誘ったんだ、少しでも絵美ちゃんの側に近寄れるように…。あ、ごめんね…仲良くもないのに…絵美ちゃんて、馴れ馴れしく呼んで…」
 狂は頭を掻きながら、頬を染め俯いた。
 そんな狂の告白に、絵美は少し掠れた声で、質問する。
「どうして…どうして、工藤君は…私に近付きたかったの? 何で、私と話したかったの?」
(お願い…言わないで…私…私…駄目なのよ…)
 絵美は心の奥で、狂に対する思いを押し殺し、家族に対する責任を盾にした。
 そうしなければ、自分が狂と過ごす日々を優先してしまう事を理解し、それがしてはならない事だとも理解している。
 そんな、辛い選択を迫られる言葉を心の底から、言わないで欲しいと願い、問い質した。

 狂は顔を俯けたまま、何度も唇を舐めて潤し、顔をおもむろに上げ、掠れた声で答える。
「僕は、僕は、西川さんと、友達に成りたかったんだ! ずっと、思ってた。西川さんの環境を聞いて、僕は相談に乗りたかったんだ…。僕とは似てるようで、真逆の環境の西川さんの力に成りたかったんだ…」
 狂の真剣な顔と、意外な言葉に絵美は、驚き首を捻って
「私と似てる? 似てるけど、真逆? なに…どう言う事?」
 絵美の呆然とした表情から、された質問に狂が話し始めた。
 狂は、自分の両親に捨てられた事、親戚をたらい回しにされた事、最後に行き着いた先で稔と出会った事、それからの生活、それらを話せる範囲で絵美に話す。
 「僕は本当の家族は、今はもう側にいない…。でも、心を許せる友人は居る。西川さんは、僕とは逆で、本当の家族は居るけど、心を許せる友人が居ない…。僕は、そんな友達に成りたかったんだ…」
 狂の話しを俯いて聞いていた絵美の目から、ポロポロと涙が溢れ出す。
(馬鹿…馬鹿…、そんな事言われたら…私…断れないじゃないの…。何で、そんなに優しいの…なんで、こんなに良くしてくれるの…。ううん…、工藤君の言ってる事は、解る…。でも、それの理由を教えて…じゃないと…)
 絵美はそこまで思って、ハッと息を飲む。
(じゃないと…何? …私、工藤君と近付きたく無い、理由を探してる…。どうして…)
 そして、その答えは直ぐに、絵美を飲み込んでゆく。
(私は汚れてる…。こんな優しい人に…こんな素敵な人に…愛される資格なんか無い…。私が好きになって、あの事がこの人に知られたら、私は多分生きて行けない…。だから、私はこんなに…)
 絵美は唇を噛んで、嗚咽を漏らし始める。

 嗚咽を漏らす絵美と、その姿を見守る狂。
(くっ…何でだ! 何で泣くんだ! 俺は、何か失敗したのか? 頼む、頼むから泣きやんでくれ…)
 狂は困惑し、絵美を見詰め次の手が浮かばない事に、苛立ち始める。
 しかし、絵美はそのイラだった顔を、誤解する。
(あ、ああ…駄目よ…泣きやまなくちゃ…。工藤君困ってる…)
 絵美は顔を上げ、涙を拭うと必死に作り笑いを作った。
 その作り笑いは、狂の目には余りにも痛々し過ぎる。
 狂はその、痛々しい作り笑いを、心を引き裂かれる思いで見詰め、自分に対する不甲斐なさを募らせた。
 過去を話せない、不幸な少女と事実を話せない、不幸な少年の心は、大きく擦れ違い始める。
 お互いに惹き合い求め合っていても、お互い話せない事が大きすぎる故の結果だった。

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