夢魔
MIN:作

■ 第16章 絵美12

 絵美は、柏木の説明を受け、希美を見舞いたいと言ったが
「集中治療中だから、ガラス越しにしか会えないし、面会時間もとうに過ぎた」
 柏木はにべもなく申し出を断る。
 集中治療室の前に来ると、老婆が真美をあやし、麗美はソファーで眠っていた。
 老婆は絵美を見つけると、何度も何度も涙を流しながら詫びる。
 絵美は老婆を気遣うと、麗美と真美の事を頼み、病院に泊まる事を告げた。
 老夫婦は、2人の妹を連れて帰路につき、病院の廊下にポツリと絵美だけが残される。
 1人になった途端、無性に恐怖感が込み上げてくる。
(誰か…誰か…私を助けて…。お願いよ…恐いの…)
 ガタガタと震え出す絵美に、フラフラと白衣を纏った人影が近付いて来た。

 恐怖で震える絵美の前に、柏木が暫く佇み、重々しく口を開く。
「あのね、悪いんだけど…こういう轢き逃げのケースは、基本的に被害者である、貴女の親御さんに医療費が請求されるんだけど…、払えるかな?」
 柏木は、絵美を見下ろしながら、無関心に質問を始める。
「うちの病院は、交通事故だとICUの使用料…1日3万円貰ってるんだ…。払えないんだったらさ…、出て貰える? 病院側で支払いを被ると、俺の失態になるしさ。出来れば、貧乏人に長居されたくは無いんだ…」
 完全に見下した柏木の言葉に、絵美は怒りを覚えるも、希美の事を思い質問した。
「い、今…希美をICUから出したら…どうなるんですか?」
 絵美の質問に、柏木は冷徹に答える。
「そりゃ、死ぬだろうね? まぁ、良くても植物状態だ…。このままでも、そっちの確率の方が高いし、いっそ死んだ方が安上がりだよ…。あ、私が言ったって、言わないでね…あくまでアドバイスだから…」
 柏木は、言いたい事を言うと、踵を返してフラフラと廊下を歩き始めた。

 絵美の顔は蒼白を通り越し、真っ白になっている。
 目は大きく見開かれ、涙が止まらない。
(何で…どうして、私の家族はこんな目に合うの…。お父さんは蒸発して、お母さんは心臓を患って、妹は轢き逃げされる…。私は、何か悪い事をしたの? ここまで、酷い事がどうして続くの…)
 俯いた絵美の涙が、白くなる程握りしめた左手に落ちる。
 握りしめた絵美の左手の中に、1枚のカードが握られていた。
 そっと、掌を開き中から出てきたカードを見詰め、絵美はフラフラと立ち上がり、廊下を歩いていく。
 廊下の突き当たりにある、公衆電話に辿り着くと、絵美はダイヤルした。
 4度目のコール音で相手が受話器を取った。
『もしもし…誰?』
 今一番聞きたかった声に、絵美は思わず涙が溢れ、嗚咽を漏らし始める。
 電話口の相手は、躊躇いながら、絵美の名前を口にした。
「く、工藤君…お願い…お願いだから…一緒にいて…」
 絵美の口から漏れた言葉に、電話の相手は驚き戸惑いながら、状況を問い掛ける。
 絵美は純に問われるまま、全てを話し終えると、その場に座り込み
「もう、どうして良いか解らないの…。ねえ、工藤君…私、どうしたらいいの?」
 電話の純に、絵美は縋り付き、問い掛けた。
「うん、解った。今からそっちに向かうね…だから、それまで早まった事は、考えないでね!」
 強い口調で、言った純は電話を切る。
 公衆電話の通話口からツーッツーッと、通話が切れた信号音が鳴り始めた。
 公衆電話の受話器を持った絵美は、床に座り込みいつまでも、項垂れている。

 病院に着いた純は、深夜外来口から病院内に入り、絵美を探す。
 1階から順に病院のフロアーを回り始め、途中でICUの存在を思い出し、4階に急行した。
 狂は今は純と入れ替わり、意識の奥で眠っている。
 日中のデートを担当した狂は、自分の思わぬ感情の変化を御するのに、疲れ果てていたのだ。
 4階の階段室に着いた純は、目の前に拡がる公衆電話機の有る場所で、踞る絵美を見つける。
 急いで絵美に取り付き、肩を揺さ振って声を掛けた。
「絵美ちゃん! 絵美ちゃん大丈夫?」
 純の声と肩を激しく揺さ振られ、呆然としていた絵美の視線が、純の顔に焦点を合わせる。
 途端に絵美の両目から涙が溢れ、純に縋り付きながら何度も純の名前を呼ぶ。
 純は絵美を固く抱きしめ、泣きじゃくる絵美の頭を優しく撫でる。
 やがて、絵美も落ち着き無き止み始めると、純が優しく問い掛けた。
「どうしたの? 何が有ったか僕に教えて…」
 純の優しい真摯な微笑みに、絵美は子供のように頷くと、話し始める。
 純は絵美の話を聞きながら、沈鬱な表情を浮かべ聞き入っていたが、柏木の発言を聞き珍しく怒りを顕わにした。
「その医者は…絵美ちゃんにそんな事を言ったの? ううん、絵美ちゃんが誇張する言い方をしないのは知ってる。実際はもっと酷い言い方だったんだろうね…」
 純の言葉通り、絵美の説明は[お金が非常に掛かり、払えないなら生命の保証は出来ないが、ICUを出るよう依頼された]と言うモノだった。

 絵美は純の言葉に、曖昧に返事を返すと、純は大きく頷いて
「気にしないで良いよ! 僕が立て替えて上げる。どれだけ掛かっても、治るまで居させるぐらいのお金は、僕が立て替える」
 力強く、呟くように言い放った。
 純の言葉を聞いて、絵美は驚き両手を振りながら
「駄目よ! そんなの駄目! だって、何万も何十万も掛かるのよ。そんなの、借りても直ぐに返すなんて出来ないわ…」
 純の申し出を断る。
 しかし、純は絵美の目を真っ直ぐ見詰めると
「でも、今絵美ちゃんが断ったら、妹さんは危険な状態に成るんだよ…。絵美ちゃんの回りで、僕の変わりにそんなお金を出せる人は居ないでしょ?」
 厳しい口調で、問い掛けた。
 絵美はその目に引き込まれながら、頭を振って小さく答える。
「でも、そんなお金…」
 絵美の言葉に被せるように、純が言い放つ。
「僕の方は心配しないで、アメリカにいる頃から、株取引でお金に不自由はしていないんだ。ゲームの延長みたいに使っていたお金が、絵美ちゃんの…僕の大切な友達の為に使えるんなら、お願いだから使わせて!」
 純の真剣な瞳が、絵美の心を打つ。
 絵美はボロボロと涙を流し、純に縋り付いた。
 絵美の口からは、何度も[有り難う]と繰り返し感謝の言葉が溢れる。
 純はそんな絵美の頭を、微笑みを浮かべ優しく撫でていた。

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