夢魔
MIN:作

■ 第17章 始動3

 形成外科医室から出た2人は、廊下を進み始めた。
 院内の廊下はむろん無人では無く、チラホラと看護師や同僚の医師、それに患者達が居たが、皆一様に長身の美少年と妖艶な女医の組み合わせに、目と心を奪われる。
 エレベーターホールで立ち止まり、上階を目指す2人の後を、夢遊病の様な足取りで追い掛け、遠巻きに見送った。
 エレベーターに乗り込んだ梓は、チラリと稔の顔を盗み見て
(やはりご主人様は、お目立ちになるわ…。こんな方の奴隷に成れ、あまつさえあんな快感を頂ける私は、何て幸せ者なんでしょう…)
 ホウと熱い吐息を漏らし、ドキドキと脈打つ胸に手を添え、太股を摺り合わせる。
「梓…ここにも、人の目は有るんですよ。自重しなさい」
 稔がクスリと笑いながら、目線を向けず小声で梓に釘を刺すと
「も、申し訳御座いません…、幸せに酔ってしまいました…」
 梓は頬を染め、俯き小声で謝罪した。
 だが、そんな梓も、エレベータの扉が開き、最上階に到着すると、顔を真っ直ぐ正面に向け、背筋を伸ばす。
 梓の先導で廊下を進み、突き当たりに有る重厚な木製の扉の前に立つ。
 時間は12:29分約束の時間通りだ。
 稔はジッと扉を見詰め、小声で呟く
「さあ、始めますか…」
 梓は稔の言葉を聞いて、小さく頷き木製の扉をノックする。
 直ぐに、奥から妙に高い声が
「入りなさい」
 と入室を許可し、梓は扉を押し開けた。

 医院長室の中に入ると、そこは30畳程の空間だった。
 稔はグルリと視線を回す。
 壁一面には書棚が配置され専門書が整然と並び、部屋の真ん中の窓寄りに、大きなマホガニー製の執務机が有り、机の前には茶色い革製の応接セットが置かれ、入り口からは見えない様に、衝立が配置して有る。
(この部屋の主は、やはり見栄張りで、猜疑心が強い…このタイプは、強い劣等感を根強く持つ粘質系が多い…。交渉は慎重さを必要とするが…)
 稔は部屋の中の家具や配置を見て、金田の性格を見抜く。
 赤い毛足の長い絨毯を踏みしめて、稔は梓の後を追い執務机に向かう。
 金田は、稔の顔を見るなり満面の笑みを見せ
「おお〜っ…、待っていたんだよ。いや〜嬉しいね、世界に名を轟かせる名医に、私の執務室で会えるなんて…」
 机を回り込んで、握手を求めてきた。
 稔はその握手に応えながら
「私もこの町に越して来て、医院長さんとお会いしたかったんですよ…。色々とお話し出来れば、幸いなんですが」
 ニッコリ微笑み、金田に告げる。
「おっ! そりゃ、嬉しい事だね。何でも構わないよ、色々話そうじゃないか」
 金田は嬉しそうに笑いながら、握手した稔の手をブンブンと振った。
 金田は応接セットに稔を案内すると
「あ、森川君。コーヒーを入れてくれないか」
 梓に指示を出す。
(いつもの仏頂面で、逆らうんじゃないぞ…)
 金田はジッと梓を見詰め、態度を確認していた。
 しかし、梓は金田の想像を遙かに超え、優雅に深々と一礼して
「畏まりました。只今お持ち致しますので、少々お待ち下さい医院長」
 丁寧に承諾し、顔を持ち上げニッコリと微笑んで、踵を返した。

 梓の態度に金田は、鳩が豆鉄砲を食った様な顔をし、その後ろ姿を見送る。
(い、今何が有った? あ、梓は、どうしたんだ? あんなに、私を毛嫌いしていたのに…。微笑んだ?)
 金田は梓の態度の変化が理解出来ず、呆然としていた。
「どうかされましたか?」
 低い響く声で、稔が金田に問い掛ける。
 稔の声に驚いて、我に返った金田は
「あ、いや。どうも…、何でもないんだよ…」
 訳の解らない言葉で誤魔化し、稔に3人掛けの椅子を勧め、自分は上座の1人掛けに座った。
 部屋の奥にしつらえてあるバーカウンターから、梓がコーヒーを持って来ると、心を落ち着け掛けた金田は、口を大きく開けて驚きに染まる。
 梓は稔の横に進むと、何の躊躇いもなく床に跪いて、給仕したのだ。
(な、な、何〜〜〜っ! あ、あの気位の高い女が、跪いて給仕…? どういう事だ)
 以前コーヒーを求めた時[私は、医者です。使用人の様に扱うのは止めて下さい]と眉根を吊り上げられた経験を持つ金田にとって、信じられない光景だった。
 その梓が稔にコーヒーを差し出した後、金田の元に来て、同じように跪いた時は、心臓が飛び出しそうな程驚く。
 金田にコーヒーを給仕した後
「あちらで待機しておりますので、いつでもお声をおかけ下さい」
 深々と頭を下げて踵を返し、バーカウンターに戻る。
 金田はその仕草や表情から滲み出す、以前には無かった溢れる様な色気に、頬を紅潮させ生唾を飲む。
 落ち着こうと手をコーヒーに伸ばすが、プルプルと手が震えて、中々上手くカップを持てなかった。
(うん、梓…。先制攻撃にしては、充分な効果です…。早くも平常心を失っています…)
 稔はそれとなく金田を観察し、心理状態の分析を始めている。

 稔はユッタリとコーヒーを飲みながら、出来たアドバンテージを有効に使い始めた。
「金田医師は、僕の研究に興味をお持ちですよね? どうしてですか…」
 稔の突然の質問に、金田はコーヒーを吹き出しそうなほど驚く。
(うぉっ! いきなり核心に迫ってくるな…。しかし、まだ言えない…、もし私の趣味の事がばれてしまったら、肝心な事を聞けなくなる可能性がある…)
 金田は口元を拭いながら、稔を見詰め
「いや、私もこんな立場の者だから、少しは心理学を囓っていてね…。君の研究の素晴らしさに、感銘したんだよ」
 反応を伺い始める。
 稔はユックリと金田に目を向け、正面から視線を受け止めると
「それは、どの部分ですか? 場合によっては、研究成果をお見せできると思うんですが…」
 静かに響く声で、囁くように金田に伝えた。
 稔の雰囲気が、いきなり変わったように感じながら、金田は稔の視線から目を逸らせ無くなっている。
「い、いや…それは、その…。あ、あれ、あの部分なんだが…、中々上手く言えないな…」
 金田はしどろもどろになりながら、稔の放つプレッシャーに飲み込まれ、次第に声も出せなくなった。
 稔はフッと微笑みを浮かべると、表情を和らげプレッシャーを引っ込める。
 金田は金縛りが解けたように、全身の力を抜いて荒い息を吐いた。
「すいません。今のは僕の研究の一つ、[心理操作による他者のコントロール]の実例です」
 稔の言葉に、金田は驚いて
「い、いや…凄い物を見せて貰った。まさか、自分があんな状態に成るとは、思いも寄らなかったよ…」
(す、凄い…この少年は、やはりただ者じゃない…。いつ操作が始まっていたのかすら、解らなかった…こんな技術を持てるなら、充分に使えるぞ…)
 金田はぎこちない笑みの下に、狡猾な思いを忍ばせ、稔の技術を賛辞する。
(釣れましたね…、これで交渉の半分は成功したも同然です…)
 稔は微塵も顔に出す事無く、交渉の成功を確信した。

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