夢魔
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■ 第18章 使役13

 クシュンと一つクシャミをして、梓が浴室で眼を覚ます。
 固いプラスティックの床で眠った身体は、キシキシと悲鳴を上げ苦痛に顔を歪める。
 持ち上げた頭が重く、軽い目眩を覚えながら、右手を頭に持ってくると、突っ張るような違和感を感じ、右腕に目を落とす。
 右腕の肘の近くの静脈に点滴の針が刺さり、メディシン具テープで留めてあった。
 梓は驚き、点滴のチューブが伸びる先を見て、そこにぶら下がるビニールの袋を見つける。
 ビニールの袋に書いてある、薬品名を見てその、効果を思い浮かべた。
(医院長…私の血中のアルコールを分解する点滴をしてくれたんだ…)
 医院長の処置に梓は、感謝しながら辺りを見渡す。
 梓が居る浴室は、梓が失神する前と何ら変わりなかった。
 奴隷の貞操帯が転がり、専用のバイブと、アナルバイブが落ちている。
 梓はそれらを拾い集めると、右腕の針を引き抜き、浴室を後にした。
 浴室から出て直ぐに目に入る、仮眠ベッドには誰もいない。
 梓はそのまま、扉を開け医院長の執務スペースに入っていった。

 扉を開けると、金田は執務机に座り、書類を読みペンを走らせている。
 扉が開いた事に気付いた金田が、梓の方を見ると
「目が醒めたか…今日は、もう良い…。荷物をまとめたら、家に帰れ。明日の朝は、7時にここに来るんだ…」
 ぶっきらぼうに言い放ち、梓から興味を無くしたように、書類に目を戻す。
 梓は自分がどれほど横に成っていたのか、医院長室の窓の景色で理解する。
(嘘…、もう夕焼け空…。だとしたら、私は3時間以上眠っていた…)
 梓は顔を引きつらせ、金田の前に進むと平伏し、謝罪を始めた。
「申し訳御座いません! 医院長様どうか…どうかお許し下さい…」
 梓の瞳からは、ポロポロと涙が溢れている。
(ご主人様に命じられたのに…何も出来なかった…。アルコールを取らされたとはいえ…こんな大失態…どう償っても、償えないわ…。ご主人様に合わせる顔がない…)
 梓は深い後悔の念に、身を苛まれながら、何度もカーペットに頭を擦りつけ、謝罪した。
 すると、金田は梓の方をチラリとも見ずに
「ああ、うるさいぞ! お前のご託を聞いている程、俺は暇じゃない。いいから、とっとと帰れ」
 金田は口調は悪いが、どこか落ち着いた声で、梓の謝罪をヒラヒラと手を振って、止めさせる。
 梓は金田の態度から、梓の奉仕が金田を満足さるどころか、完全に呆れ返っていると感じた。
(当たり前だわ…。ゲストを放り出し奴隷の分際で、1人で眠るなんて…。誰が満足してくれるの…)
 梓はワナワナと震え、唇を噛み自分の行動を恥じる。

 ここで金田が、嫌味の一つでも言えば、梓は立ち直れない程の落ち込みようだったが、金田の口から出た言葉は、梓にとって意外だった。
「お前はどう思っているか知らんが、今日のプレイに俺は満足した。それでも、まだ謝罪したいなら、明日からの出張で示せば良い…精々いやらしく振る舞って見せろ。解ったら、早く帰って寝ろ…明日も酒を飲む事になるからな」
 金田は落ち着いた声で梓の労をねぎらい、謝罪の方針を示して、身体を気遣う。
 梓は金田の言葉に、弾かれたように頭を持ち上げると、書類に目を通す金田の表情を見詰める。
(えっ? 医院長…こんな事を言う人だったかしら…)
 金田の表情から、その言葉の裏を読もうとするが、一切読み取る事が出来なかった。
 呆然とする梓に金田は視線を向けず
「何をしている。俺は、帰れと行ったんだぞ…」
 静かに梓に命じる。
 梓はその声に、ビクリと飛び上がり、荷物を持って白衣を着込み、会釈するとイソイソと医院長室の扉に向かう。
 医院長室の扉の前で、クルリと金田に向き直った梓が、深々と頭を下げると
「明日7時だ…。遅れるなよ…」
 金田が念を押す。
 梓は[はい]とハッキリとした声で返事を返すと、再び頭を下げ、目覚めてから一度も、梓を見ない金田を訝しみながら、医院長室を後にした。

 ここから先は、梓が知らない金田の葛藤である。
 金田は、梓が出て行くと同時に書類から顔を上げ、梓が出て行った扉を見詰めていた。
 金田の頭の中には、昏倒して点滴をした梓を見下ろしながら、自分に起こった心境の変化が、再び去来している。
 アルコールと疲労で昏倒した梓は、規則正しい呼吸を吐き、まるで眠っているようだった。
 梓の整った顔を見下ろしながら、金田は悲しそうな表情を浮かべている。
(梓…今のお前は、俺をどう見てる…。デブチビハゲの三拍子揃った醜男か…、それに変態も加わるどうしようもない男か…? 俺には、お前がどんなに変態でも、どんな女より眩しく見える。いや! 寧ろ今の方がどんな物にも変えがたい、宝玉のように思える)
 金田は梓の顔に手を伸ばし、濡れほつれた髪の毛を丁寧に掻き上げ、梓の顔を露わにした。
 優しく梓の頬を撫で、満足げに見入る金田の顔が、スッと曇ると、途端に苦悩が前面に現れる。
(思えば思う程、狂おしくなる…。解っている、お前があの少年…柳井君に心酔している事は…。俺でも、そうなる…。あの容姿、あの頭脳、あの才能、何を取っても俺より数段上だ…柳井君からお前を奪うには、俺が出来る事など何もないだろう…)
 そこまで考えた金田の顔が、途端に自嘲を浮かべ
(情け無い話しだが、精々お前が柳井君に捨てられるのを待つぐらいだろうが、彼の態度から言っても、それも有り得ない話しだ…。俺なら、絶対にこいつを手放す事なんて有り得ない…)
 梓の身体に目を向ける。
 均整の取れた骨格、年齢を感じさせないきめ細かな白く透き通る肌、丸みを帯び女の脂がのった身体、どれを取っても金田の心を揺さ振らずには居ない。
 そして、鍛え抜かれた奴隷の技術に淫乱さと従順が加わる。
(俺に言わせれば、梓は一つの芸術作品だ…。こいつが、手に入るなら俺は全てを投げ出しても構わない…)
 金田はウットリとした表情で、梓を見詰めた。

 そして、その視線を上げた先に、残酷な現実が突きつけられる。
 金田が目を向けた先には、浴室の鏡が有り、弛みきった醜い50歳の身体を写す。
 自分の目の前には、望んで止まない美の化身が横たわり、それを望む醜悪な己の姿を映し出され、そのギャップに激しく落ち込む。
「クックックッ…解ってるさ…、分不相応な事は…。だが、味わってしまった…この甘美な時間は、俺の中で二度と消えない…。解るだろ…お前なら…」
 金田は、鏡に映る自分の姿に、話し掛けた。
 決して答えを返さない鏡の中の金田が、その時囁いた。
(壊してしまえば良い…)
 どこからともなく、金田に囁く声。
 金田はビクリと震え、その言葉を反芻する。
(壊してしまえば良い…。そうかも知れない…。俺は、こいつがどんな風に成っても、愛し続ける自信がある。だが、彼はどうだ? 廃人になった梓の面倒を見るのか…?)
 金田は真剣な表情で、その事について考え始めた。
(いや、有り得ない…彼程の容姿と才能を持った人間が、梓みたいに親子程離れた廃人に、愛情を注ぎ続ける筈が無い! 絶対に放り出す筈だ!)
 金田の思いは、狂気をはらみ加速して行く。

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