夢魔
MIN:作
■ 第20章 恋慕3
総合病院を逃げるように後にした純は、直ぐに思い出し携帯電話で連絡を取り、調べていた絵美の口座に入金させる。
絵美自身に聞いた訳で無い口座に入金する、そんな不自然さを気にする気持ちは、この時の純は持ち合わせていなかった。
(どうしよう…、絵美ちゃんに嫌われたかな…。だって、あそこは僕が下に成らないと、絵美ちゃんが怪我をしたし…)
絵美の涙に動揺した純は、オロオロとパニックになっていた。
(あんな事…するつもりじゃなかったのに…)
純は走る足を緩め歩き出すと、数歩歩いて自分の手を見詰める。
ジッと手を見詰めていると、柔らかかった絵美の感触が甦ってきた。
純は激しく首を振り、手を握りしめ
(友達に成りたいって言ったのに…。最低だ! 僕は何て事…)
激しく後悔する。
だが純自身、自分が逃げている事に気付いていない。
ここで少し工藤純と副人格狂について、少し語ろう。
純はその容姿と才能から、過去に何度も女性から求められ交際し、SEXも経験している。
その関係は、決まって同じパターンで破局を迎えていた。
そのパターンとは、精神分裂系多重人格症の露呈である。
有る程度の距離を取っている場合は、解り難い事も、肌を合わせてしまうと、女の感はそれを見破ってしまう。
そして、見破った女性達が、必ず純に向ける視線は、恐怖と猜疑に満ちていた。
その視線は、純を精神的に傷つけ、追い込んで行くには充分過ぎる。
愛情に満ちた恋人の目が、一転恐怖に濁るのだ。
純はその事から、女性との距離を取るようになる。
だが、どれだけ覆い隠しても、狂がそうで有るように、純も女好きだった。
どれ程純情そうな顔で覆い隠していても、女性の身体を抱きしめる事が好きなのだ。
いわゆる[ムッツリスケベ]なのだ。
しかも、自分では否定しているがサディストで、かなりの経験を持った、緊縛師なのである。
純はその自分が、とても嫌いだった。
何故ならそれは、自分を性に目覚めさせ、狂の人格を強め、今の状態になった主原因だと、思っているからだ。
純は両親に[良い子であれ]と、病的なまでの躾を受け、自分の性格を固めるが、本質が求める欲望を抑える事が出来なかった。
歪んだ感情が強く惹かれたのが、緊縛だった。
自分が行われている、精神的な束縛を物理的に表現する。
そんな行為に、純は取り付かれあらゆる物をロープで、縛り上げた。
しかし、純はその行為が異常だと理解していた。
自分が強く惹かれている物は、罪であると認識していたのだ。
純はそれら自分が犯した罪を、全て狂に被せる事で、自分の精神のバランスを取る。
[狂が居るから、僕はこんな事をする]純はそう思い込み、狂の存在を認めて行く。
嫌な事から耳を塞ぎ、目を閉じて人の責任にする。
そうする事により、純は狂という副人格を更に強めて行く。
精神分裂症を更に悪化させて行く。
[臆病者]で有り[卑怯者]それが純だった。
それに対する狂は、主人格の持ち得ない物を与えられた、副人格。
快楽主義で自己中、ロジカルで傲慢。
女好きを隠そうともせず、気に入った女を必ず手に入れ、恥を晒させ羞恥に染まる女を快楽に溺れさせる。
そんな行為が大好きだった。
だが狂は、全てを心得ている。
自分が副人格で有り、自分が行っている行為は、全て主人格の願望である事を。
そして、主人格の純が自分の罪を感じれば感じる程、自分の存在は強くなり、精神分裂症が悪化する事も、狂は全て理解していた。
副人格の狂が、全て作り物である事も、主人格と入れ替わる事がない事も、全て熟知している。
狂はいつか主人格が受け入れ、自分も工藤純の一部として、溶け込む事を願っていた。
その為に、主人格に無いスキルを身に付け、権威を築く。
いつか自分が認められ、その存在を純が欲するまで、その権威と存在を磨いてゆく。
限りない[寛容]と[慈愛]の目で主人格だけを見守り、いつか自分が消える事を望む、それが狂だった。
純はとぼとぼと項垂れ自宅へと戻ると、倒れ込むようにベットへ突っ伏す。
副人格の狂は、1日4時間表に出るのが限界だった。
強引に現れたり、限界を超えて出ていたりすると、途端にその時間は次に影響する。
それらの場合、狂の出現する精神力は通常の3倍近い労力を必要とし、次の出現に負荷が掛かる。
例えば6時間出現すると、通常の4時間と超過の2時間になり、その2時間が通常の3倍の精神力を使い、10時間出た精神力と同じに成る計算だった。
必然その後狂は、丸1日半表に出てこれない。
これらを修復するためには、睡眠を取る事が最も有効なのだ。
純の心にとって、狂は最大の盾である。
自分の精神のバランスを取るのに、必要不可欠な存在であった。
ここ最近の頻繁な狂の出没のため、今の純にとって無意識のうちにでも睡眠を取り、少しでも精神力を蓄える必要が有ったのだ。
ベッドに突っ伏した純は、直ぐに眠りに落ちる。
自分の傷ついた心を癒すため。
まるで、蚕が繭を紡ぐように小さく丸まり、安息の眠りへ逃げてゆく。
副人格の狂も意識の澱の中で、全てを閉ざし次に備え眠る。
深く、深く、静かに。
絵美は病院の支払いを終え、病院での用事を済ませると、隣り家の老夫婦の迎えで、自宅のアパートに戻った。
自宅に戻った絵美は、妹達を眠らせ黒電話の前に正座していた。
右手にはクシャクシャになった、純のメッセージカードを持ち、携帯電話の番号をジッと見詰めている。
(お礼を言うの…、それと、このお金を全額貸して呉れるように頼むの)
絵美はメッセージカードを睨みながら、ブルブルと震えた。
(そう…今の私達には、このお金は絶対に必要なの! お母さんの入院費や、希美の通院費…家賃や光熱費、電気代や電話代…。お仕事が無くなった私には、絶対に必要なのよ! その為には…どんな事も…どんな事でも…)
絵美は希美の入院分の支払いを終え、ひとしきり人気の無い階段室で泣き、現実に戻った時の事を思い出す。
泣き崩れていた絵美が、涙を拭いながら顔を上げると、その目に階段室の案内板が目に入った。
(リハビリセンター…。あっ!)
絵美はその案内板を見て、有る事実に気付いた、絵美の顔から血の気が引く。
(希美は骨折したんだ…。通院費が要る…。それに、アルバイトも無く成っちゃってるから、当面の生活費…)
絵美の細く小さな肩に生活という重しが、深くのしかかり押しつぶそうとする。
(だめ、返せない…純君に借りたお金の残り…。あれを返したら…)
愕然とする絵美に、待合室から呼び出しが掛かる。
受付に戻ると、直ぐに整形外科の診察室に、行くよう指示された。
絵美は今後の通院について、家族と話が有ると整形外科医に呼び出されたのだ。
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