夢魔
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■ 第20章 恋慕10

 いきなり右手を掴まれた純は、声も出せずに固まった。
 頭の中は真っ白になり、何も認識できない。
 その驚いた表情が、次第に薄まると純の頭に、認識が戻ってくる。
(え! 女の人? うわ…凄くエッチな格好だ…でも、この顔…あ、梓さん? いや違う…こんなに小さくない…でも、見た事がある…)
 純の頭の中で、戻って来た思考が、目まぐるしく動き、状況を認識しようとしている。
「純君…」
 小さく、目の前の女性が、自分の名前を呼び、純はその声と、その女性が同一人物だと、中々認識できなかった。
(い、今の声…絵美ちゃん…? だけど、絵美ちゃんじゃないよ…? いや…? あれ…?)
 狼狽える純に、絵美は再び声を掛ける。
「来てくれたの…、純君…」
 絵美の声に、初めて純の認識が追いついた。
「え、絵美ちゃん…西川さん…ど、どうしたの…?」
 認識は追いついたが、絵美の格好も目的も全く、純には理解が追いつかなかった。

 絵美は草むらから身体を起こし、純の前に立ち上がると、スッと吸い込まれるように、純の腕の中にその身体を預ける。
 純は驚きながらも、絵美の身体を受け止め、支えた。
 絵美はその途端、押さえつけたモノが溢れ始める。
 自分自身の惨めさも、主婦達に与えられた恥辱も、中年男性に受けた恐怖も、それらの物が決して流させる事の出来なかった涙が、純の腕の中に身を預けた途端、堰を切って溢れ始めた。
(折角我慢してたのに…、折角綺麗にしたのに…、全部お終いよ…純君に見て貰いたかったのに…駄目に成っちゃった…)
 絵美は純の首根っこに、腕を絡ませ肩に顔を埋めて、号泣していた。
 純は支えは、した物のどうして良いか解らず、絵美の身体の直ぐ近くで、オロオロと手をバタつかせている。

 そんな純も心が落ち着きを取り戻し、泣きじゃくる絵美の小さな肩を見詰め、自分のやるべき事を見つける。
 純はソッと絵美の剥き出しの肩に手を触れ、手を背中に回し優しく抱きしめた。
 絵美の身体が、ビクリと小さく震え、純の腕の圧力を感じて、更に泣き始める。
 純は絵美が泣き止むまで、優しい抱擁を続けた。
 数分泣いていた絵美も、次第に泣き止み始める。
 絵美が泣き止むと、純は今の状況にドキドキと胸を高鳴らせた。
(うわ…絵美ちゃん…柔らかい…。それに何て小さいんだ…僕でもスッポリ包み込める…。何て可愛いんだ…)
 純は絵美の感触に、ドキドキしながら、暗くなる辺りが気になって仕方がない。
(こんな所で、抱き合ってるなんて…。それに絵美ちゃんの格好、人目に付きすぎる…ど、どこかに行かなくちゃ…)
 純は全く人気が無いにも係わらず、人目を気にし始める。

 純は抱きついたままの絵美の耳元に、ソッと声を掛けた。
「西川さん…こんな所で、話すのも何だから…どこか、2人で話せる場所に行かない…」
 純の言葉に、絵美はドキリとする。
(純君…そ、そうね…こんな所じゃ…誰に見られるか解らない…。私も…何も見せられないわ…)
 絵美は純の言葉に、コクリと頷きしがみついた腕を解く。
 純と絵美は、目的は違えども双方意見が合致し、場所を変えるため公園を後にした。
 純はトボトボと宵闇の道路を歩き、絵美はその直ぐ後ろを俯いてモジモジとついて行く。
 純は成るべく繁華な人通りを避け、薄暗い道を歩く。
 それは、ひとえに絵美の姿を人目に晒したく無かったからだ。
 だが、絵美の気持ちは違っていた。
(純君…ドンドン人通りのない場所に進んで行く…。あ…この先は…ホテル街だわ…純君もその気なのね…。嬉しいけど…ちょっと悲しいな…。そんな風に思われてたのかな…こんな格好してるし、当然だわ…)
 絵美は落胆と、喜びを交互に繰り返し、目的地を予測する。

 だが、純は絵美が予測した通りには、進まなかった。
 絵美の予測した通りの手前で、左に曲がり一軒の店に入っていった。
 純が入った店は、[会員制]と書かれた、小さなカラオケボックスである。
 店に入った純は店員に挨拶すると、店員は丁寧に頭を下げ、マイクとリモコンの入った籠を渡し、直ぐに店の奥に引っ込んで行った。
「西川さん…こっちだよ…」
 純は絵美に微笑むと、先に立ってドンドン進んで行く。
 絵美は純の後に付いて行きながら、驚きを隠せなかった。
(な、何ここ? 聞いた事もない店…。店の入り口は小さなカラオケボックスみたいだったけど…。奥は凄く広い…)
 店内には落ち着いた音楽が流れ、普通のカラオケボックスの喧噪など、微塵もなかった。
 足下を包む絨毯が、その高級感を引き立たせている。

 静かな通路を進み、奥まった一室の扉を開けると、純が絵美を振り返り
「ここだよ…」
 にこやかに微笑んで、招き入れた。
 絵美は純に招き入れられた部屋を見て、目を丸くする。
 20畳程のスペースに、壁面に設置されているL字型の黒いソファーは、どう見ても高級品で、ステージを完備したカラオケセット、壁に掛けられた大型のディスプレイ、少し控えめの照明は安っぽいミラーボールなどでは無く、本物のシャンデリアだった。
 そこは、カラオケボックスなどでは無く、高級なラウンジといった佇まいを見せている。
「ここなら誰にも邪魔されず、落ち着いて話を聞けるよ…」
 純は絵美に向かい、にこやかに微笑んで、首を傾げて言った。
 絵美はその純の笑顔に、胸の鼓動が激しさを増すのを感じながら、コクリと頷いた。

 そんな落ち着きを取り戻した様に見せる純も、実際は絵美の姿を直視できないで居た。
 絵美の方を向き、微笑みを見せながら、視点をずらして絵美の全体像をぼやかせる。
(絵美ちゃん、どうしてそんな格好してるの…。僕、目のやり場に困る…。まともに見られないよ〜…。綺麗なのは知ってるんだから…そんな格好…お願いだから止めて欲しい…絵美ちゃんの顔見られないし…)
 純は内心凄まじく焦り、その小心の偽善者振りを発揮していた。
 そんな純を意識の底で見詰め、狂が歯噛みをしている。

 だが、純のそんな態度は、絵美の前には通用しなかった。
 絵美は純の醸し出す色で、純の意識が自分に向いていない事を知る。
(純君…どうして、私を見てくれないの…私の気持ちに、触れようとしてくれないの…そんなに私が、穢らわしい? 娼婦のような私が…そんなに相手に出来ないの?)
 絵美のために、あれこれと気を回し、飲み物や食べ物を注文する純の行動が、絵美には全て嘘に見えた。
 絵美はそうして、決意を固め純に話し始める。
 絵美に意識を向けようとしない純に、自分の考えを全て話すつもりで、絵美は口を開く。
「純君…どうして…」
 絵美の呟く声に、純はビクリと震える。
「どうして私を見てくれないの…どうして、直視しようとしてくれないの…」
 絵美の言葉に、純は固まって動けなくなった。
(ば、ばれてるの…どうして…どうして見てないのが、解ったの…)
 純は、ぎこちなく顔を絵美に向け、引きつった笑いを絵美に見せる。
 絵美はその笑いを、真剣な表情で受け止めた。

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