夢魔
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■ 第20章 恋慕15

 絵美にとって運命が変わる日の朝が来る。
 その日は、いつもと変わらぬ日常から始まり、学校に登校した。
 前日と同じように純を探すが、その日純は登校して居ないのか、姿が全く見えなかった。
 妙な苛立ちを覚えながら、絵美は希美の通院のために、午後から学校を早退する。
 絵美は憧れの女医に、会える事を楽しみにしながら通院する。
 通院すると、梓が居らず変わりの医師に診察を受け、ガッカリとして帰路に着く。
(あ〜あ…今日はついて無いなぁ〜…純君にも会えず、医師にも会えなかった…)
 絵美はそんな事を考え、帰宅して妹達の面倒を見始める。

 2時頃に成ると、絵美の自宅の扉が突然ノックされた。
 絵美は訝しみながら、扉に近付く。
 絵美の生活の中では、扉をノックする人間が、自宅に訪れる経験が極端に少なかったのだ。
 大概声を掛けられ、その声と同時に扉が開く。
 絵美にとっては、それが日常だったのだ。
「はい、どちら様ですか?」
 絵美は扉に向かい、声を掛けると
「西川様のお宅はこちらで宜しいでしょうか? 西川絵美様にご用件があり、参りました」
 扉の向こうから、自分の名前を呼ぶ丁寧な男の声が聞こえてきた。

 絵美は驚きながら、返事を返し扉を開く。
 開いた扉の向こうに、銀髪の頭を綺麗に撫でつけた、背筋のぴんと伸びたスーツ姿の老紳士が、にこやかに立っていた。
 絵美の家の前に居るには、余りにも似つかわしくない老紳士の登場に、絵美の時間が止まる。
 老紳士が丁寧に頭を下げ
「西川絵美様ですね…。少しお話をお聞き願いたいのですが、お時間の方は宜しいでしょうか」
 絵美に向かって、ゆったりと話し掛ける。
 絵美の時間はその言葉を聞いて動き始めるが、認識が着いていかない。
「え? 話し? 私? …え? おじさまが? なに?」
 絵美は訳の解らない事を言いながら、自分の姿を思い出す。

 絵美はいつもの部屋着で身を乗り出していたため、そのTシャツの中身を老紳士の目の前に晒していた。
「きゃ! あ、ちょ、ちょっと待ってて下さい、あ、あのすいません。おば〜ちゃん! あ、今着替えます。ごめ〜ん、希美達お願〜い!」
 絵美はあたふたと、奥に引っ込み、絵美の声を聞いた隣の老婆が、驚きながら部屋に入ってきて
「え、絵美ちゃん…? どうしたの? あの人誰?」
 矢継ぎ早に質問する。
「ごめん、お婆ちゃん…私も良く分からないの…何か私に話しがあるって…。だから、希美達をちょっとお願いね」
 老婆に依頼すると、老婆はブンブンと頭を縦に振った。

 妹達を老婆に預けた絵美は、取り急ぎ部屋を片付け、老紳士を招き入れる。
「でわ、失礼いたします」
 頭を下げ、絵美の自宅に入り、ちゃぶ台の前で正座する老紳士は、明らかに異質だった。
 見るからに高そうなスーツを着こなし、背筋をぴんと伸ばした姿は、どう見ても上流階級の人間だった。
 その老紳士が、折り目正しく絵美に礼を尽くしながら、話し始める。
「私、ジェネシス・ユニバーサル・ネットワークと言う会社の日本支社長をしている、笠崎と申します。この度お邪魔させて頂いたのは、西川様に当社の専属アートデザイナーに成って頂きたく参上いたしました」
 笠崎と名乗る老紳士は、名刺を差し出しながらそう語った。

 絵美は話の中の会社名を聞いて先ず驚く。
 笠崎の名乗った会社名は、誰でも知っている超が付く有名企業で、アメリカに本社を持ち独自のネットワークシステムを立ち上げ急成長した企業で、最近では多種多様な企業を吸収し、一大コングロマリットを形成する会社だった。
 その会社の日本支社長が、ボロアパートの一室で16歳の少女に礼を尽くしながら、専属契約を結んで欲しいと依頼しているのだ。
 経緯は本社社長が展覧会で、絵美の絵を見てその才能に惚れ込み、契約を結ぶよう指示を出したという物だった。
 その契約料は、年契約で基本契約料20万j、成績によりボーナスも10〜20%その都度支給すると言う、破格な物だった。
 絵美はその話を聞きながら、目が点になって行く。
 話しが大きすぎて、全く見えていないのだ。

 老紳士は契約内容を、話し終えると
「つきましては、保護者の方のご承諾を得たいのですが、宜しいでしょうか?」
 そう言って、絵美の顔をにこやかに見詰める。
 そこで絵美は有る事に気付き、質問する。
「あ、あの〜…ジェネシス・ユニバーサル・ネットワークってコンピュータの会社ですよね…私、コンピュータ触れませんよ? って言うか、触った事がないんですが…」
 絵美の質問に笠崎はニコニコと微笑み
「構いません。その点もリサーチ済みです。貴女は、デザインをして頂ければ、それで構いません。あとは、我が社のスタッフで対応いたします。配色等の細かな物は、スタッフと相談して頂ければ、全て意向に沿うように手配いたしております。ただ、画材の発注等どうしても少しの知識を付けて頂きたいのですが、その点も我が社のスタッフでお教えいたします」
 絵美に告げる。

 こうなると、絵美に断る理由はなかった。
 無く成っていた職が、自分の好きなデザインの場で拡がり、それも夢のような金額を貰える。
 女子高生がまともに働いても、非合法に働いても、中々手にする事の出来ない金額。
 母親や妹達に掛かる費用など、あっと言う間に手に入るのだ。
 絵美は直ぐさま、笠崎と母親の病院に行き、事情を説明して許可を得る。
 病院の待合室で、サインを交わし契約を終了させた。
 その瞬間、笠崎は手付け金として、500万円の小切手を切る。
 絵美はその小切手を受け取り、夢では無いのかと頬を抓った。

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