夢魔
MIN:作

■ 第20章 恋慕16

 帰りの車に乗り込んだ時、笠崎が絵美に話し掛ける。
「西川さん誠に申し上げにくいのですが、私どもは会社の性質上セキュリティーを重んじております。そこで、問題になるのがご自宅の事になるんですが…」
 笠崎が話し始めると、絵美は項垂れながら話を聞いた。
「と言ったわけで、西川様には我が社の用意したお部屋に、お引っ越し頂きたいのです」
 笠崎の言葉は至極当然で、絵美は断れなかった。
(お婆ちゃん…ごめんね…)
 絵美は心の中で、隣の老夫婦に詫びた。

 笠崎が連れて行った絵美の新住居は、市内でも中心地に近い好立地の場所だった。
 閑静な住宅が建ち並ぶ一角に、異様な建物が建っている。
 その建物は、10階建てのマンションで、1階部分は全て駐車場になっており、2階部分も事務所のような作りになっている。
 その建物の何が異様かと言うと、ベランダも、非常階段も全てがガラスに覆われていた。
 壁面は全て黒光りする、御影石で覆われ、凹凸が何処にも無く、外部からの侵入が一切出来ない設計になっている。
 2階の右端に階段があり、階段の正面に入り口が有った。
 絵美が笠崎に伴われ、階段を上りきると、1m程の高さの金属の柱が立っている。
 笠崎はその金属柱に携帯電話を翳し、ガラス部分に手を乗せた。
 ガラスの下がチカリと光ると、正面玄関の扉が開く。
「生体スキャンになっています…」
 笠崎は絵美にそう告げ、中に入ってゆく。

 笠崎はエントランスを突っ切り、2基有るエレベーターの右側に進み、再び携帯電話を翳す。
 すると、エレベーターの扉が静かに開き、中に乗り込む。
 エレベーターの中には、ボタンは非常用の物がただ一つだけだった。
「これに、全ての情報が入っております。生体スキャンもこれがないと作動いたしません」
 そう言って、携帯電話を絵美の前に翳す。
 エレベーターは9階で止まると、扉が開き2人は通路に立つ。
 絵美が振り返ると、そこにはエレベーターは1基しかなかった。
「今お使いに成られたエレベーターは、8・9・10階の専用です。必ず、今の方にお乗り下さい」
 そう告げた笠崎は、奥に手を差し伸べ
「このフロアーには2室しか御座いません。この建物自体、まだ分譲されていませんので、現在は1世帯しか入っておりません。10階に本社のプログラム責任者が、最終チェックのため住んでいます。立場上、西川様の上司で、コンピューターに関する事もその方にお聞き下さい」
 絵美にそう告げる。
「え〜本社のプログラム責任者ですか? 私英語なんて話せませんよ…」
 絵美は本社の責任者が上司になると聞いて、真っ先に言葉の壁を懸念した。
「大丈夫です、その方は日本語も堪能ですので、何も心配される事はありません」
 笠崎はにこやかに絵美の心配を払拭した。

 絵美は曖昧に頷き、笠崎の示すまま廊下を進むと、直ぐ手前に扉が一つと、廊下の突き当たりに一つ扉があった。
 突き当たりの扉にも携帯電話を翳し、ロックを解除すると部屋の中に入る。
 部屋の中は、絵美の想像を超えていた。
 20畳を超えるリビングに、12畳ほどの部屋が5つ、ユッタリとした作りのキッチンに、大きな浴槽を持つ広いバスルーム、大きな窓が2面に有り日当たりも申し分ない、窓の外の喧噪も聞こえない所から完全防音に成って居るのだろう。
 そして部屋のあちこちに配置されている、見た事もない最新の電化製品。
 笠崎はスッと絵美の横に立ち
「この部屋をお使い下さい、今からでもお使いいただけるよう、全て整えております」
 ソッと絵美に告げた。

 絵美は弾かれたように、笠崎を見ると
「え! この部屋? うそ…。こんな部屋のお家賃なんて、私には無理です! まさか…この部屋を売りつけるために…騙したの」
 絵美は必死の形相で、笠崎に言った。
 笠崎はにこやかに微笑み
「そんな事は、決して御座いません。どうぞご自由にお使い下さい。お家賃なども頂きませんので、ご安心下さい」
 絵美に穏やかに告げる。
 愕然とする絵美は、膝の力が抜け、ペタリとフローリングに座り込む。
 ワナワナと震える絵美は、笠崎に視線を合わせると
「本当?」
 小首を傾げて、虚ろな視線で問い返した。
 笠崎はユックリ大きく首を縦に振り
「本当で御座います」
 力強く肯定した。

 絵美はボロアパートの自宅に戻っていた。
 ちゃぶ台に向かい、へたり込むように座っている。
 目の前には、笠崎から貰った携帯電話と小切手が置かれていた。
(何…何が起きたの…。私どう成るの…ねぇ…誰か教えて…)
 絵美は呆然としながら、急激に変わってしまった自分の環境を考える。
 笠崎はなるべく早い引っ越しと、絵美にパソコンや会社の事を教えるスタッフとの話し合いを要求し、帰って行った。
 引っ越しなど、ものの3時間も有れば、終わるであろうが、老夫婦と離れて生活するのは辛い。
 妹達の面倒もさることながら、仲の良いお爺ちゃんお婆ちゃんと離れなければ成らないのが、絵美には辛かった。
 そして、絵美以上に希美達が納得するかも問題だった。

 絵美は受け取ったばかりの携帯電話を手に取ると、もう既に暗記してしまった番号を押す。
 数度のコール音。
 相手が電話に出て、通話が繋がる音がした。
「もしもし…絵美です…純君…会いたいの…話したい事があるの…お願い、来て…」
 泣き出しそうな縋るような声で、絵美は純に電話した。
『ど、どうしたの? 絵美ちゃん…。大丈夫? 解ったよ、この間のお店で会おう』
 純は絵美にそう言うと
「この間のお店ね…でも、私お店の場所覚えてないわ…」
 絵美は純に告げる。
『じゃぁ、公園で待ってて、僕も直ぐ行くから』
 純がそう言うと、絵美は返事を返し通話を切った。
 絵美は携帯電話をちゃぶ台に戻すと、急いで純の買ってくれた服に着替え、老婆に妹達を頼み、携帯と小切手を持って、家を出て行った。

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