夢魔
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■ 第29章 暗転10

 教頭は自分の言った一言に、春菜がそこ迄反応を示し、自ら望んで最下層墜ちを簡単に選ぶと思っていなかった。
「い、いや、ちょっと待て。春菜、首輪無しは誰に何をされても、文句は言えないんだぞ。過酷以外の何物でもないんだぞ! ちょ、ちょっと待て、よく考えろ」
 慌てて止める教頭の胸から、スッと身を離した春菜は
「屑女は、貴史様に構って貰えない事が、一番過酷です…」
 教頭にそう告げて、踵を返して廊下を走り出した。
(やばい! やばいぞ! 工藤君に何て説明しよう…)
 教頭は焦りながら春菜の後を追うが、アスリートとただの老人では、勝負など目に見えている。
 数秒もしないうちに、教頭は春菜の姿を見失う。

 教頭が息を切らせ、やっとの思いで、春菜が曲がった廊下の角に辿り着くと
「この野郎! ここまで遣っても、どうしても謝らないんだな! お前、それは不服従だぞ」
 怒鳴り散らす井本の声が聞こえた。
 教頭がその声を聞き、蒼白な顔で廊下を曲がると
「はい、不服従ですわ!」
 ズタボロの姿で、春菜が井本に胸を張って告げる。
 その声を聞いた教頭は、目の前が真っ暗に成り、倒れ込んだ。
(遣られた…。これは、相当怒られるぞ…)
 教頭は20年ぶりの全力疾走で、酸欠を起こし気絶した。

 教頭が医務室のベッドで横になり、目覚めると春菜が心配そうに、教頭の顔を覗き込んでいた。
 教頭は目の焦点が合い、春菜の顔を確認すると、真っ先に首に視線を向ける。
(無い! やっぱり…こいつ、首輪取り上げられたんだ…。しまった〜…)
 教頭が激しく後悔をすると
「貴史様、御気分は如何ですか? 辛い所は御座いませんか?」
 左の頬を腫れ上がらせた、春菜が問い掛けて来た。

 教頭はギョッとした表情で、春菜の腫れた頬に触れ
「こ、これはどうしたんだ?」
 春菜を問い詰める。
「ええ、井本様に殴られただけですわ…。井本様に無礼を働いた報いです」
 春菜はにっこり微笑み、教頭に答えた。
 教頭の視線が春菜の身体に向くと、春菜の衣服はボロボロにされ、殆ど形を成していない上、布切れの間から覗く肌には、足跡が無数に付いている。
 井本に相当蹴られた事が、一目で分かった。

 教頭は激しく後悔しながら、春菜に手を伸ばすと
「よう、それは後にしろよ…」
 教頭の背後から、声が掛けられる。
 教頭はその声にビクリとし、ソーッと背後を振り返ると、狂が仏頂面で隣のベッドに腰を掛けていた。
「霜月…取り敢えず、無事は確認出来ただろ。ちょっと、席を外してくれや…」
 狂の言葉は有無を言わせぬ迫力が有り、春菜は頷いて医務室を出て行く。

 暫くの沈黙の後、狂がユックリ口を開く。
「おい、この始末どう付けるつもりだ…。俺は、あんたを信頼してあいつを預けた…その結果がこの騒動だ…」
 狂の言葉を聞いた教頭は、ガックリと肩を落として項垂れる。
「おめぇはよ…。力の使い方を知らねぇ…、目先の事に囚われ、その後の結果を考えない…だから、小物扱いされるんだ。少しは、黒澤のオッサン見習え! お前そんなんじゃ、この後の計画も参加させらんねぇぞ…。春菜はもう首輪は戻らねぇ、事情を聞いたキサラが相当頭に来たみたいで、絶対許さないって言ったからな…。この後もズッとあのままだ…」
 狂の言葉に教頭は、大きく溜息を吐くと
「私も失敗したと思ってる…、だけど私だけが、責められる謂われはないよ…」
 教頭が自己弁護を始めようとした瞬間、狂がベッドにあった枕を教頭に投げつけた。

 枕を投げつけられた教頭が、驚いて狂を見詰めると
「お前、本当に馬鹿だろ? 俺に言い訳してどうすんだよ! 今お前の口から出るべき言葉は、良い訳じゃねぇ! 今後の打開策だ! お前は、俺の部下か? パートナーだろうがよ! そのつもりが無ぇから、こんな事起こすんだっつうの! この学校400人の人生、背負うつもりでやれよ!」
 狂が教頭に捲し立てた。
 狂の言葉に、教頭は愕然とする。
(400人の人生…考えた事もなかった…。でも、確かに工藤君の言う通り、私達の計画が失敗したら、生徒は全て奴隷として売られて行く…。最初はリアリティが無かったが、ここ最近の動きから、それを感じていたのに…。私は本当に馬鹿で、軽薄だった…)
 教頭は35歳も年下の学生に叱責され、本気で落ち込んだ。

 教頭は項垂れた頭を持ち上げると
「済まなかった工藤君。これからは、考え方を改める。春菜は私が強権を持って保護しよう。だが、奴隷として成長させるのが目的なら、今回の首輪剥奪はマイナスでは無い…、いろんな人間のいろんな責めを受けられる。よほど酷い事がされる時は、私が言って引き上げてくれば、春菜の危害は少なくて済むと思うが…どうだろう?」
 狂に今後の春菜の行動について提案する。
「おう、そうよ! そう言う前向きな意見が聞きたかったんだ! だけどよ、教頭1人じゃ大変だろうからよ、黒澤に協力を求めろ、あのオッサンなら、信頼出来る。だが、接触は成るべく少なくしろ、あのオッサンもマークされてる。何せ現在、この学校内で一番の実力者だからな…」
 教頭は狂の言葉に、大きく頷いて考え方を改めた。

 狂が医務室から出ると、春菜は入り口の脇に正座して待っていた。
「おう、終わったぜ…。看病して遣ってくれ…」
 狂が笑顔で春菜に告げると、春菜は嬉しそうに頷いて、医務室に入って行く。
 医務室に入った春菜を、教頭は呼び寄せた。
 教頭に呼ばれ近づいた春菜は、教頭の雰囲気がどこかいつもと違うように感じる。
「春菜、辛い事が有ったら、私の元に来なさい。怖い事が起きたら私を呼びなさい。出来る限りの事は私がしよう。それが私の責任だ…」
 教頭はそう言って、春菜を固く抱き締めた。

 突然の教頭の言葉に、春菜の両の目からボロボロと涙がこぼれ落ちる。
「あ、あう、あり、ひん…、がとう…、ヒック、ございまふ…」
 春菜は感謝の言葉を告げたかったが、込み上げる感情で言葉にならなかった。
 教頭は春菜を優しく抱き締め、頭を撫でると
「身体が汚れているだろ…。私が洗って上げよう…さぁ、おいで」
 春菜の手を取り、立ち上がって医務室を後にする。
 教頭と手を繋ぎながら、泣きじゃくる春菜は、まるで迷子の女の子のようだった。
 教頭と春菜は数m離れた用務員室に、2人仲良く歩いていった。

■つづき

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