夢魔
MIN:作

■ 第32章 崩壊5

 悦子は上機嫌で自分の調教ブースに戻ると、谷が悦子を出迎える。
 悦子は谷の姿を見て、訝しげな表情を浮かべ
「谷さん…どうしたの?」
 谷に問い掛ける。
 悦子の後ろから現れた薫も、谷の姿を見て驚く。
 悦子が訝しげな表情を浮かべるのは、当然だった。
 谷は床に平伏して、頭を擦り付けているのだ。

 悦子の問い掛けに谷は、いつもの辿々しい言葉で
「お、俺…、感動した…。これからも…、入れさせて下さい…。俺、もっと…墨…したい…。勉強…したい…」
 悦子に懇願する。
 悦子は谷の言葉の羅列から、どうやら悦子を師事したいと行っている事を理解し
「ええ、良いわよ。もっと、彫らせて上げる。綺麗な絵をいっぱいね…」
 ニンマリと笑って、谷の懇願を受け取った。

 悦子の承諾を聞いた谷は、裂けたような笑いを浮かべ、素早く立ち上がると
「で、出来…ました…。薬、塗ってるから…少し、白い…」
 身体を開いて、ローザを示し悦子に説明する。
 谷の説明通り、ローザの身体の入れ墨は全体が白い膜に覆われたように、悦子が描いた物から薄くぼやけていた。
 悦子が無言でローザの身体に近づき、肌の一部を指で擦ると、その部分の薬が取れ、悦子の描いた色が、浮かび上がる。
 悦子はそれを確認すると、ニンマリと微笑んで谷に振り返り
「良い出来よ。これからも、お願いね」
 ご機嫌な口調で、谷の労をねぎらった。

 薫がおそるおそるローザを覗き込み、思わず息を呑む。
(ぜ、全身の入れ墨って…、凄い迫力ね…。こいつ、これを一生背負って行くのね…。いい気味だわ)
 薫はローザの寝姿を見て、もう2度とローザがモデル界に戻る事は無く、まともな生活も送れ無くなった事を知り、満面の笑みを浮かべる。
 そして、薫の見守る中、ローザに覚醒の兆しが現れた。
 ローザは微かに唸って、頭を動かす。
 悦子はニンマリと微笑むと、薫に命じて一旦ローザの身体に、シーツを掛けて隠した。
 次に谷に姿見を用意させると、拘束台の真正面に置かせる。

 全ての準備が済むと、悦子は薫にローザを目覚めさせた。
 薫はまだ、意識が覚めないローザの頬を力一杯、平手打ちする。
 その痛みで、ローザは覚醒すると
「あ…、お、お早う御座います…。わ、私…眠ってたんですか…」
 驚いた顔で、自分の意識が飛んだ理由も忘れ、薫に問い掛けた。
「そう、お前は妊娠したショックで、気絶したのよ。何…? もう忘れちゃったの…」
 薫はローザの質問に、意地悪く答えると、ローザも頭がハッキリして、その事実を思い出す。

 大きく目を見開き、ボロボロと涙を流すローザに、悦子が初めて声を掛ける。
「そう、妊娠しちゃったお前に、私が特別なプレゼントを用意したの。受け取って頂戴…。まぁ、もう返せないけどね」
 姿見の横で、悦子は嬉しそうにローザに告げて、薫に目で指示を出す。
 薫は大きく頷くと、拘束台を操作して、地面に対して垂直にする。
 ローザは拘束台に固定されたまま、身体の前面にシーツが掛かった状態で、姿見に身体を映す。

 その時、ローザは酷く不安に駆られ始める。
(何故、こんな風に、シーツが掛けられてるの…。何故、こんな回りくどい起こし方をするの…。何故、あの人がここに居るの…)
 ローザは谷の素性を知っていた。
 それは、ボディーピアスを付けた、モデル仲間がローザに教えたからだ。
 入れ墨やボディーピアス等、肉体改造をこの市内で唯一商売とする人間。
 それが、谷に対するローザの認識だった。

 ローザの不安を余所に、薫が腰の拘束を外し、手足の自由も与えると、首の後ろに手を回して、シーツが落ちないように掴む。
「さぁ、歩きなさい。悦子様がお前に下さったプレゼント、ちゃんと見るのよ」
 薫は追い立てるように、ローザを鏡の前に連れて行くと、悦子が満面の笑みで
「ご覧なさい」
 静かに命じた。
 ローザの後ろに立った、薫がその声でシーツを剥ぐり、ローザに自分の姿を見せる。

 鏡に映った自分の姿を見たローザは、それが何なのか良く分からなかった。
 身体にフィットする、極彩色の全身タイツ。
 そんな風に思った。
 いや、思いたかった。
 だが、自分が見下ろした身体。
 持ち上げて、翳した手。
 それらを擦り、摘んで、その思いが、儚い望みでしかないと悟る。

 ローザの膝が、身体が、掌が、顔が、瞳が震える。
 大きく見開いたその目が、自分の視線から見る俯瞰と、鏡に映る全体像が、同じ物だと認識した。
 ローザの両手がユックリと持ち上がり、鏡の中のローザがそれと同じ速度で、大きく口を開く。
 ローザの両手が頬を包み、鏡の中のローザが目と口を限界まで広げた。
「イヤーーーーーーーーーっ!」
 つんざくような、ローザの金切り声が、喉から溢れ出す。

 その瞬間、ローザの積み上げた物が消えた。
 寝食を惜しんで勉強した、フランス語と英語。
 友達と遊ぶ事も諦め、続けてきたレッスン。
 食べたい物も全て我慢し、維持し作り上げたスタイル。
 常に傷が付かないよう、日焼けをしないよう、気遣った肌。
 それらの血が滲むような日々が、全て崩れ去った。

 その瞬間、ローザの望む未来が消えた。
 海外で、一流モデルとして活躍する日々。
 苦労させた母親に、楽をさせたいと願った思い。
 優しい恋人との、幸せな結婚。
 笑いの絶えない、温かな家庭を作る夢。
 それらの甘い願望が、全て消え去った。

■つづき

■目次4

■メニュー

■作者別


おすすめの100冊