夢魔
MIN:作
■ 第32章 崩壊39
夕闇が迫る中、とある路地に1台のバイクが止まった。
そのバイクは、真っ黒GSX1300R、[隼]と呼ばれるバイクだった。
それを運転するのは、バイクと同じ、真っ黒な皮のつなぎを着た背の高い男だ。
男はバイクのスタンドを立てると、エンジンを切る。
男はバイクに跨ったまま腕組みをし、ジッと動かない。
男の組んだ腕には革つなぎの袖が無く、黒いTシャツを着た男の太い腕が剥き出しだった。
だが、おかしな事に、男の二の腕には、黒い布製の腕抜きが嵌められていた。
そう、よく事務職の者がワイシャツなどを汚さない為に着ける、あの腕抜きである。
男の雰囲気、格好から見て、その腕抜きは全く不似合いだった。
しかし、男はそんな事を全く気にする風もなく、ジッと目の前の道路を見詰めている。
男の目の前の道路は、片側に延々と金網が張られ、私有地を知らせる看板が、所々にぶら下がっていた。
金網の向こうは一面濃い緑である。
その緑は、奥に行く程、上に上がり、見上げれば森のような丘に成っていた。
私有地の持ち主は、この市最大の企業家、竹内伸一郎だ。
その伸一郎の私有地をジッと見詰めるように、男は腕組みをしている。
そんな時、男の目の前を1台の黒いベンツが通り過ぎる。
運転席には20代の女性、助手席に40代の男性、後部座席に老人が2人。
男は一瞬でその乗員を見極めると、フルフェイスのヘルメットを外す。
ヘルメットの下は、黒い目出し帽だった。
ヘルメットを外した男が、腕時計に視線を向けると、時刻は19:35を示していた。
男はヘルメットをバイクの横のフックに掛ける。
既に1つヘルメットが掛けられており、バイクには都合2つのヘルメットがぶら下がった。
男はタンクの上に置かれたバックを外して背中に背負い、おもむろに走り出す。
道路を横切り金網に一瞬手を掛けると、身体を持ち上げ、フワリと2mの金網を越えて行く。
着地した瞬間男は走り出し、直ぐ手前の木に登り、枝伝いに移動を始めた。
路地から出て森の奥に消えるまで、その間、僅か5秒で有る。
竹内家の自慢のセキュリティー、360度監視カメラも、森に張り巡らされた赤外線センサーも、男の侵入を知らせる事は無かった。
男は竹内家のセキュリティーを熟知しているかのように、森の中に配置された、監視カメラの死角、センサーの感知外を巧みに移動して、丘を登って行く。
男は移動を開始して、僅か5分で竹内の自宅が見える場所まで移動した。
丘の裾から直線距離で200m程だが、勾配は30度近い急勾配で、セキュリティーを全てかわしている事を考えれば、驚異的な速度である。
森から竹内邸の壁が見える場所に着くと、男は鞄を取り出し中から、30p×20p×7p程の大きな箱を取り出して目に当てる。
「ちっ! 増えてるな…。アレは、加圧センサーか…、赤外線も2m高く成ってやがる…。これじゃ、普通に壁越えは出来ねぇな…」
男は箱に付いているボタンを操作しながら、竹内邸のセキュリティーを調べた。
男の持っていた箱は、特殊な双眼鏡で、X線モード、赤外線モード、超音波モードと切り替え、あらゆる物を識別する軍用品だった。
男は鞄に双眼鏡を戻すと、木の幹をスルスルと登り、高さ10m程まで進む。
男は鞄の中からスリングショットを取り出すと、木の枝に足をかけ身体を安定させ、5p程の石を装填しキリキリとゴムを引き絞った。
男の腕が真っ直ぐ、竹内邸に生えている、大きな松の木に狙いを定める。
男が手を離すと、石は真っ直ぐ松の木に向かい、松の木に仕掛けられた震動センサーのケーブルを断ち切った。
途端に竹内邸内がざわめき、7人の男達が飛び出して来る。
男達は一目散に松の木に近付き、拳銃を構え口々に話していた。
男の1人が木に登り、センサーを調べて
「駄目です、ケーブルが切れてます。刃物のような跡じゃ無いんで、何かの小動物ですかね…」
下にいる男達に知らせると、下にいた男達は
「ったく、脅かしやがって…。まぁ、屋敷の周りのセンサーが一切反応しなかったんだ。そう考えるのが妥当だろ」
緊張を解いて拳銃をしまう。
木に登った男が降りてくると、男達は屋敷の中に戻って行った。
「今日は管制を入れて9人か…。意外に少ないな…、この間の半分程だ…」
男は呟くと、鞄の中から水中銃のような物を取り出し、松の木に再び狙いを定める。
パシュッと甲高い圧搾音を上げ、銃からワイヤーの付いた、小型の銛が打ち出され、松の木に当たると、銛の柄の部分が2つに分かれ、松の木に巻き付いた。
男は銃を自分の居る木にワイヤーごと固定すると、張り具合を確かめ手を掛ける。
手を掛けた瞬間、男は身体を宙に投げ出し、ワイヤーを滑り降りた。
男は松の木に当たる瞬間、足を差し出し、衝撃を吸収すると音も無く松の木に取り付く。
男が下に意識を向けると、どこからとも無く、10匹程の犬が集まり、喉を鳴らしていた。
男は低く喉を鳴らす犬達の中心に、何ら躊躇う事も無く松の木から飛び降りる。
犬達は一斉に男に向かって走り出し、その牙を打ち込もうとした。
男の身体から、圧力が放たれる。
だが、男はその時、何もせずに心の中で、本気で思っただけだった。
(殺すぞ!)
その言葉、それの意味する単語、その気持ちそれを思い浮かべた瞬間、犬達は尻尾を股の間に丸め込み、急ブレーキを掛けて、その場に蹲る。
圧倒的な獣性が、犬の本能を怯えさせ、行動を止めさせたのだった。
男は無言で一歩を踏み出すと、犬達はビクリと震え、ジワジワと距離を取り始める。
男が進む方向にいる犬は、ブルブルと震え、伏せたまま動く事が出来無かった。
(ちっ、こいつら、野犬と一緒だ…。たいした訓練も受けちゃいねぇ…。高い金払って、対処道具揃えたのに…、無駄遣いに終わっちまった〜…)
男は舌打ちをして、進む速度を速める。
(あれだけ姑息な手段を使ったんだ、まともに爺には渡して無い筈だ…。なら、本命はこっちだ…)
男は真っ直ぐに使用人棟を目指す。
更けてきた夜に男の黒い姿が溶け混み出し、その姿が紛れ始めた。
男の行動は、竹内邸の音感センサーに掛かる音域を一度も越える事無く、進められている。
それは、ほぼ無音と言っても差し支える事がない程、その行動は静謐で滑らかだった。
■つづき
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