夢魔
MIN:作

■ 第32章 崩壊95

 ホテル内は、活気に満ち溢れていた。
 マンション奴隷達は佐山に掛けられた暗示からも、伸一郎の恐怖支配からも抜け出し、心からの自由を家族達と喜び合っている。
 メイド達も佐山の暗示を完全に外され、心の軽さを感じ、それ以上にここで受ける[治療]に胸をときめかせる。
 稔の甘いマスクと、落ち着いた声が心を蕩かせ、庵の野性味溢れる笑顔が、女心を揺さぶった。
 そして、真の何処までも優しい治療は、魂が震えてしまう。
 こんな夢の様な環境が、有って良いのだろうかと、メイド達は心から思った。
 そして、徐々に治って行く、絶望的だった疵を見て、嬉し涙を流さない日は無い。

 そんな明るい雰囲気の中を、1人トボトボと這い進む影。
 人犬にされた、金田だった。
 金田は美紀の穏やかな寝顔を見て、容態の安定を知り、兼ねてから思っていた事を、実行しようとして居た。
 金田は人気の無い従業員用の階段を使い、上を目指す。
 だが、その姿は中央制御室のモニターに、映し出されていた。
「あれ? あの人…あんな所で何をしてるんでしょう…」
 監視モニターに映った金田を見つけ、1人の奴隷教師が呟くと
「あそこは、何も無い筈よ…。屋上に出る扉しかないわ…」
 もう1人の奴隷教師が、眉を顰めて答える。

 金田は屋上に出る扉に寄りかかり、不自由な両手でドアノブを必死に挟んで、回そうとしていた。
「何か様子が変だわ…。黒沢様に知らせなくちゃ」
 1人の奴隷教師が席を立つ。
 その間に、屋上への扉が開き、金田はその身を屋上に投げ出した。
 金田は屋上に出ると、グルリと当たりを見渡し、確認する。
 屋上は全周囲、120p程の鉄柵が囲っていた。
 金田が辺りを見渡すと、機械室の脇に木箱が1つ置いて有った。
 金田はトコトコと木箱に近付き、額を押し当て押してみる。
 金田が押すと、木箱はズッと音を立て動いた。
 金田はそのまま、木箱を押し続ける。
 ズッズッと音を立て、木箱は移動し始めた。

 中央制御室に黒沢が飛び込んできた時、金田は木箱を押し始めていた。
(何を考えて居る…。いや、この状況なら先ず間違い無い)
 黒沢は、金田の行動を見て、直ぐに意図を理解し
「稔君と梓さんを呼べ。いや、屋上に行かせろ!」
 直ぐに黒沢は指示を飛ばし、中央制御室から出る。
 梓はその時、自分の部屋に居た。
 内線電話を受け、顔面が一瞬で蒼白に変わる。
 電話を手放すと、直ぐに部屋を出て階段に走った。
 稔は直ぐには見付からず、館内放送で最寄りの電話に出る様放送する。
 その時稔は、1階のホールに居た。
 受付カウンターに置かれた内線電話を取り、状況を知らされ受話器を放り投げて、走り出した。
 稔の身体は、風の様に廊下を駆け抜け、階段室に入り、飛ぶ様に階段を駆け上がる。

 金田はズッズッと木箱を押して、柵に到達させた。
 一旦木箱に登ったが、少し高さが足りなかった。
 金田は直ぐに木箱から降りて、木箱を立て始める。
 金田の額からは、木で擦れて血が流れていた。
 だが、今の金田は、そんな事全く気にせず、額で木箱を立てる。
 木箱がカタンと音を立て立ち上がると、金田はその上に乗ろうとした。
 だが、今度は登る為には、少し高く成りすぎた。
 金田は回りを見ると、そこには柵を支える鉄パイプの土台が有った。
 金田はそのコンクリートの土台目がけて、木箱を押した。

 木箱を土台に付けると、丁度良い高さの足場に成った。
 金田は、土台に足を掛け、木箱の上に登る。
 身体を鉄柵に向け、両手を掛けて、立ち上がって見た。
 鉄柵の手すりは、金田の腹の辺りに有った。
 金田は目を閉じ、満足そうな微笑みを浮かべる。
(ああ…、幸せだったな…。美香…いつも優しく接してくれて有り難う…。美紀…本当に可愛い娘だった…。梓…心から愛している…。そして、稔様…夢の様な日々を有り難う御座います…)
 金田の目には、滂沱の涙が溢れ、満足そうな笑みを濡らしていた。
 金田の腕から力が抜け、身体が前に傾いた。

 その瞬間、金田の背後から女性が叫んだ。
「旦那様! 何をする気ですか!」
 梓が階段室の扉を開け、裸足で荒い息を吐きながら、金田を見詰めていた。
「ア、梓…」
 金田は、梓の姿を見て驚いた。
「どうして、そんなことを為さるんですか? 私を置いて行くんですか?」
 梓はその美貌を苦るしそうに歪め、金田に訴える。
「ダメナンダ、ワタシガ、オマエノヨコニイルノハ…、フツリアイナンダ…」
 金田は辛そうな目で、梓を見て声を絞り出す。

 梓が一歩前に進み
「誰が…、誰がそんな事を言ったんですか!」
 金田に詰め寄った。
「クルナ! コナイデクレ…。ワタシガ、コウスルノガ、イチバンイインダ…。ダカラ、シナセテクレ」
 金田が血を吐く様な顔で、梓に懇願すると、梓は金田の予想を遙かに超えた行動に出た。
 梓はスッと立ち上がると、金田の居る横の面の鉄柵に走り、いきなり鉄柵の向こうに降りた。
「旦那様が飛び降りるなら、私も飛び降ります! 私も一緒に死にます!」
 梓は金田に言い切った。
「ナ、ナニヲイッテルンダ。バカナコトハ、ヤメナサイ。梓ハ、稔サマノモノジャナイカ!」
 金田は、梓の行動と言葉に狼狽えた。

 すると階段室から、1人の青年が飛び出し
「そうだ、梓は僕の物です。だが、満夫。貴方も僕の物でしょ! 僕を、悲しませないで下さい。もう、あの感情を僕に、与えないで下さい。お願いします。僕には、まだまだ、満夫の力が必要なんです!」
 必死な泣きそうな顔で、金田に懇願した。
 金田は、稔のその表情を見て、雷が落ちた様に震えた。
(うおおおっ! 私は何て幸せ者なんだ…。稔様に…稔様に…あんな事を言って貰えるなんて…)
 言いようの無い、感動が全身を包み、震えが止まらなかった。
 だが、あまりの感動で、金田の身体から力が抜け、手すりから手を滑らせる。

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