鬼の飼い方
鬼畜ヒスイ:作

■ 檻ノ零・鬼の見つけ方2

 少女の足元には、鼻から血を垂らした優男が尻餅をついていた。情けなく、目頭には涙まで溜めて。知ってか知らずか、『鬼』に声をかけたのが運の尽きということだ。
「は、はひぃ〜。ごめんさいッ」
 男は謝罪だけを残すと、ソソクサと屋上を後にする。
 ナンパしてきた男を、握り拳の一撃で伸したといったところか。
 少女は、周囲の母親が見つめるのを一睨みで一掃し、深く息をついてから拳を解く。そして、まだ視線を向ける俺に気付いて再び拳を握る。
「何見てんだ? 出し物はこれで終わり、さっさと飲むもん飲んでお家に帰りな」
 女の子とは思えない口ぶりで脅迫してくる。
 男とも思いたいが、セーターに隠れたささやかな二つの膨らみがそれを否定する。
「帰らなかったらどうする? 見知らぬ君を見つめるのは失礼だろうが、ここに居る居ないは俺の勝手だと思うが?」
 俺の口から突いて出たのは、そんな挑発的な言葉。
 それが少女の感に触ったのか、彼女は右目の端を引き攣らせて俺に近づいてくる。言葉で勝てぬと思えば、直ぐに暴力で訴える。人間の粗暴性には毎度のことながら呆れる。
 と思えば、なぜか少女は拳を振るうこともせず俺の隣に腰掛けたのだ。

「……?」
「悪いか? あんたの椅子じゃないんだから、開いてりゃ私が座っても構わないだろ」
 怪訝そうな俺の顔に、少女は先刻の台詞を逆手にとって言い返してくる。
「なるほど」
 そして俺は簡単に納得する。
 それ以外に会話はなく、膝に肘をついて頬杖の格好で子供達を見つめる少女と、空き缶を額に乗せてバランスを取る暇人な俺。二人だけが、異様な空気を作ってベンチを占領していた。
「あんた、この辺の人?」
 沈黙に痺れを切らせた少女が、視線だけを投げかけながら問いかけてくる。
「ぅにゃ、郊外の方に住んでる。暇人のフリーター」
 バランスを取るのに忙しい俺は、声だけを聞きながら簡単に答える。
 二分三十八秒、最高新記録だ。
「暇なんだね。私も、暇だよ……」
 何が言いたいのか分からない。
 ただ、彼女の憂いを帯びた瞳には、俺の琴線に触れる何かがあった。良く観察してみれば、少女の頬や掌には殴り合いで付いたらしい傷跡がみられる。
「暇だから、喧嘩なんかするのか? お淑やかにしろとは言わないけどさ、もう少し健全な趣味を見つければ?」
 俺が言うのもなんだが、ささやかに忠告だけはしておく。
 性格や口調は粗暴だが、それに似合わないほど少女の肌は美しい。その肌が傷付いていくのを放っておくのは、他人の俺としても心苦しいのだ。
「私、今日家に帰れないんだ……」
 全く脈絡のない言葉。
 それは、遠回しに誘っていると見ていいのか。
 だが、少女の顔にそれからの期待も不安も、それ以前にこの世界への希望も映っていない。
「何度か家に帰れない時もあったけど、どうにか友達の家に泊めてもらってた。まあ、大体は一日で親に知られて立ち入り禁止食らうけどね。アドレス帳は、もうソウルド・アウト。お金が掛からない泊まる場所って、少ないね」
「このご時世、駅で寝てても叩き起こされるからな。野宿は危ないし」
 俺の気のない返事を聞いて、少女は僅かの期待を持って見据えてくる。
 そこまで分かっていて、俺はあえて腹に決まっていた答えを口にする。
「駄目、絶対駄目。一人ぐらいだけど、誰かを泊められるほど広くない。それに、女の子が簡単に男の家に泊めてなんて言うものじゃありません」
 子供を窘めるように言って、俺はベンチから腰を浮かす。
 彼女との邂逅はそれだけ。ただ、去り際にさり気無くポケットからそれを落とす。
 俺の個人情報のほとんどが書かれた、原付の免許書を。

■つづき

■目次

■メニュー

■作者別


おすすめの100冊