鬼の飼い方
鬼畜ヒスイ:作

■ 檻ノ弐・鬼には豆より縄を3

 行きつけのレンタルビデオ屋諸々が立ち並ぶ街の、少し外れに俺のバイト先はあった。大型スーパーの一角にある、中華料理のテナントだ。
 近々、ここよりも都心に近いところにデパートが建つことになっている。そのお零れに与ろうと、幾らかのテナントがそちらの系列と合併するなどの変化があった。
 たぶん、立地条件の所為でもあるのだろう、最近はお客さんの数も減ったのだ。これまでは満席もあった昼食時さえ、埋まっている席は数えるほどしかない。
 あわただしいのが嫌いな俺としては、ゆっくりと仕事が出来るというのは嬉しいのだが。
「いらっしゃいませぇ〜」
 レジの前にやってきた――ここでは注文はセルフ――女性客に、営業スマイルなんぞ浮かべて接客する俺。似合わない。
 似合わないといえば、可愛い服を着たクイナもどうなのだろう。など、バイト中であることを忘れて想像してしまう。
 それで、ついつい接客をするのを怠ってしまうのだ。
「おいおい、綱ちゃん。お客さんが待ってるよ」
 ゴッツイ体格のオジサンが、苦笑を浮かべていた。
「あっ、申し訳ありません……。二百三十円のお返しになります」
 お釣りを手渡し、注文を厨房の方へ届ける。
「どうしたの、考え事なんてしちゃって。それに、女の人の前ばかりで」
 先刻のオジサンが、怪訝そうに聞いてくる。
 このオジサンが、このテナントの店長にしてコック長である。体格は隆々としているが、気前の良いお人よしとも呼べる人だ。
「あ、いえ……。別に、何でもないんです」
 流石に、家に連れ込んだ女子高生のことを考えてました、などとは言えず誤魔化そうとする。しかし、店長の目は誤魔化せない。
「あの子のことか……別れたんだっけ」
 そして、妙にずれている勘に感謝するべきだろう。
 店長が言い出した人物のことは、早いところ忘れて欲しい。俺も、忘れたい。ただ、今まではほとんど思い出さなかったのだ。
 それが今になって、そう、クイナと出会ってから頻繁にその姿を思い出す。
 二年前、別れてから音信不通が続く一人の女性。名前を思い出すのも億劫になる、初めて俺が愛した人。
 出会ったのは、ここでバイトを始めて直ぐのことだ。お客さんとしてやってきた彼女は、トレーに乗ったラーメンを厨房に向けてぶちまけるというそそっかしさを見せた。無論、被害を被ったのは接客に当っていた俺。ラーメンは大好きだが、流石にぶっ掛けられるのは勘弁だ。
 それから、彼女は度々ここへやってくるようになる。軽い火傷にぎこちない動きを見せる俺が、見るに耐えなかったのか、お詫びのつもりで友人なんかを連れてきて注文してくれたりもした。
 今にして思えば、それがこの店の全盛期でもあったのか。
「違いますよ。勉強のことで、ちょっと悩んでるだけですよ」
「そうかい。まあ、近々、その悩みも解決するだろよ……近々な」
 誤魔化そうとする俺の気持ちを汲み取ったのか、店長は詮索するのを止めて厨房へ戻ってゆく。

 それからは、俺も物思いに耽ることはなくなって着々と接客をこなす。十二時から始まり、途中で一時間ほどの休憩を挟んでから夜の八時、片付けを終えて俺は帰路に付く。
 客が少なくなったとは言え、休憩を挟んでも八時間立ちっぱなしの勤務状態に俺の足腰は軽い疲労を訴えた。帰り道の途中で、久しくまともな夕食にありつこうとコンビニに寄る。
「ふぃ〜。もっと、楽して稼げる仕事って無いかね……?」
 なんて愚痴を零してみるも、世の中はそれほど甘くない。
 バイトをする前は楽なものだと思っていたコンビニのレジ打ちも、こうして見てみると額に汗を浮かべている。こうして、夕食をコンビニ弁当で済まそうとしていることが、申し訳なく思えてしまう。
 適当に店内をぶらつく俺は、フッと視線を本の棚に向けた。青少年向けの週刊誌やら、『パチンコ必勝法』などとのたまう雑誌が所狭しと並ぶ。そこで、なにやら気になる文字を見つけたのだ。
『貴女の恋愛秘話募集中』
『恥ずかしい写真投稿』
『こうして私は大人になった』
 なんて見出しを出す、成人向けの雑誌だ。
 俺は、フッと過ぎった考えを振り払う。
「何考えてんだ、俺は……」
 馬鹿馬鹿しい提案は一蹴され、俺は足早に弁当やオニギリの並ぶ棚を目指す。今日は、久しく唐揚げ弁当なんかを買ってコンビニを出た。
 それから愛車を走らせること十分程、都心から離れるに連れて木々が増える道に出る。一つ一つの民家が十メートルは間を空けて立ち並ぶ、東京とは思えぬ地域。
 駅からも遠い故に、俺の住む借家は月々三万程度の家賃で済んでいる。バイトが週二回、月給が五万から六万なので、家賃を払っても幾らか余ったお金で生活が出来るわけだ。
「嬉しい限りだ……うん?」
 アルバイト一人生活の有り難味に感謝していると、見え始めた借家の窓から明かりが漏れているのに気付く。電気は出る時に確かめたはずだ。
 ならば、と考える間も無く原因に思い至る。
「あいつ、まだ帰ってなかったのか……」
 家にたどり着いた俺は、未だに居座ろうとする家出娘のことを考えて呆れる。
 説教したところで突っ撥ねてくるだけだろう。一喝すれば、渋々と帰るか。などなどクイナを説得する手段を考えながら、玄関を開ける。
 そして、家に入るなり今までの考えは吹き飛んだ。
『…………』
 二人の視線が、静かにぶつかり合う。
 玄関で靴を脱ごうとしている俺と、気まずそうにこちらを見つめるクイナ。クイナの手には、無雑作に解かれた荒縄がある。足元にも、幾つかリュックの中身が散乱している。
 心の奥底で眠っていたもう一人の俺が、毒蛇の如く鎌首をもたげた。

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