鬼の飼い方
鬼畜ヒスイ:作

■ 檻ノ参・飼い鬼の刻印2

 信じたくて、ついつい意固地になって綱吉を『ご主人様』と呼べなかった。
 すると、綱吉がクイナの台詞に訝しそうな顔をして答える。
「? いや、明日ぐらいに台風が来るみたいだから、さ。何年も耐えてるから今年でぶっ壊れる家じゃないとは思うけど、それでも何かあったら責任取れないし……」
 その答えに、クイナは思考するのを止めた。
 遮光カーテンから覗く空は、灰色が澱んだ曇天。風も少しあるらしく、窓ガラスがギシギシと軋んでいる。
 どうやら、全てクイナの邪推だったらしい。
「あ、そっか。天気予報だと、東京に直撃するんだっけ」
 言われてみて、ようやく昨日のニュースで見た天気図を思い出す。季節外れの自然の猛威が、東京に向かって直進しているのだ。
 この借家も、隙間風が入ってきていても修繕した様子は見当たらない。台風の一つや二つで壊れるほど柔な造りではなく、十分に建造物としての強度があることを示していた。
「幾ら誰かの家に泊まっているとは言っても、家にいないんじゃ親御さんも心配するだろ? だから、明日ぐらいは家にいてやった方が安心するじゃん」
 綱吉の言い分は最もだ。
 それが、普通の家庭ならば。
「別に、良いよ。どうせ、あいつらは私がいなくなって清々してるだろうからさ。ここの方が落ち着くし、あんたに責任取って貰おうなんてあいつらも言わないでしょ。それに、私は……痛ッ?」

 クイナが最後まで言い切るより早く、歩み寄ってきた綱吉の拳骨が頭に落ちる。
「いったぁ〜。何すんだよッ? タンコブできてないかなぁ〜」
「お前の家庭の事情なんて知らん。けど、な。両親をあいつだとか、大切な子供の心配をしない親がいないなんて、何で決め付けられる! ほら、これとこれ、それからこれもッ」
 綱吉が勝手に脱ぎ散らかったクイナの服をボストンバックに詰め込み、強引に押し付けてくる。そのまま、有無を言わさずに玄関まで押し出されてしまう。
「お、おい! ここに居させてよ!」
 抵抗する間も無く、クイナは外に放り出されてしまう。
 扉を叩いて抗議するも、珍しく掛けられた鍵は返事を返さない。夜まで居座ってやろうかと玄関に座り込むが、強くなり始めた風が容赦なくショートカットの髪を掻き乱す。
 灰色の雲も厚くなり、どこかで雷鳴が轟く。
 綱吉が扉を開けてくれる様子は、一向にない。
 帰らなくてはならないのか。あんな、地獄のようなところへ。クイナは足を抱え込み、小動物のように縮こまる。
 体を痛めつけられるならまだマシだ。けれど、あそこは心を蝕む。
 いつしか自分の居場所が無くなったところへ、戻らなくてはいけないのだろうか。
 温もりなど欠片さえ失われた寒々とする空間で、再び一日を過ごさねばならぬのか。
 クイナは、小刻みに肩を震わせた。
 しかし、ここに留まっていても、迷っていても台風の餌食になるだけだろう。生きていることさえ困難になるのなら、雨風を凌ぐ間だけは戻っても良いではないか。
 できることなら、
「ここにいさせてよ……」
 温もりと居場所を与えてくれた、このあばら屋がよかった。
 最後に、聞こえるかどうかも分からぬ呟きを残し、クイナは小さなあばら屋を後にした。
 昼過ぎだというのに人でごった返した駅に着き、電車で帰路に着く。クイナの自宅も郊外に近く、綱吉の家までは歩いて二時間程度のところにある。
 電車を降りて、歩いて十分もしない内に自宅が見え始めた。
「……戻ってきちゃったなぁ」
 見慣れているはずの、どこか他人の家を思わせる自宅を見上げ、ボソッと呟くクイナ。
 灰色の雲に覆われている所為だろうか、自宅の周りだけが他所よりも暗く感じられる。
 それも当たり前だ。玄関を潜るとそこに人の気配は無く、普段は買い物ぐらいでしか外出しないはずの母親の靴までなくなっているのだ。
 直ぐに、出かけているのだと直感する。
 リビングに向かい、父が仕事に持っていくバックが置かれていることから、仕事から帰ってきた父親と出かけたのは容易に想像できた。
「何だよ、やっぱり私のことなんて心配してないんじゃねぇーか」
 娘のことを放ったらかして、出かけてしまっている両親の悪態を吐く。
 荷物を抱えて、ズカズカと二階の自室へ駆け込んだ。三日前に家を出たまんまの、何も変わっていない自室。
 机の上には、幾つかのメールの着信が溜まった携帯が置かれている。
「忘れていっちゃったんだ。外に出てないから、考えてこともないや」
 友人からのメールを読みながら、自嘲の笑みを浮かべた。他愛も無い遊びの誘いに、学校の出席についての連絡。
 留守電も幾つかあったが、今更掛け直しても遅いだろう。だから、確かめるのを止めて机に放り出す。
 自分の体も、テディベアの絵柄が描かれた愛らしい掛け布団がしかれたベッドの上に放り出し、溜息を一つ。父親が誕生日に買ってくれたクマのヌイグルミが、枕元でクイナを見つめる。
 ベッドからも、ヌイグルミからも、自分の匂いだけしかしない。これまでなら、そこにあったはずの香りが消えて、独りぼっちの自分が残っている。
 出会わなければ、変わることの無かった世界。出会ってしまったから、変わってゆく世界。初めて、この世の何かと比較しても換え難くなってしまった人物は、ベッドの上に存在しない。
「綱吉……」
 その名を呼んだところで、返事は返ってこないのだ。

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