梨華子と亜矢子
百合ひろし:作

■ 第11章 海岸1

高校三年になった。クラス変えはクラスの多い文系のみで理系は無かった。梨華子と亜矢子、大介と礼二の4人はいつもの様に登校しいつもの様に過ごした。変わったのは教室の位置だけである。後は、三年生は進路の為に全力を尽す年である。
大介は陸上短距離で、礼二は長距離で推薦を狙っていた。二人の実績ならほぼ確実だろう―――。梨華子と亜矢子はそういうものが無かったので一般で狙うがそこは大介、礼二と同じ所である。難関ではあるが、この二人ならばという事で進路の先生も特に反対というか考え直しを迫る事は無かった。

そして放課後―――。梨華子と亜矢子は陸上部に練習を見に行くかスポーツクラブに行くかなのだが、この日は後者のスポーツクラブに行く日だった。家に帰ったらすぐに宿題を済ませて時間まではその他の勉強をした。その間はずっと着替えもせずに制服姿のままで―――。
大分入試を意識した実戦問題もこなしている。4人は私立大志望なのでセンター試験は無い(正確に言うと受ける学科には無い)が梨華子と亜矢子はその勉強もしていた。その事について大介が聞くと、
「手は広げていた方がいいと思うし最初の本番として受験の空気に慣れておいた方がいいかな―――って」
梨華子はそう答えていた。大介は梨華子の考え方に感銘を受けた。人はどうしても苦手なものを避けたがる―――。大介も現代文は得意だが古文漢文はどうも苦手だ。そういう人の感覚として、
今、古文漢文使わないから別に出来なくてもいいじゃん―――。
と言いたくなる。しかし梨華子は、
「確かにそうだよね。でも―――例えば"今"を知りたくなったら必要じゃない?」
と答えた。梨華子のその考えは陸上にも当てはまるのではないかとも思えた。例えば、大介と礼二は短距離と長距離という走り方や使う筋肉、必要な能力が全く違う種目をやっているが互いに無意識のうちに影響しあい、学びあっている。更に言うと200mや400mのコーナリングが苦手なら、もっと狭い所を回る野球部の人に学んでもいい―――。この様に一見関係無さそうでも何かしら得られる。そういう事を梨華子は常に考えていた。だからガリ勉をしなくとも成績がいいのかも知れない。根が深くて広いといえばいいのか、アンテナが高くて感度が良いと言えばいいのか。大介はその点を尊敬していた。他にも梨華子は前もってセンター試験を受けて置けば本番の試験の為の練習にもなる、と言っていたが。

梨華子は宿題が終わった後、亜矢子に電話した。亜矢子はその内容を聞いて不思議に思った―――と言うのは、梨華子が予定変更を言って来たからだった。
「クラブは明日にしない?」
と言った。他の人が言ったのであれば何ら気にも留めないのだが、言ったのが梨華子である。その為亜矢子はその理由を聞いた。クラブに行く日時や曜日は指定されていない。何時でもいいのだった。だから逆にサボる事も何時でも出来るので続けるには相当な意思を必要とした。だから梨華子が一日ずらす事を言った事に対し亜矢子は心配になった。明日にしない―――?梨華子はこんな事は滅多に言わなかったからだった―――。しかし、梨華子は答えずに、
「その代わりに今日は行きたい所があるんだ……」
とだけ言った。亜矢子はそれが何であるのか分からなかったが、
「うん、じゃあそっちにしよ」
と言った。心配事は―――いや、梨華子の事だからきっと大丈夫、と思う事にした。
会話はそこで終わり、お互いに宿題を終わらせて夜を待った、受験勉強をしたり、着ていく物を考えたり選んだりしながら―――。元々クラブに行くのは夜の予定だったので全然問題は無い。
この日は4月なのにとても暑かった。最近は少し南の高気圧が元気になると夏は言うまでも無いが、冬でもすぐに20度、春になれば30度になってしまう。その為夜になっても気温は下がらず、長袖では暑く感じられた。寒い時は雪が降ったりする癖に暑くなると真夏日だ。全くもって4月はよく分からない月になってしまった―――。
亜矢子はそんな事を考えながらクスッと笑い、ツインテールの髪を指でクルクルといじりながら梨華子の家に向かった。

梨華子も同じ事を考えていたのかどうかは分からないが、ポロシャツにミニスカートと亜矢子と色違いで殆んど同じ格好をしていた。
二人は駅に行って電車に乗り、暫く揺られていた。その間は会話らしい会話は無く、梨華子はずっと黙っていて、亜矢子も隣で黙って座っていた。意外かも知れないが梨華子と亜矢子がこうやって一緒にいながら全く話さない事は珍しくは無かった。
梨華子は目的地に着いた後の事を考えていて、亜矢子は梨華子が何処へ向かおうとしているのか考えていた。

「何処に―――?」
電車に揺られる事二十分、亜矢子は聞いた。梨華子は下を向いていたが顔を上げて、
「海……だよ」
と笑顔で答えた。亜矢子は、
「え?」
と思わず返した。海開き前の海に行こうだなんて、しかも夜に―――。先程は無視した小さな不安が一気に大きく膨らんだ。梨華子だったら有り得ないと思うが、まさかあんなことを考えているのか―――?もしそうなら―――、と思った。しかし、こんな所でそれを確認する訳にも行かなかった。もし違ってたら大恥をかく―――いや、梨華子に大恥をかかせる事になるからだった。

電車から降り、梨華子は改札を出ると真っ直ぐ海岸線に向かった。駅と海岸は数百メートル離れていたが海岸線が近付くにつれて、前方の空は暗くなっていき、街の光には左右と後ろから照らされる様になってきた。
亜矢子は黙ってついて行ったが、梨華子が海岸に着くと道路の手摺に手をかけて、
「夜の海も―――綺麗だよね」
と口元に笑みを浮かべて同意を求めて来たので亜矢子の不安は最高潮に達した。
亜矢子が思うに、梨華子は別にそんな行動を取るべき理由等ない筈だった。学校生活は楽しい、勉強も良く出来るし今でも試験の結果を見せあって今回は勝ったの負けたのやっていた。志望校だって充分に射程圏内―――。大体話せない様な秘密を持つなと、これがお互いの約束ではないか―――。
家庭環境も特に問題無い。何も問題など無い―――。本当に無い。

いや、一つだけあった―――。亜矢子はいいのだが、梨華子に将来引っ掛かる事―――。
大介の事だった―――。

大介は今、インターハイに向けて調整をしている。彼の実力だったら決勝は間違い無い。そしてあの長身で筋肉質の体型とワイルドなイケメン―――。注目されない訳がない。きっと将来五輪や世界陸上で黒人に混じって決勝の舞台に立つ人だと言われるのだろう―――。それくらいの素質と、そして実績、伸びしろが既にある。
そんな人が彼女公認とは言えもう一人の女と付き合ってるなんて世間で話になったら―――?
公認だなんて三人だけの話であり、世間から見れば浮気だの二股だの言われるに違いない。そんな事を考えるうちに梨華子はそのバッシングに耐えられないと思ったのではないか?だから今の幸せなうちに―――と。

「どうしたの亜矢子?」
梨華子は聞いた。亜矢子は梨華子の両肩に手を乗せ、目をきつく閉じて首を振った。
「梨華子……辛いの?私も大介君と付き合ってる事が……将来……大介君や梨華子が……」
梨華子は訳が解らなくなった。何故突然亜矢子がこんなに悲しそうな顔でこんな事を言い始めたのか―――?
その時、梨華子の耳に波が岩に砕かれる音が響いた。それを聞いて梨華子は気付いた。
亜矢子にはクラブに行くことを延期してまで夜の海に来たい理由を話して無かった。まあそれは着いてから話すつもりだったのだが―――。そしてその海は凪いではいるが真っ黒で何だか全てを飲み込んでしまいそうだった―――。しかも砂浜を見る限り人影は無い。
「あの……まさかと思うけど……私が亜矢子を道連れに自殺しようとしてる……と思ったとか?」
梨華子は困った顔をして言った。亜矢子は顔を上げて、
「え―――?」
と驚いた。そして、
「あ……はははっ。そうだよね……違うよね……」
と顔を赤らめて梨華子から視線をそらして笑った。梨華子はそれを聞いて、
「もしかしてずっとそれが引っ掛かってた―――?」
と聞いた。亜矢子は、
「うん……海開きしてないし夜中の海と言えば……と思って。海って聞いたから急に不安になって」
と言った。梨華子はそれを聞いて、
「私―――馬鹿だ。最初に少しだけでも言っておけば亜矢子をこんなに不安にさせなくて良かったのに―――」
と言って亜矢子の手を取った。亜矢子は梨華子の意図を理解した。ひっぱたけ、と。
「私が勝手に早トチりしただけだよ。だって約束したでしょ?何でも話すって。梨華子が言いもしないのに勝手にそう思った私が悪いよ」
と答えて笑った。梨華子は亜矢子の気持ちを察して、
「ごめんね、ありがとう」
と言って手を引っ込めた。亜矢子は笑顔を返した。

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