真梨子
羽佐間 修:作

■ 第5章 オフィス・嬲5

−神戸− 7月6日(水)

「ただいま〜」

 真梨子は誰もいない部屋に向かって帰宅の挨拶をした。
 GWに戻って以来2ヶ月ぶりに二人の愛の巣、神戸のマンションに戻ってきた。
 本当なら今日アメリカから帰国した最愛の夫、浩二と東京で久しぶりに二人きりで過ごすはずだった。
 しかし大阪本社システム部との打ち合わせが、先週末の会議の時梶部長の要請で今日に決まり、朝一番の新幹線で本社へ出勤した。
 明日も、本社での打ち合わせの後、東京に戻る予定なので、神戸に戻ってくる浩二とはすれ違いで会うことが出来ない。

 踏み入れた部屋の中は雑然と散らかっていて、ハードスケジュールをこなし仕事に打ち込んでいる夫に不自由な生活を強いていることが申し訳なくて涙が滲んできた。
 浩二が勧めた事とはいえ単身で東京へ出張させてくれ、不満の一言も言わない浩二の大きな愛を感じて、テーブルの上に散らかった雑誌や新聞を片付けながらポロポロ涙が零れてきた。
――それに引き換え私は何をしていたんだろう… あんな淫らなことに現(うつつ)を抜かして流されていた… 浩二さん、ゴメンナサイ…
 真梨子は、Tシャツと短パンに着替え、せめてもの罪滅ぼしに、リビング、キッチン、バス、トイレ、浩二の書斎も、家中を懸命に掃除して整理した。
 大汗をかいて家中をピカピカに磨き上げ、得心して湯船に浸かったのは午前3時を過ぎていた。
 何時間もせっせと身体を動かしているうちに湿っぽい欝な気持ちも吹き飛び、お湯に浸かりながら真梨子が決意したことがある。
プ ロジェクトを終えたら、会社を辞めて浩二の為に時間を使う事に決めた。
――毎日、布団を日に干して、ふかふかのベッドで寝かせてあげたい! それが私の生きる証だわ。 浩二さんが反対しても絶対聞かない! それが私の幸せなんだもの!

   ◆
「おはようございます」
 翌朝、真梨子はITコンサルティング椛蜊纐{社に出勤し、社長室を訪れた。
「おお 泉さん…じゃなかった、羽佐間さん。 お疲れ様。 プロジェクトもひとやま超えたようだね」
「はい。 方向が決まりましたし、今のところ順調だと思います」
「それにしても羽佐間さんは、浩二と結婚してから益々綺麗になったね。 眩しいくらいだよ」
「あ、ありがとうございます」
「で、羽佐間も元気でやってるかい?」
「ええ。 おかげさまで元気でやっています」
「あいつの会社もいよいよ上場だろ?! いつだった?」
「さあ、詳しくは知らないんです。 普段から仕事の話はほとんどしませんし、それに昨日まで1ヶ月アメリカに出張していましたので最近の事情はまったく知らないんです」
「そうかあ、奴も頑張るなぁ。 じゃあ、昨夜は久しぶりに水入らずで過ごせたのかね?」
「いいえ。 彼は東京泊りでしたので…」
「そうなのか。 タイミングが悪かったんだな。 新婚早々の君を東京に行かせたりして申し訳ないと思っていたんだが、後暫くだから辛抱して頑張ってくれ」
「はい。 頑張ります」
「君がこっちに戻ってきたら、一度羽佐間と3人で飯でも喰おうや」
「はい」

   ◆
 真梨子は本社での打ち合わせを夕方まで続け、18時過ぎの新幹線で東京へ向かった。

 浩二とは、朝に電話で話す事ができたが、宿酔いを案じていた夫は案外元気そうな声だったので安心した。
 疲れの自覚があるのか、早くホテルに引き上げてしっかり睡眠をとったらしい。
 浩二の今日のスケジュールを聞くと、お互いが乗った新幹線が途中ですれ違うようなタイミングで神戸に戻ってくる予定だ。
 もどかしいほどにお互いのスケジュールが合わず、逢う事すら出来ないのが真梨子には悲しかった。
 ドーン!という衝撃音の後、車窓をビリビリ揺らす下りの新幹線とすれ違う度に、浩二が乗っている列車かも…と思いながらいつしか眠ってしまい、目覚めたのは品川駅を過ぎたあたりだった。

   ◆

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