真梨子
羽佐間 修:作

■ 第5章 オフィス・嬲8

 高倉ビルの前からタクシーを拾い、梶がドライバーに行き先を六本木と告げた。
――六本木… まさか… そんな訳ないわ;
 真梨子の脳裏を梶の赤い舌のカットがかすめた。
「ぶ、部長… どこへ連れて行ってくださるんですか?」
「真梨子君はイタリアンは好きかね? いい店を見つけてね」
「は、はい。 大好きです」
 真梨子は身体を接しないようにして梶の隣で身を硬くして座っていた。

 間もなくタクシーが、梶の指示した場所に止まった。
 梶は瀟洒な構えのレストランのドアを開け真梨子を誘った。
――ここは確か… 奈保子店長にご馳走して貰ったお店だわ…

 食事の間中、真梨子はとても緊張していた。
 梶が選ぶ話題は、真梨子の結婚生活や、自分の女遍歴など詰まらない下品なものばかりで、この男への嫌悪感は今まで以上に強まってきた。
 普段なら巧みに話題を切り替えるところだが、目の前で時折覗かせる梶の赤い舌が真梨子に更に緊張を強いる。
 デザートのアイスクリームを舐める梶の仕草が、DVDの中で見せた梶の表情とオーバーラップし、この場に身を置くことすら息苦しく感じさせた。

「いよいよだね、旦那さんの会社の上場!」
「えっ、そうなんですか?」
「なんだ、知らないのかね」
「え、ええ… 近々って事だけは… 仕事の話はほとんどしない人なので…」
「そうか。 なんでも9月の初旬に決まったって話だよ」
「そうですか」
「いよいよ真梨子君も上場企業の社長夫人だな」
「ええ…」
「さあ、お腹も満ちたし、軽く1杯だけ付き合ってくれんかね?!」
「あ、いえ… 今日はもう遅いですし…」
「まあ、そう言うな。 まだ11時だよ。 ほんの30分だ。 すぐそこだから付き合ってくれ!」
「あ、はい…」

 有無を言わせぬ雰囲気に、気圧されて付いていく事を承諾してしまった。
――すぐそこって… 
 ある訳がない!と頭に浮かぶ危惧を懸命に打ち消し、梶についてレストランを出た。

   ◆
 梶は真梨子をエスコートするように見覚えのある街並みを歩いていく。
 目の前の角を右に曲がるとhalf moonの入っている戸山ビルある。

 梶は角を曲がりそして、戸山ビルの前で立ち止まった。
――いやぁ… まさか… そんな… 
「あ、あの…」
「最近知った店でね。 紳士・淑女の会員制のクラブだ。 ちょっと面白い店なんだ」
――ど、どうしよう… 部長は私の事を知っているの? それとも知らずに連れてきたの? でもhalf moon以外のお店かも知れない…
 戸山ビルの案内板には、何件かのそれらしき会員制のお店があった。
「さあ、行こう」
 真梨子の腰に手を回し、エントランスに引き入れた。

 エレベータのボタンを押し、ゴンドラの到着を待つ。
 心臓が早鐘を打ち、掌が汗で滲む…
――どのお店? どうしよう…half moonだったら… half moonを知っている事を言ったほうが良いのかしら… 私が知らない振りしてもママが”久しぶりね”と声を掛けてくるかもしれない… ど、どうしよう…
 エレベータが着き、ドアが開いた。
「さあ、真梨子君。 乗りなさい」
「い、いえ… やはり私はもうこれで…」
 真梨子の唇は微かに振るえていた。
――やっぱり行かないほうが良いわ…

「そんなつれない事言うなよ、真梨子君」
 梶は、にやりと口の端に下卑た笑みを浮かべ、真梨子の腕を取りゴンドラに引き入れ、6Fのボタンを押した。
――あぁ… やっぱり…
 動き出したエレベーターは、直ぐに減速して6Fに着き、ゆっくりと扉が開いた。
 目の前のhalf moonの扉の前に星野が立っていた。

「いらっしゃいませ。 梶様」
 二人の姿を見るやうやうやしくお辞儀をし、扉を開け二人を店に迎えた。

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