走狗
MIN:作

■ 第1章 出来事31

 携帯のアラームが鳴り、俺は立ち上がる。
 携帯をポケットに突っ込んで、指定された店に急ぐ。
 俺の自宅から歩いて10分ほどの場所に、その喫茶店は有った。
 指定された店は、カウンターに10脚、間仕切りされたボックス席が5つと、結構大きな店だった。
 俺は、入り口が確認出来るボックス席に座り、コーヒーを頼んだ。
 店の中に目を向けると、常連らしい小母さん3人がマスターと談笑をしている。
 隅の席には、若い男女が神妙な顔で話している。
 どうやら、別れ話の最中らしい。
 それだけを、確認すると運ばれてきたコーヒーを口に運ぶ。

 約束の7時に成った。
 その時突然、俺は後ろから声を掛けられた。
「叶様ですね」
 今まで、全く気配を感じなかった所からの、突然の声。
 俺は、慌てて振り向こうとしたが
「そのままお聞き下さい…。こちらをご覧に成られても、私を確認する前に、私は席を離れます」
 制止され、その上脅しまで入れられた。
 俺は、全神経を集中させ、声の主の気配を探す。
 しかし、声の主は言葉を発する時以外は、気配が希薄で捉えようがない。
(この男の言うとおり、俺が振り向き捉まえる前に、この男は消えているだろう)
 俺は諦め、姿勢を戻した。
「懸命なご判断ですな…。さて、端的に本題に入らせて頂きます。貴男がこれから為さるであろう事について、私どもの方でサポートさせて頂きたいのです」
 男は、突然訳の分からない事を、言い出した。
「それは…どう言う意味だ…」
 俺は口の中が緊張で、カラカラに成って行くのを感じながら、男に問い掛ける。
「貴男は、これから奥様と妹さんの仇を討つつもりで居られますよね…。それは、どの範囲で、どのくらい迄を想定されて居られますか?」
 逆に男が問い返してくる。

 俺は、暫く言うべきかどうかを考え、男に答えた。
「家族全員一人残らず…だ」
 俺の言葉に、男の微かに笑う気配が漂って来た。
「良いでしょう…。それでしたら私どもの方で、場所や機材を或る期間、お貸しする準備が有ります。そう言った内容のお話です。但し、私どもに処分は、一任して頂きたい事と指定する行動は、厳守して頂きたいと言う条件が付きますが…」
 男の意外な申し出に、俺は戸惑った。
「どう言う事だ?」
 又、俺は同じような質問を投げ掛ける。
「言葉の通りです…。場所と道具と死体等の始末を、私どもが行う変わりに、指定した行動を取って頂く。例えば生命の保持や、引き渡し、と言った所です。勿論、当事者は指定しませんので、ご心配なさらず」
 そこまで男が言うと、俺は別の質問をした。
「日下部はどうして殺した…」
 俺の質問に男は
「あの方は、ノーリスクでこのステージに上がろうと為さいました…。それは、許されざる行為です。ですから、処置致しました」
 あっさりと日下部の殺害を認めた。
「このステージには、リスク有る者以外の参加は認められません。これから、充分注意して行動して下さい。余計な死者は、本意では有りませんので」
 俺の不用意な依頼が、日下部を殺したと言う男。
 俺はこの時、この男を捉まえる事より、この男の提案が、俺に望みを叶えさせる唯一の道のように思えた。

 暫く考えた後、俺は男に条件を飲む事を告げる。
 流れる沈黙。
 返事を返さない男に、俺は業を煮やし、振り返った。
 しかし、其処に人影は無かった。
 テーブルには、飲み終わったコーヒーカップと小さな茶封筒が1つ、それと伝票の上に700円が置いてあった。
 俺は、自分のテーブルに高いコーヒー代の700円を置き、立ち上がると男のテーブルから茶封筒を取って、奥に向かった。
 衝立を曲がると、そこにはもう一つの出入り口が有った。
 俺は、フッと笑うと、茶封筒の中を確認する。
 その中身は、鍵が大小1つずつと一枚の畳まれた地図が入っている。
 俺は、扉を押すと、自宅に向かった。

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