とある悪魔のものがたり
紅いきつね:作

■ 1

知ってるかい?
悪魔って本当にいるんだよ。
あ、その顔は信じていないね。
無理もないかな。いきなりじゃ信じるわけないものね。
全然信じてくれないあなたのために、今日は悪魔の話をしようか。
それはある夏の日の出来事。
それはある哀れな子羊の物語・・・。

電車を降りると、涼やかな風が身体を通りすぎていくのが感じられる。
月並みな表現だけど、これが本当の涼しさってやつなんだろうなあ・・・そんな事を思いながら臼井祐悟は午前中の爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込む。いつも吸っている東京の空気と比べて不純物が何も混じっていないような気さえした。
「どうしたの?」
ホームに立っている祐悟の背中に、鈴の音のような綺麗な声がかけられる。
振り返ると水色のワンピースがよく似合う永津香織が立っていた。もちろん赤の他人なんかではなく祐悟自慢の彼女である。
「ん、ああ。軽井沢っていいとこだなあって」
「そうでしょ。」香織はくすくす笑う。「でも駅を見ただで感想言うのは早いんじゃないかな」
祐悟は太陽のような香織の笑顔につい見とれてしまう。
二人共高校3年生で、同じ高校に通う同級生だ。
身長180センチ近い祐悟と、女性にしては高めの170センチ近い身長の香織が並んで立つとまるで絵に描いたようなベストカップルである。二人共人目を惹く容姿をしているし、香織はモデルのような素晴らしいスタイルを誇示するようにワンピースの腰を絞っているせいで柔らかく隆起する胸が実際以上に大きく見える。同じ電車に乗っていた乗客も、美男美女のお似合いのカップルに羨望の眼差しを向けていた。
「さ、先に買い物に行きましょ」
「あ、うん。おい!そんな引っ張るなって」
自分の腕を引っ張りながら歩き出す香織の後ろ姿を見ながら祐悟は思う。ようやくここまで来たのだと。

臼井祐悟は常に優等生だった。
しかしそれは表面上のこと。中学生の頃から裏では陰湿ないじめを繰り返していた。
理由など無い。
毎日付ける優等生の仮面の下では誰かを無茶苦茶にしてやりたいという憎悪が渦巻いていた。
高校に進学してからも対象を変えていじめは続けていた。
仮面の下に溜まった憎悪はこうでもいじめという手段でしか解消することができなかったのだ。
恐らくそのままいじめを続けていれば最悪の結果が待っていただろう。
そんなぎりぎりの状態にいた高校1年の6月。
前日に出た数学の宿題を学校に忘れたことに深夜になって気がついた祐悟は、仕方無しに早めに登校して片付ける事にした。分量的には祐悟にとってすれば楽勝だ。早ければ30分位で終わるだろうと思った。
それでも念のためいつもより1時間以上早く投稿した祐悟は、自分より先客がいることに驚いた。
「何だ、永津か。ずいぶん早いんだな」
それまで殆ど話したこともないクラスメートの永津香織だった。自分の席で文庫本を読んでいる。
「今日はたまたまね。臼井君はいつもこの時間なの?」
「いや。宿題忘れちまって」
そう言いながら自分の席に座る。プリントを忘れたが為にこんなに早く来ることになり心中穏やかではない。よく知らないクラスメートと会話するなんて真っ平御免だった。
「はい」
いきなり視界が何かで塞がれた。
「これ見せてあげる。」
いつの間に来たのか、香織がプリントをひらひらさせながら祐悟の席の横に立っていた。
いいよ、すぐ終わるし。
そう言いかけた祐悟の唇を香織が人差し指でそっと押さえる。
「臼井君何だかいらいらしてるみたいだし、私のを見てすぐ終わらせちゃえばいいじゃない。そんなに間違ってないはずよ」
「あ、ありがとう」すっかり毒気を失ってプリントを受け取る。
そのまま香織は自分の席に戻ってまた文庫本を読み始めた。
30分掛からず写し終わり、礼を言いながらプリントを返すと香織は「どういたしまして。お礼はいずれ形のあるものでね」と言いながらにっこり微笑む。
もう少し話したいような気もしたが、すぐに別のクラスメートが教室に入ってきた為祐悟はもう一度「ありがとう」と言って自分の席に戻った。
思えばそれがきっかけだったのだろうと思う。
気がつくと香織を目で追っている自分がいた。
それまでは接点もあまりなかったので気にしていなかったが、香織は美人でスタイルもよく、その上性格も良いと3拍子揃っている女性だった。その為人気も高く、よく男子生徒から声をかけられたりしていた。だが特定の誰かと付き合っているわけではなさそうだった。
それならば自分が声をかければいいのだが、断られたらどうしようと思うと何もできない。自分でも驚くほど弱気になっている。
ただ教室の中でそっと見ることしかできない。
そのうちなぜか香織とよく目が合うようになってきた。
初めは偶然だと思っていたが、そのうち視線が合うとほんのり頬を赤くして微笑んでくれるようになった。
・・・もしかしたら。
そして夏休みに入る直前に、意を決して告白をした。
香織は顔を真赤にしながらうつむき、静かに「嬉しい」と言ってくれた。
こうして二人の付き合いが始まったのだった。

■つづき

■目次

■メニュー

■作者別


おすすめの100冊