内側の世界
天乃大智:作

■ 第4章 再会4

大男の体臭が、僕の鼻を衝(つ)いた。
獣臭、野生の匂いであった。
動きも読めない。
大男は、野獣であった。
僕には、そう思えた。
勝ち目はない。
僕の第六感が、そう告げる。逃げるんだ。
「どうした? あーん、坊主。さっきの威勢は、どこに行った? 」
またもや獣臭が、漂ってきた。
それは噎(む)せ返る様な獣の臭いであった。
その悪臭に硫黄の臭いが混じる。
僕は相手の腹にタックルをして、倒そうとした。
ガツン。
まるで、大木であった。
びくともしない。
背中を殴られて、息が詰まった。
そのまま、地面に叩きつけられた。
僕は、顔面から地面に叩き付けられて、鼻血を出した。
左頬から落ちたので、鼻骨は無事であった。
僕は、冷静にそんな事を考えた。
踏み付けられると思った刹那、きよしちゃんが、その大男を後ろから、羽交い絞めにした。
僕は、反射的に立ち上がった。
喧嘩では、ジッとしていたらやられる。
痛くても、立ち上がらなければならない。
攻撃か、防御か、逃避か、移動か、何らかの動作の継続が必要である。
相手の間合いから抜け出た時だけが、少し休憩。
「早く、キーボー。角を折れ! 」
「ツ、ノ!? 」
見ると、その男の額の真ん中に、角の様な物が出ている。
額の皮膚を裂き、血を流しながら、角は生え出ようとしている。
口が大きく耳の所まで裂け、牙が、生えてきている。
眼が、青白く光る。
左右の眼球の色が違う。
それが不気味であった。
鬼に、変身しつつあった。
ガルルルル。
「うそーっ」僕は、動けなかった。
恐怖に身が、竦(すく)んだ。
鬼相である。
大男の形相に恐れを成した。
「何、やってる? 早く、やれ! こいつが、完全に鬼になる前に! 」
僕は、駅前の植木を囲む石の一つを拾い上げ、思いっきり、角目掛けて、殴り付けた。
ガツッ。
石が、二つに割れた。
「駄目だ。石に“気”を入れるんだ」鬼を抑えながら、きよしちゃんは叫んだ。
鬼の変身が進む。
鬼の体が、内部から押し上げられ、モコモコ動いている様子が布地の上から窺(うかが)える。
益々、鬼の体が膨れ上がった。
衣服を引き裂き、鬼の肉体が露出した。
それと同時に、野生動物の体毛に直接鼻を埋める様な、強烈な獣臭が、僕の顔面に叩き付けられた。
獣毛の生えた青い肉体。
鎧(よろい)の様な鱗(うろこ)が目に焼き付いた。
今にも、きよしちゃんの腕を振り払いそうであった。
「早く、早くしてくれ」きよしちゃんが、叫ぶ。
時間がない―
この至近距離から、きよしちゃんが、鬼を解き放った後に体勢を立て直して、攻撃していたのでは間に合わない。
僕が、やられてしまう。
もっと大きい石を拾い上げると、石に念じた。
直感的にきよしちゃんの言った“気”を理解した。
この石で鬼の角を砕く。
この石で砕けないものはない。
不意に、鬼が、きよしちゃんの腕の束縛から逃れた。
「あっ」きよしちゃんが、叫んだ。
石が僕の“気”を飲み込み、燐光を放った。
鬼の獣気と石の燐光が交錯した。
鬼は変身を終え、人の二倍の背丈になっている。
鬼は、轟轟(ごうごう)と野獣の咆哮を上げた。
獅子口が、大きく開く。
それが、鬼の隙となった。
僕は両手で持った石を頭の上に持ち上げると、ジャンプ一番、鬼の額から生えた角を目掛けて、石を振り下ろした。
ガツン。
角が、落ちた。
鬼は、力なく膝から崩れるように倒れた。
その横で、きよしちゃんが、呪文を唱えるように言った。
「生まれ変われ! 来世は思いを遂げよ! 」
見る見る鬼は薄くなり、消えて行った。
ふと、見上げると、きよしちゃんの鼻が、まるで天狗の鼻のように伸びていた。
そんな気がした。
次の瞬間、きよしちゃんは、元の顔に戻っていた。
僕は、さっき殴られたせいで、幻覚を見たんだと思った。
「今の何? 」
「間に合って良かった」
「説明してくれよ」
 きよしちゃんは、僕の声を無視して、僕の手を取って走り出した。
きよしちゃんの後ろに倒れていた男? 鬼? も、薄くなって消えた?? 
「ちょっと、きよしちゃん!! 」
「まずは安全な場所に、隠れてからだ―」
 それは、物凄いスピードであった。
きよしちゃんに手を引かれ、周りの景色が吹っ飛んだ。と言うか、静止している様に見えた。
周囲の景色は、変わらない。
僕ときよしちゃんだけが、動いている。
旧型のセルシオのドアが開き、身を屈め、腰を落とし、乗り込もうとした左足が、宙に浮いたまま静止している。
煙草を銜えたヤンキーのお兄さんが、振り返ったまま口を開け、不安定な体勢で固まっている。
ヤンキーのお兄さんの銀歯が、口の中で光る。
煙草が今にも落ちそうな感じであった。
そして、周囲の夜景が、星が流れる様に、流れた。
「あれは、何だったんだ? 」
「悪鬼だ」
「えっ、何って言った? 」
「後だ」
 まるで時間が止まった様に思えた。
僕ときよしちゃんが居る空間と、周囲の人達が居る空間とでは、時間が進む速度が違う様に思えた。
この街で動いているのは、僕ときよしちゃん、だけであった。
ゆっくりと時間が、進んだ。
ゆっくりとした時間の中で、目まぐるしく夜景が変わる。
携帯電話の話に夢中になった時、過ぎ去る景色の様であった。

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