内側の世界
天乃大智:作

■ 第7章 鬼が島1

 気が付くと、顔に風が、吹き付けていた。
懐かしい香りがする。
僕は、きよしちゃんに抱きかかえられて、飛んでいた。
潮の香りが漂う。
景色が変わり、海の上であった。紺碧の海が、蒼海の中に点在し、碧海へと続く。冬の日本海も青いが、南国の海は、青さが違う。これが、マリンブルーだと思った。
どこまでも続く大海原と天空の境を、白い帯となって、雲が分かつ。そこから、逸(はぐ)れた雲が移動する。
今、僕ときよしちゃんに影を落として立ち去った。白いふわふわした雲であった。
向こうの方に、濃い雲が見えた。その雲は、海面ぎりぎりのところまで降りてきており、島のようにも見えた。
「起きたのか? 今度、俺が、逃げろと言ったら、逃げるんだ。いいな! 」
「・・・」
僕は、返事が出来なかった。まだ、悪夢から覚めていなかったのである。昨夜、きよしちゃんと再会してから・・・あ、そう、旅を再開したんだ。
「・・・どうなった? 俺は、やられたものとばかり・・・」
目が痛い。まだ、頭がすっきりしない。不思議であった。だんだん、記憶が、戻って来た。
巨大な悪魔。
あの気味の悪い肉体が打ち砕かれる音。
そして、眩(まばゆ)い閃光(せんこう)。
巨大な石像の様な、青鬼。
闇夜を疾駆する黒塗りのハイラックス。
吸血鬼血族の白い顔。
トレーラーに衝突された赤い悪魔。
夜の生き物―吸血鬼・夜空(やくう)。
夜空のことは、僕の胸の奥―潜在意識の中に仕舞い込むことにした。夜空は、きよしちゃんが現れると、いつの間にか消えていた。

潜在意識の中に情報を隠すことは、意外に簡単であった。僕は、きよしちゃんとのコミュニケーションの中で、なんとなく理解していたのである。
まず、隠したい情報に名札を付ける。
これは、言うまでもなく比喩である。
そして、潜在意識の中に、深層意識の中に、投げ込んで忘れる。その情報を見たい時は、名札を引き寄せるのである。
その名札を様々な形に変えて、僕の顕在意識の中に、表層意識の中に、埋めて置くのである。
一種の記憶法かも知れない。僕は、その記憶法を活用した。
顕在意識(表層意識)の中で、一つの部屋を作った。僕の匂いの染み込んだ部屋である。そこに様々な家具・調度品が置いてある。
壁紙も天井も、床のフローリングも、窓から見える景色でさえ、僕の好みである。誰かがその部屋を覗いても、僕の部屋の記憶としか思わないであろう。
その部屋は、六畳ほどの小さな部屋に見えるが、細部を拡大していくと、それは、無限な広がりを持っているのである。
例えば、机の引き出しを開けると、様々な「箱」がある。その内の一つ―筆箱を開けて見ると、鉛筆やらボールペン、消しゴムなどか入っている。
その消しゴムのケースを外すと、中が刳(く)り抜かれて、更に小さな箱が出てくる。その箱を取り出すと、その箱は、大きくなる。
そして、その箱を開けると、また箱が出てくる・・・そういう事である。
僕は、その部屋の様々な所に「名札」を隠す。
窓から見える風景の、一本の桜の樹の根元の、土の下だったり、無造作に床に転がっている、壊れたヘルメットの中だったり、雑誌の何ページ目だったり、その隠し場所は、無限であった。
しかも、部屋は無限にある。
その「名札」を頼りに、記憶を呼び覚ますのである。つまり、潜在意識(深層意識)の中から、手繰り寄せるのである。
「名札」は、文字通りの名札の事もあれば、それが音楽であったり、匂いであったり、味であったり、その形状も様々である。
僕は、夜空の「名札」を壁紙に止まった蚊にした。そして、潜在意識(深層意識)の中に、情報を投げ込んだ。

「俺にも、分からん」
きよしちゃんは、不機嫌であった。
「俺が目覚めると、お前が居なかった・・・だから探していたんだ。お前の生体反応がレーダー波に反応しないんだよ。死んだのかと思ったよ。そしたら、突然、お前の生体反応が現れた。昨日の夜に・・・どこに居たんだ? 」
「俺にも分からないんだ。きよしちゃんは、何ともないの? 」
「ああ、俺は大丈夫だよ」
しばらく、沈黙が続いた。
二人とも話そうとしなかった。
何があったのか・・・? 
どうなったのか・・・? 
答えが見出せなかった。
そして、僕は思い出した。と言うか繋がった。
意識の断片が、パズルの様に適切な、収まる場所に、収まったのである。
意識の最後の瞬間を。
青い悪魔を。
その碧い瞳を―
「青鬼を、見たような気がするけど・・・」
「青鬼? 」
きよしちゃんは、少し考え込んでいる様子であった。きよしちゃんは、僕の意識をスキャンして、その映像を見た。
「青蓮なのか・・・? 俺が、一瞬、気を失っている間に、あいつが助けてくれたとでも言うのか? 」
きよしちゃんは、独り言の様に呟(つぶや)いた。
「セイレンって、誰? 」
「俺の知ってるヤツだよ」
また、沈黙。
僕は、吸血鬼血族―夜空との約束も思い出した。あれは、夢だったのか・・・僕の部屋の中で、蚊が、ぶんぶん飛び回っている。その事実が、現実を思い起こさせた。蚊にするんじゃなかった、僕は後悔した。
夜空は、僕の体力が回復するまで、看病してくれたのだ。きよしちゃんは、気付いていない様子であった。
「でも、どうして、さっきは悪魔に気付かなかったんだ? 」
「―」
「きよしちゃん! 」
 僕は、声を大きくした。きよしちゃんは、えっ、何? という顔をした。
「どうして、悪魔に気付かなかったんだ? あんなに傍(そば)に居たのに―」
「土の中までは、レーダー波は、届かないんだよ」
 きよしちゃんは、うわの空である。他の事に気を取られている人の、無関心な口調であった。僕は、きよしちゃんの間脳に条件反射された気分であった。
「俺、本当に吃驚(びっくり)したよ。きよしちゃん、やられたのかと思ったよ」
「天狗は、高尚な生き物なんだ。悪魔の憎しみに触れると、気が吸い取られて、力が、入らなくなるんだ。全く、俺の不覚だった」
 やっと、きよしちゃんは戻って来た。遠くに居た意識が戻って来た、それを僕は、肌で感じた。
「気にすんなよ」
 僕は、慰めたつもりであった。
「しかし、妙だな。どうして待ち伏せされたんだろう。最初のヤツも、やたら早く嗅ぎ付けて来たし・・・」
きよしちゃんは、現実に戻って、少し考えている様子であった。
「・・・そうとしか、考えられない。嫌な予感がする」
と言ってから、きよしちゃんは、翼を小刻みに、振動させた。
僕の耳の奥が、キーンとなった様に思った。

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