内側の世界
天乃大智:作

■ 第8章 青蓮と紅蓮1

 真っ暗闇であった。
 きよしちゃんが、さっき神殿から抜き取ってきた松明(たいまつ)に火を付けた。松明のオイルの臭いと、パチパチ爆(は)ぜる音が広がった。ボー、と松明が、炎を上げる。赤い炎が、通路を照らし出す。松明の炎の揺れが、闇に魔物を創り出す。その闇が、松明の明かりを浸食していく。心細い炎であった。
 石の階段が、闇に溶け込んでいた。そこを降りた。松明を持ったきよしちゃんが前を歩く。闇の先の階段はどこまで続くのか・・・長い階段のようであった。
松明の赤い炎が、階段を生み出し、その後から―僕が通り過ぎた後、また闇に消えていく。光に照らされている間だけ、階段が実体を持つ、そんな風に僕は感じた。地獄へ続く階段。「無」から現れ、それが永遠に続く・・・
ねっとりと湿気を含んだ階段であった。岩壁に触れると、汗の様に流れ出した水気があった。口に含んでみた。塩辛かった。
僕たち二人の足音だけが、闇に木霊(こだま)する。孤独な階段であった。きよしちゃんが居なければ、到底耐えられない静けさであった。
 再び、僕を押し包む様な圧迫感―気圧や水圧のせいかも知れない―が強くのし掛かってきた。
息苦しいのである。吸い込んだ闇が、僕の肺の中で凝り固まり、それ以上息が吸えなくなる。そんな風に僕は、感じた。息が浅く、速くなった。
 闇の畏怖(いふ)、閉所の恐怖なんだと、僕は思い込みたかった。この不安は、どこから来るのか―僕の背中を、ねっとりとした汗が垂れた。
 きよしちゃんの歩調は、変わらない。僕は、懸命に左右の足を交互に出し続けた。どれだけ降りたのであろうか、階段の天井が途切れていた。広い空間に出たのであった。
巨大な洞窟であった。壁から湿気が滲(にじ)み出し、空気が体にまとわり付く様に重い。地殻の割れ目の様であった。先へ進むほど、空間が広くなる。いつの間にか、階段がなくなっていた。
岩盤の上を、僕たちは歩いた。
「気を付けろ。・・・さっき、魚人防人が、青鬼を見掛けたと言っている。角も、大きかったそうだ」
 きよしちゃんの声が、闇に響いた。きよしちゃんは、わざと言わなかったのだと、その時、僕は感じた。
 轟轟(ごうごう)。
地響きと共に、いきなり床が、持ち上がって揺れた。僕は、壁に寄り掛かって体を支えた。岩盤が膨らみ、破裂した。
にゅー、と青い太い腕が出て来た。そして、顔を出した。
「そうだ。俺が、魔鬼副将軍の青蓮(せいれん)だ」
土の中から、悪鬼五匹を従えた魔鬼が、現れた。次々に、松明に、火が点された。そして、囲まれてしまった。
「水の中には、こうるさい魚人が居るから、ここで待たせてもらった。前は、まんまと逃げられたが、久遠よ、今度は、逃がさない」
確かに、今まで見たどの鬼よりも、魔鬼副将軍と名乗る青蓮の角は、大きかった。額から、一本、太く、長い角が伸びている。髪は青色で、硬く縮れオールバックになっていた。瞳も碧(あお)い。
その澄んだ碧さに、赤鬼の瞳の中に燃え上がっていた憎悪の炎はない。哀しみ、切ない悲しみが、瞳の奥に宿っている。青い睡蓮(すいれん)の花弁(はなびら)の様に尖(とが)り、澄んだ美しい目であった。
翳(かげ)りのある魔鬼。
そんなものが居るのなら、青蓮がそうであった。大きな獅子口からは、上下から食み出した黄色い牙が冷たく光っている。顔よりも太い首が、両肩から抜き出ている。
どこかで見たような気がするが―
大きいのは角だけではなかった。身長が、4m近くもある。他の悪鬼は、3m前後と言ったところか。
聳(そび)える様な巨人である。
人間の巨人には、太りすぎたり、痩(や)せすぎたりしたものが多いが、青蓮は、均整の取れた体格をしていた。
ボディビルダーの様な、つくった筋肉ではない。ズシリと重そうな、弱点のない、鍛え抜かれた肉体であった。つまり、実戦的な筋肉なのである。
全身の全ての筋肉が異様に太いのである。筋肉の圧力を感じさせる。赤鬼よりも体が大きく、赤鬼とは違って翼はないが、その風貌は、正に大魔神を思わせた。岩山に立っていたら、巨大な石像と見間違える事だろう。碧眼(へきがん)の独角鬼王とは、正に、青蓮の事であった。
 いきなり、きよしちゃんが、巨大な石像に向かって気砲を放った。
青蓮も、撃ち返した。巨体からは考えられない俊敏な動きであった。重力の抵抗を全く気にしていない様子であった。有り余る筋力があるのであろう。
気砲と気砲が、ぶつかり合った。
眩(まばゆ)いほどの、光に包まれた。
気砲は、互角であった。
「青蓮よ。今からでも、遅くはない。鬼神の元へ来て、聖鬼となれ」
「・・・断る。俺は、人から化身した魔鬼だ。純血の仲間入りは出来ない。それに、俺を捨てたのは、お前の方だ」
 二人には、曰(いわ)くがありそうであった。
それは、僕にも分った。僕が、意識を失う前に見た青鬼である。この途轍(とてつ)もなく凄(すご)みの有る青鬼を、仲間に出来るものならそうしたい。戦って勝てる相手ではない。
「俺は、人から化身する聖魔だ。俺も、あんたと同じ化身なんだよ」
 僕は、説得を試みた。二人の関係が、そんなに複雑である事を、未だ知らなかったのだ。
「馬鹿、キーボー。喋(しゃべ)るな」
 きよしちゃんは、慌てた。
「ほー、久遠よ。お前の目的は、その小僧だったのか? お前と俺は互角だが、その小僧に、悪鬼五人を相手出来るのかな? さあ、さっさと、降れ」
青蓮は、きよしちゃんに飛び掛った。
大型肉食獣の跳躍であった。音もなく、重さを感じさせない飛翔であった。二匹の悪鬼が青蓮を加勢し、残りの三匹が、僕に向かって来た。
便宜上、悪鬼と表現したが、その悪鬼は、鬼と言うよりは、鬼に似た獣―二足歩行するよりも、四肢で地面を蹴ったほうが、どう見ても似合っている。
鬼獣であった。
全身が硬い鱗(うろこ)に覆われ、その中から、びっしりと生えた獣毛がささくれ立っている。獣の饐(す)えた様な臭い、獣臭が辺りに充満している。腐った硫黄の臭いかも知れない。とにかく、胸の悪くなる臭気であった。
頭部の角は出鱈目(でたらめ)に生え、口から食み出した牙にも、秩序がない。つまり、乱杭歯(らんぐいば)であった。頭部も胴体も腕も脚も、どこか歪(いびつ)で、不自然であった。猫背の背中に大きな筋肉の瘤(こぶ)が、不気味に蠢(うごめ)いている。
鬼の奇形の様に思われた。先天的に異常な形態を伴って生まれた悪魔である。僕は、そう感じた。
魔鬼と名乗る青蓮には、鬼としての風格、品格が在った。悪鬼には、その鬼としての美しさがないのである。
あらゆる種の生き物たちは進化を遂げ、その生体は美しいのである。しかし、この鬼獣には、生き物本来が持っている美しさがないのである。
僕の中に嫌悪感が広がった。
ガゥ、ルルルルル・・・
鬼獣が、乱杭歯(らんぐいば)の並ぶ口を大きく開いた。僕は、悪鬼にむかって両手を重ね、強く念じて気を押し出した。僕の気に、嫌悪感と恐怖が宿った。
鬼獣たちは、立ち止まった。まるで、僕の滑稽(こっけい)な姿を観察しているように見えた。
眩(まばゆ)い光が立ち込め、僕は、気砲を放った。青白い光の奔流が、一直線に進む。
 鬼獣たちの好奇の目が、大きく見開かれた。その目に、驚嘆と恐怖の色が浮かぶ。瞳に気砲の閃光(せんこう)が、映った。鬼獣たちは身を翻(ひるがえ)したが、光の洪水に呑み込まれてしまった。
光が消えると、そこに居たはずの三匹の悪鬼は、消えて無くなっていた。
「まさか、こいつ、人間のくせに、“気”を使うか」青蓮が、叫んだ。
僕は得意になった。悪鬼三匹を片付けたのだ。えへん。
「俺は、鬼神の息子だ」
「言っちゃ、駄目だ」
きよしちゃんが、叫んだ時には、もう、遅かった。
「なに!! 鬼神の息子だと? 」
碧眼(へきがん)の独角鬼王は、僕に気砲を撃って来た。
「止めろ」
きよしちゃんが叫んだ時には、避ける間もなく、僕は光に包まれた。

 すー、と意識が、遠退(とおの)いた。
僕は、死んだんだと思った。
上に向かって、動いていく・・・それが自然であった。
僕はいよいよ軽く、透明になり、更に密度が薄くなり、より大きくなって・・・そして、爆発する。僕は、虚無の中を漂う、膨張する宇宙であった。沈黙の深海を彷徨(さまよ)う、小さな存在・・・
初めは小さく、洞窟の天井を囲い込み、そして、地表を、もっと大きくなって、地球全体を覆った。
僕は実体の外殻を突き破ろうとした、その刹那、また、悪夢が、始まった。

邪悪なる存在は、僕の角を掴んでいた。僕は、角を掴まれ引き起こされていた。力の入らない僕の体は、無抵抗に垂れ下がった。
気味悪く赤い瞳が、輝いた。
邪悪なる存在は、長い鉤爪を使って、僕の目玉を抉(えぐ)り出した。
痛みは、無かった。肉体の感覚が、ないのだ。生きている事が、意識がある事が、不思議であった。
邪悪なる存在は、僕の目玉を一つずつ喰らった。
「お前は、永遠に、闇の中を彷徨(さまよ)うが良い。虐(しいた)げられた者の苦しみ、憎しみ、怒り、悲しみを味わうが良い」
邪悪なる存在は、僕の腕を切断した。切り取られた腕の切り口からは、少しの出血しかなかった。
僕の血液は、残り少ないのだろう。心臓は、ガス欠のエンジンの様に餌付いている。
次に足を・・・

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