内側の世界
天乃大智:作

■ 第8章 青蓮と紅蓮4

ゴーッ。
「あの音は、何だ? 」
僕は、不思議に思った。こんな地下の奥深くで、水の流れる音がする。しかも、大河の流れの様であった。今まで聞こえてなかった音である。
鬼の聴力であった。
行ってみると、意外に遠かった。それは、地下水の流れであった。大きな川ぐらいの大きさであった。勢いよく流れている。奥へ、闇へ、地下水は、流れ込んでいた。
「この水は、どこに、行ってるのかな? 」
僕の質問には答えずに、きよしちゃんは言った。
「妙だな」
「何で、こんな所に? 」
「いや、水の事じゃない」
「もうそろそろ救助隊が来てもいい頃だけどな。でないと追っ手に追い付かれてしまう」
 その時であった。
のし掛かる様な圧迫感が、僕を再び襲った。映画『ジョーズ』のワンシーンとあの音楽が、迫って来る様に思われた。
 僕は、不吉な視線を感じた。冷気にも似た、怖気(おぞけ)を感じたのである。
僕は、ゆっくりと顔を向けた。はっきりと、禍々(まがまが)しい、悪意のある気配を感じたのである。
「お前らが待ってる救助隊は、来ない」
そこに赤い肌をした悪魔が、立っていた。
二本の立派な角が生えている。額から二本、大きく曲線を描いて後方に流れていた。背中まで伸びた長髪は赤色で、燃えている様であった。濃い眉毛(まゆげ)の下に大きな眼が開いている。瞳は赤い。上下の牙が、綺麗に合わさっている。
火眼金睛(あかめ)の双角鬼王であった。
鬼が島で会った青蓮よりも、まだ体格が大きい。自然石であった。天の気紛(きまぐ)れか、偶然の産物か、巨大な自然石が人型を取った。そんなごつい肉体であった。
身長は軽く4mを超えている。背中に蝙蝠(こうもり)のような翼があり、その堂々とした容姿には、悪魔の気品があった。軍神を絵に描いたような仁王立ちをしている。
きっと、名のある悪魔であろう。
「その通り、俺には名がある。魔鬼将軍の紅蓮(ぐれん)だ。この間は、青蓮が世話になったそうだな。礼をしに来た」
 きよしちゃんは、その名を聞いて目を丸くした。きよしちゃんは、この悪魔を知っている。僕は、そう感じた。
「魔鬼将軍? お前は、魔羅(まーらー)だろう? 」
紅蓮は、それには答えなかった。瞳が異様に輝いた様に見えた。侮辱(ぶじょく)された時に、人はこんな目をするものである。異様な殺気であった。
隣に、青蓮も居た。
「久しぶりだな。この前は油断してしまった。ん・・・? お前、化身したようだな。生意気にも角が三本も生えてやがる」
独角鬼王の手には、三本角の鬼の首が、ぶら下げられていた。こちらに投げて寄越すと、肉や骨が岩盤にぶつかる嫌な音を立てて転がった。その首はスーッ、と消えた。
たった二人でも、相手は、魔羅と魔鬼だ。絶体絶命であった。二匹の鬼が、ゆっくりと、近付いて来た。
「俺が、赤鬼を倒す。きよしちゃんは、青鬼を頼む」
僕は、初めて命令した。
「しかし」とは、きよしちゃんだ。
「俺には、ネックレスがある」
僕は、気砲を撃ちまくり紅蓮に突撃した。双角鬼王は、気砲を難なくかわした。気砲が、後ろの岩壁を崩した。
「お前は、まだまだ未熟だ。今のうちに始末する」と言って、気砲を撃って来た。
 僕の体は、光に包まれた。気砲の光の奔流が、僕の体を直撃したのである。
天の鏡のネックレスが、撥(は)ね返す。
僕の左脇腹に激痛が走った。
左脇腹を抱え込んだ。
そして、撥ね返された気砲が、岩壁に当たった。遂に地響きを立てて、岩壁が天井と一緒に崩れ落ちて来た。もう、何分も持たない様子であった。
轟轟(ごうごう)、轟轟。
「くそっ」と紅蓮は、赤髪を振り乱して跳躍すると、僕に鉄拳を振るった。まるで、荒ぶる軍神の様であった。赤い蓬髪(ほうはつ)を振り乱す様は、歌舞伎(かぶき)役者のようであった。
その攻撃を天の鏡のネックレスが、撥ね返す。
ゴキッっと骨の折れる嫌な音がした。僕の体が、発した音である。
右腕に衝撃があった。右腕が、動かない。だらっ、と右腕が垂れる。左胸と胃袋の辺りが、痙攣(けいれん)した。そこが内出血を起し、腫(は)れ上がっているのが分る。
蹴りが来た。
とても早くて見切れなかった。それも、天の鏡のネックレスが撥ね返す。
また、左足に衝撃があった。左足が麻痺して、思う様に動かない。
攻撃する度に、紅蓮はダメージを負っているようであった。僕も傷を負った。頭がくらくらして立っているのが、精一杯であった。
紅蓮には、天の鏡のネックレスは効かない。いや、もしなければ、僕はもう死んでいる。僕は、死を覚悟した。
体が、苦しい。熱い。体が、麻痺した。奇妙な陶酔感であった。それは、殴られた所為(せい)だけではない。僕の体が、生命の危機を感じ、何かが生まれ出ようとしているのだ。
そうとしか思えない。
僕の肉体が、血液が、熱を帯び始めている。体の全細胞が、ゴトゴト沸騰するのが分かった。
今も、紅蓮の攻撃にボコボコにやられている。僕の顔は、見るも無残に腫れ上がり、全身に傷を負っているのが分かる。
もう、痛みは感じない。
何かが、僕の体から這い出ようとしている。外に出ようと、もがいている。これを目覚めさせたら・・・僕はどうなるんだろう? 僕が僕でなくなるような気がした。
何かに支配される。何か途轍(とてつ)もなく・・・凄いもの。この世に恐怖と苦痛と哀しみをもたらすもの・・・
そして、それは始まった。

耐え難いものが、僕の肉体を責め苛(さいな)んだ。全身が震撼(しんかん)した。筋肉が千切れ、内臓が捩(よじ)れ、骨が軋(きし)み、血が逆流した。
僕の肉体よりも、精神よりも大きなものが、巨大な卵から孵(かえ)る様に、巨大な蛹(さなぎ)から這い出る様に、僕の肉体の奥底から、迫り上がって来る。
耐えられなかった。
僕は、虚空であった。抜け殻であった。
肉体の内側から、手が生えてきた。足が生えてきた。そして、その肢体が、今まであった肢体と入れ替わった。その他の体の臓器、部位、骨、全てが再生した。
僕の体が、内側から何者かに乗っ取られて、裏返った様に思った。
ギシギシ骨が、軋んだ。
僕は、恐怖と苦痛に見舞われた。僕の意識が、ツー、と遠ざかった。そして、急に呼び戻された。
すると突然、僕の体の感覚は失われた。
宙に浮いた感じである。
今は、何も感じない。
何者かが僕の中で成長し、僕に取って代わろうとしている。僕の全身に、根を張る様に、それは速やかに、電光の様に広がる。
僕の意識は無視された。
僕は、眠い。
眠ると、どうなるのだろう。
死ぬのか―
この紅蓮に殺されるのか―
僕の骨格が、大きく変形したのであった。
何か野獣のようなもの、計り知れない恐怖―どす黒い、破壊をもたらすもの―が、目覚めたのだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ」
僕は、腹の底から雄叫びを上げた。僕ではない、奴が、である。
紅蓮が、一瞬、たじろいだ。
遂に、奴が姿を現したのだ。
僕は、眠ることにした。
これから、目の前に繰り広げられる惨(むご)たらしい地獄絵巻を、見る勇気がなかったのだ。
しかし、僕の意識はそこにあった。
僕の肉体は、奴が支配していたのであった。
反撃に転じた。正確に言うと僕ではなく、「奴」が反撃に転じた。紅蓮は、驚きの表情を見せた。
「こいつ、まだこんな力が残っていたのか―」そう目が、語っている。
紅蓮に映る僕の姿は、醜(みにく)く腫(は)れ上がり、傷付き、立っているのも、やっとに見えているはずである。
チャリン。
天の鏡のネックレスが、砕け散った。
向こうで、きよしちゃんが青蓮とやり合っている。
双角鬼王が、向こうを見た。紅蓮の火眼金睛(あかめ)が、輝く。僕は、残りの力を出し切って叫んだ。奴の支配を一瞬、逃れたのである。
「きよしちゃん! 危ない! 水だ! 水に、飛び込め! 」
紅蓮の火眼金睛(あかめ)が、煌(きらめ)いた。
きよしちゃんが、今まで居た後ろの岩壁が破裂した。
きよしちゃんは、間一髪、双角鬼王のアイ光線を避けて、地下水の中に飛び込んだ。それと、入れ違いで魚人防人シーズが、顔を出して口から放水した。それを受けた青蓮が、たじろいだ。ただの水ではない様であった。
紅蓮が、僕の方へ振り向いた。
双角鬼王の瞳が、また赤く輝いた。
僕の身を守るネックレスは、もうない。
今度攻撃を受けたら、・・・お仕舞いだ。
ド、ド、ド、ドビューン。
紅蓮の背中を、水と超音波が襲う。
双角鬼王は、一瞬たじろいだ。
僕の体を乗っ取った奴は、この隙を見逃さなかった。僕の体から、無数の拳が繰り出された。それは、千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)の様に、千の拳が紅蓮を襲った。奇跡の自然石は全身を打たれ、大きく後ろに跳ね飛ばされた。
こんな事でくたばる紅蓮ではない。
その隙に、僕は瞬間移動を掛けて地下水の中に入った。追い掛ける様に、岩盤が降り注いで来た。
轟轟(ごうごう)。
地下道が埋没する轟音が、水の中まで聞こえて来た。水中にも、大きな岩石が、水面を割って打ち込まれた。
僕の体は、無防備にあちこちの岩盤にぶつかった。息も出来ない。意識が薄れて行く。ふと、誰かに、抱きかかえられた様に思った。
僕は無意識の中で、防御スクリーンの中に居る事が分かった。
きよしちゃんの顔があった。
防御スクリーンの外には、黒い魚人防人の影が見えた。
そして・・・僕は、夢の中に居た・・・

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