悠里の孤独
横尾茂明:作

■ 奸計錯誤5

悠理は200万円引き出そうとATMコーナーから銀行の奥へと進んだ、印鑑は持参したものの中学生に200万もの大金が下ろせるものかと心配になる、引出し用紙に所定事項を書き、用紙と通帳を恐る恐る窓口に出した、それを行員は無表情な顔で受け取ったが…額面を見るや怪訝な表情に変わった。
「何か本人を証明するものはお持ちですか」と聞いてくる、悠里は震える手で胸ポケットから生徒手帳を出し顔写真と校長印が押された頁を見せた。

「では暫く椅子に掛けてお待ち下さい」そう言うと後ろの席の行員に用紙と通帳を手渡した。
悠里はドキドキしながら椅子に掛けて待った、暫くして窓口から「武井悠里様」と声がかかり、悠里は乾いた唇を舐め窓口に向かった。

銀行から逃げるように飛び出した(あぁ下ろすことが出来た…)何故かやり遂げたとの達成感で自然と笑みがこぼれた。
銀行を出て5分ほど走ったとき、不意に先生の面影が脳裏に浮び思わず自転車を停める。
(会いたい…今すぐ逢いたい)何故か切ない思いで胸が一杯になり悠里は病院の方角を見た。

(でも会ったところで今下ろした200万を渡すだけ、ならば明日でも…)そう思えた、だが逢いたいと想う気持ちはどうにも消えず、悠里はためらいつつ昨日教えられた先生の携帯に電話を入れた。

「あっ悠里君、約束通り電話をくれたんだ、僕はいま両国橋近くを走っているんだが君はどこにいるの?」

「はい、先生がお休みと聞きアパートへ帰る途中です」

「そう、なら何処かで会おうか」

「えっ、会えるんですか」

「うん、今自宅に向かって走っているから…そうだなぁ商店街近くの喫茶店で逢おうか」

「それなら…商店街入口の喫茶エンゼルでどうでしょう、場所わかりますか?」

「うん よく行くから知ってるよ、そこなら20分もあれば着けると思うが」

「じゃぁそこで待ってます」

悠里は携帯を切ると思わず笑みがこぼれた(あぁ今から逢えるんだ…やっぱり電話してよかった)
悠里に経験は無かったが恋人に逢うときってこんな感じなんだ、そんな想いを抱きつつ 進行方向を変え商店街に向けて走り出した。


 喫茶店に入り壁に掛かった時計を見た(3時過ぎ…先生もう来るころかな…でもこの辺りに車を止める所なんて有ったかしら…)
悠里は先日スカウトのオジさんと座った一番奥のテーブルに席を取りクリームソーダを注文した。

(そう言えばスカウトのオジサンに断り電話入れること すっかり忘れてた、あれから奈津美は何も言ってこないけど家で反対されたのかな、考えてみれば両親がちゃんといて私立有名校への進学が決まっている奈津美が芸能プロダクションの面接を受けようだなんて…やっぱり冷やかしだったのね)

悠里は鞄から名刺を出し携帯を手に持った(んん…でもこのオジさんしつこいから面接受けませんって言っても、ハイそうですかとは言わないよね、やっぱり向こうから電話がくるまで放っておこう)そう思い携帯をテーブルに置いた。

窓から通りを見ながらクリームソーダを飲んだ、あれから20分以上もたつが先生は現れない(やっぱり駐車場が無いんだ…)

クリームソーダを飲み終わり再び時計を見た、もうすぐ4時になる 悠里は手持ちぶさたに携帯を手に取るとWeb検索で先生のフルネームを打込んでみた。
すると何行も出てくる、しかし殆どは病院のホームページや病院評価、それと学会行事の出席名簿らしきものばかりで先生の個人情報について記載された記事は見当たらなかった。

悠里はあきらめWebを切ろうとしたとき都展受賞者の一覧に先生の名を見つけた、なんと昨年 東京都知事賞を受賞していた、検索を進めると受賞した絵が表示され悠里は暫しその風景画に見いてしまう。

(先生ってスゴいんだ、都展で知事賞って…東京で1番ってことでしょ、絵を描くお医者さんだなんて…やっぱり想った通り素敵な先生)

さらに受賞者紹介欄に数行程度、経歴や若くして綜合病院を経営していること、奥様を結婚してすぐに乳癌で亡くし未だ独身を通していることなどが掲載されていた。

(先生、奥さんを乳癌で亡くしてたんだ…)

画面を夢中で読んでいたとき人の気配を感じ悠里は前を見た、すると先生があの眼差しで見つめていた。
「あっ、先生いらっしゃってたんですね」

「フフッ、携帯に夢中だったからね…何か面白いことでも載ってるの」

「ううん何も…ごめんなさい気付かなくって、駐車場はありましたか」

「いやそれが無くて参ったよ、自宅近くまで探したけど結局無くて、だから車は自宅に止めてここまで走ってきんだ」

「えっ、それは大変、でもご自宅はこの近くなの…」

「病院の裏なんだ、戦前までは今の自宅が病院だったけどね」

先生は店の人にコーヒーを注文すると脚を組み再びあの眼差しで悠里を見つめてきた。
そして少しためらうように「僕の提案…あれから考えてくれた?」と囁くような声で聞いてきた。

「ええ……」と言いかけて悠里は言葉を呑んだ、いま200万を出したらこの雰囲気は壊れ…事故当事者間の事務的な金銭授受となり、喫茶店を出れば赤の他人にもどってしまう。

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